K式菜食主義

クルバン・バイラム(犠牲祭)が終わった。豚や羊の屠殺はこれまでにも東欧で見たことがあったが、ここで初めて牛の屠殺を見た。
都会地で農民でも牧畜民でもない人が家畜をつぶす機会は年にこれ1回だろう。農家の場合、年にどれくらい自家で家畜を屠殺しているのか。鶏くらいならしばしばあろうし、羊でも数回はあるのかもしれない。そういう人たちにとっては手慣れた日常の作業なのだろうが、みずから手を下すことはもちろんなく、目にすることだってきわめてまれなわれわれから見ると、あれだけの大きさの生き物を殺すのは、かなり心に迫る体験である。森厳さも感じる。たぶん見ているこちらの顔からは血の気がひいていたと思う。
お産は実際には見たことなく、学生のころその様子を写した民族学の記録映画を見ただけだが、そのときも貧血になりそうなくらい打ちのめされた感じになった。あれと似ている。あのあとは、女性を見たらつい手を合わせたくなった。死と生。世界の根源的な何かだ。
2頭の羊をつぶすのを見たときは、わかるのだろう、1頭が殺されて切り刻まれている間、縛られてかたわらに置かれていたもう1頭はぶるぶる震えていた。いや、まいります。
「殺生」の具体的なさまを目の当たりにして、自分にはこれはとてもできない、と感じる。生きることは食べることだと知っていたところで。そんなことをあれこれ考えた末に、自分で肉を切り出せないなら、肉を食べるべきではないという結論に達した。「菜食主義者」の誕生である。
ヤワなもんだ、と言う人もいるかもしれないが、それはちょっとちがう。たしかに、「人殺しの技術」を習得し、それを実践することもある兵士にとって、屠畜は何ということない日常の生活技術で、その限りでは「自衛隊時代の日本人」の感想という面はある。だがここで言いたいのは、みずからはできないことのおいしい結果だけつまみ食いするな、事は全的に引き受けろ、ということなのだ。ルーマニアでの経験から、少々の故障が自分で直せない者は車を運転してはいけないという悟りに達してしまっているのと同じである(困った国だ。いや、それとも私が困った人?)。


だが、私のこの「菜食主義」、これを「K式菜食主義」と呼ぶことにしようと思うが、仔細に見るとかなりあやしいものである。だいいち、人のうちへ行って出されるものはみな食べるんだもの。一切れあまさず。菜食主義と決めたときも、ふるまわれるものについては食べることにしていた。宗教的な理由でも慣習的な理由でもなく、体質的に受けつけない(アレルギーがあるとかして)わけでもなく、きらいですらないものなのだから、招いてくれた人々の心づくしを拒絶するなどありえない。
食堂で食べるときには、初めこそ肉なしメニューをさがしていたが、のちには肉抜きにこだわらないことにした。国によっては、肉を食べることが文化の根幹部分であるようなところは多い。そんな国では食堂で肉のない料理を見つけるのが非常にむずかしい。それなのにあえて肉抜きにこだわるのは、文化を否定し豊饒を拒否するネガティブな作業である。それでも宗教上体質上の問題があるならこだわっていいが、そんな問題などさらさらない私がなぜ固執しなければならないか。それに、チャウシェスク時代のルーマニアのように、レストランにはいってもできる料理はひとつだけ、なんてばかな国もあった。信条に潔癖な人なら、あくまで菜食を守り、ひとつしかないメニューを拒否するのもいいかもしれないが、私はみずからをネガティブにしたくないし、そうしていいだけのバックボーンもない。そう考えて、食堂では何でも食べていいことにした。日本のようにメニューが豊富な国で、一人で食堂に行く場合は、肉のないものを選ぶけども、そうでなければこだわらない。
そうすると、菜食主義とはいいながら、自炊するときだけ肉を避けるというだけになってしまう。そもそも私の作れる料理など味噌汁と玉子焼きにとどまるから、どう転んだって「菜食主義」が守れてしまうのだ。呵々。


自分では殺したりさばいたりすることができないからという理由で採用された菜食主義だから、魚をおろせない私は魚を料理しないが、魚がさばける人ならば、魚を食べても「(K式)菜食主義者」であると言える。
さらに進んで、羊や牛の屠殺ができる人ならば、肉をあびるほど食べていても「K式菜食主義者」である。字義に拘泥しないこの闊達さはどうだろう。もはや菜食主義を軽々と超えていってしまう「菜食主義」。なんと融通無碍、なんとポジティブな「K式菜食主義」! あらゆる「主義」はこの境地にまで至らなければいけない、のかな?


(追記:ここの学生にはバイラムに100頭の羊を屠殺したという豪の者もいる。上手なので近所から頼まれるらしいのだが、1頭につき2分しかかからないそうだ。彼など羊を100頭平らげたってK式菜食主義者だ。よきかな、よきかな。)