2009-01-01から1年間の記事一覧

NYM原則から一歩先へ

日本語にも「第三世界」がある。 「第一世界」は、日本に近い地域だ。日本語ができることが実利になり、習う者も実利が主目的である。文化に興味がある場合、それは現代の大衆文化だ。学習者も多い。だから教材や辞書も一応そろっている。学習者全員にはいき…

K式菜食主義

クルバン・バイラム(犠牲祭)が終わった。豚や羊の屠殺はこれまでにも東欧で見たことがあったが、ここで初めて牛の屠殺を見た。 都会地で農民でも牧畜民でもない人が家畜をつぶす機会は年にこれ1回だろう。農家の場合、年にどれくらい自家で家畜を屠殺して…

ハラショー!

いろいろな国で日本語教師をやってきたつもりだが、実は教えた国はほとんど旧ソ連諸国ばかりである。旧ソ連を偏愛しているというわけではないが(もちろん!)、暑さに弱いので東南アジアなどはダメ、しかし寒い分は割合平気ということになると、行き先は旧…

弁論大会より/キャンディと私の子供時代

<キャンディと私の子供時代/イマン・クルチュ> 誰でも夢を持っているでしょう。私の夢は日本へ行くことです。実はこれは私の子供のころの夢でした。日本のアニメを見て、この夢を持ちました。日本へ行って、アニメのキャラクターを見たかったです。夢の中…

弁論大会より/夢か目標か

<夢か目標か/ガムゼ・パクソイ> テーマは夢ですから、私は何をいちばんしたいかと考えました。大学を出てエルジェス大学で教えたり、日本へ行って日本文化を学んで、トルコへ帰ってからここで日本文化をみんなにしょうかいしたり、トヨタのような会社で働…

タタールを追って(3)

4.カザン・タタール人の民族形成 カザン・タタール人は、一言で言えば、金帳汗国から分かれて15−16世紀にヴォルガ川中流、カマ川と合流するあたりの地域に栄えた、イスラムを奉ずるカザン汗国の住民の後裔である。その版図の中核地域は今日のタタール…

タタールを追って(2)

3.歴史上のタタール 「タタール」という民族を歴史の流れで追うときには、13世紀のチンギス汗登場以前と以後に分けて眺める必要がある。それ以後この名称は、モンゴルと結びついて大きく拡散してしまったからだ。 「タタール」はもと中国の北辺にいた遊…

タタールを追って(1)

<幻想のタタール> 韃靼ないしタタールという言葉には、聞く者のイメージを強く刺激する異様な力がある。司馬遼太郎のような人には、それがさらに強く感じ取れるようだ。「私は、こどものころから、「韃靼」ということばがすきであった。・・・銀色にかがや…

備忘録/信号は赤だ

私はどうしてもニューヨークのあの同時多発テロを非難することができない。人間が自分の足で上ることができる以上の高さは不正であるとどこかで感じている。あんなのは全部ゴジラがなぎたおせばいいと、酔ったらきっと言い出す。天をも恐れぬバベルの塔の建…

備忘録/「北方領土」

<「北方領土」> 最近の日本はおかしいよ。竹島を「日本固有の領土」などと言っている。「日本の領土」だというのなら賛成しないではない。あれは水が出ない、つまり人が住むことができず住んでもこなかった無人島というか、大きな岩礁であって、日本のでも…

備忘録/アウアオ論

「ファウウスト」に酒場の名としても出る「アウエルバッハ」は、最近は「アウアーバハ」とか「アオアーバハ」と書かれる。昔と今でAuerbachさんの綴りが変わったわけでもないのに。これはドイツ語の音を日本語でより近く表わす努力であって、「ラインガウ」…

備忘録/参加希望者

裁判員制度について、マスコミは参加したくない人のことばかり取り上げるが、中にはぜひとも裁きたいと思っている人も相当数いるはずだ。しかし、何事にせよ、自分にできるだろうかと悩んでいる人々こそまさにそれをすべき人であり、おれにやらせろと思って…

イスラム習俗瞥見

極東のさらに東の果て、湿潤多雨の日本列島の住人には、西アジア乾燥地のいわゆる「砂漠の宗教」であるイスラームは、あまりにも異質に感じられる。この感覚は重要だ。長く親しんで違和感をおぼえなくなってしまったが、初めて紅毛人の異俗に接したときに、…

「W杯ベスト4」考

日本代表の監督が、ことあるごとに「ワールドカップのベスト4を目指す」と真顔で言っている。最初はその志の高さに共感していたが、あまりにくりかえすので懸念を抱きはじめた。 世の中には、サッカーを知っている人たちとサッカーを知らない人たちがいる。…

備忘録/彼らの大好きなナチス

ヨーロッパ人はナチスが大好きだ。それが証拠に、ナチスに関する本はよくもまあこんなにと思うくらい毎年毎年次々に出てくるではないか。 ナチスに対してカテゴリー的な拒絶をする人たちは、よく見てみるがいい。彼らのしたことはすべてヨーロッパの文明の特…

漢字とかなの法三章

日本語に正書法はあるのか。 正書法がかなづかいのことなら、それは存在する。内閣告示「現代仮名遣い」である。かなは表音文字なのだから、表音原則を最大限尊重しなければならない。その点で現代かなづかいは、助詞「は」「へ」「を」や四つ仮名、長音を除…

備忘録/六か国語会話集

JTBの「六か国語会話集」をパラパラとめくっていたとき、ドイツ人を指すことばが言語によって大きくちがうのに目をひかれた。ドイツ語で「ドイチェ」、英語で「ジャーマン」、フランス語で「アルマン」、イタリア語で「テデスコ」、ロシア語で「ネーメツ…

備忘録/北朝鮮の憂鬱

北朝鮮を見ていると、戦前戦中の日本が冷凍保存されているのではないかとの思いにとらわれる。 昭和初期20年間の日本は、今の北朝鮮のような世界の鼻つまみだった。政府が軍を統制できず、政府声明と裏腹に戦火が拡大していくなど、日本人のわれわれは軍が…

備忘録/挑戦者たち

外国で外国人に日本語を教えるというのは、おもしろい経験である。 日本にいれば、学習者はつねに日本語のさまざまなテキストを目にしているのだから、それをなぞる形で訂正していける。だが外国、それも日本から遠い外国では、それがかなわないから、日本語…

備忘録/筆順三徳

国語教育と日本語教育は異なる。日本語教師と国語教師が、「書き順は大事ですね」「そうですね」と語り合いうなずき合っている場面で、その同じことばで二人が考えているものはたぶんまったくちがう。日本語教師の念頭にあるのは、「左」「右」や「必」など…

備忘録/人みなスミスにあらず

日本語教育でおもしろいのは、いろいろな経歴の人が教師となっていることだ。制度化が進みきった学校教育とはそこがちがい、その点は塾などに似ているが、しかし塾は日本国内で日本人を相手にし、受験合格という大目標があって、学校に寄り添い補完するもの…

備忘録/気になる人々

好きな人を3人あげろと言われたら、むろんたくさんいるけれど、こんな3人をあげてみようか。いわく、フランツ・ヨーゼフ、マサーリク、チトー。 オーストリア・ハンガリー二重帝国といういささか虚構じみた寄木細工の国家、官僚的でありつつ人格的でもある…

備忘録/夜寒の晩に

村上春樹と唐十郎のドラマトゥルギーは似ているのではないか。肌合いはかなり異なるが、「どこにもない国への旅」という部分はよく似ている。小説を読まぬ私が村上春樹ばかりは読むのも、きっと唐好きという部分に響くのだろう。 高橋源一郎の「日本文学盛衰…

「探検」論、あるいはユーラシア交通史の中の能海寛

「探検」というのはなかなかに人の心を騒がすことばである。能海寛も「チベット探検家」とされることにその人気の大きなよりどころがある。だが、能海をよりよく理解するためには、この「探検」をはぎとってみる必要があるだろう。 初めて大西洋を渡ったり、…

牛鬼考補遺

大林太良氏によると、林羅山の「本朝神社考」に、「神功皇后が船で備前の沖を過ぎるとき、大きな牛が水中から出てきて船をひっくり返そうとした。すると、住吉明神が老人の姿になって出てきて、その牛の角をつかんで投げ倒した。したがって、その場所を牛ま…

正体不明の人びと

京大には正体不明の人たちがいる。桑原武夫、今西錦司、梅棹忠夫。3人とも第一級の学者とされており、それぞれ人文科学研究所・霊長類研究所・民族学博物館を作った。全集著作集も出ているのだが、ではこの人たちの主著は何かとなると、はたと考え込む。 桑…

WBC雑感

感想は別にない。1試合も見ていないのだから。だが、レギュレーションについてならたっぷりある。韓国と結局5試合も戦っている。あの組み合わせを見たら、どちらも勝ち進んだ場合、第1・第2ラウンドで4回当たってしまうことになるって誰でもわかるよね…

備忘録/漱鴎二門

漱石と鴎外は並び称される。団十郎と菊五郎、大鵬と柏戸のようなものだ。作品が読まれていることで見れば、漱石が大鵬、鴎外が柏戸か。しかし、いま見えるこの眺めは今日から見てのものであり、明治文学の流れにそって見るならば、まったくちがったものにな…

備忘録/マジノ線

柳田国男と民族学の関係を見ると、おもしろいことに気づく。松本信広はかわいがられていた。一見柳田が好む性格とは思われないきだみのるのような人も親しく近づけていた。その一方、岡正雄は「破門」された。石田英一郎は縁戚でもあり、衝突したわけではな…

備忘録/行かなかった人々

ちょっとした発見や思いつきで、まとまった文章を書くには足りないものを、忘れてしまわないようにここにぽつぽつ書きつけておこうと思う。「悲しき玩具」は誰にもある。 <行かなかった人々> 今の時代、小金があって暇がとれれば、猫だろうが杓子だろうが…