クチン

クチンの日本人墓地

ボルネオ島西海岸のサラワク州の首都はクチン。その中心部から南に下がり、バトゥ・リンタン通りから少し北に入ったところ、かつての捕虜収容所から遠からず、華人墓地の東に、「極楽山」と書かれた門と柵に囲まれた日本人墓地がある。紀元2600年(1940)記…

クチン日録(6)

2月某日、アグネス・キースの「White Man Returns」読了。日本語訳で読んだ「風の下の国」「三人は還った」に続き、これで彼女のボルネオ三部作は全部読み終えた。雨季の晴れ間を盗んで、川べりのテラスで昼はテタレを、夕方はビールを片手に、サラワクの川…

クチン日録(5)

12月1日、JLPT試験日。いつものように合格祈願に行く。今回はSJFCの近くのスーパーの屋上にある天后宮。見晴らしがいい。合格の見通しもよければいいが。12月某日、スタジアム・サラワクでアジアマスターズ陸上競技会が開かれる。日本人も多数参加しているよ…

クチン日録(4)

10月某日、カーペンター通りの食堂(クチンで2番目にコロミーがうまい店)でコロミーを食べる。この店の主人は30年前に日本に留学していたそうで、日本語ができる。日本人にとってボルネオは身近でないが、その逆はけっこう身近なようだ。夕方7時からシティ…

クチン日録(3)

8月某日、中華料理店でSJFC創立15周年記念ディナー。豚肉が出る。それはつまり、出席者にマレー人がいないということ。日本人2人とビダユー人1人のほかはすべて華人だから。多民族地域なのに、残念な点だ。8月某日、コダーイ国際シンポジウムが開かれている…

クチン日録(2)

6月某日、ある受講生にラマダンバザールを案内してもらう。するめがあった。彼女はクオーター日本人だと知る。祖母は引き揚げのとき現地人に預けられたというから、つまり残留孤児だ。前任者も河畔で偶然クオーター日本人に会ったとブログに書いていた。案外…

クチン日録(1)

3月某日、マレーシア航空でクチン到着。40分遅れ。砂日協会A会長とH事務局長迎えに来てくれる。3月某日、前任者の送別会兼われわれの歓迎会。優秀学生の表彰。H氏は翌週のうちにビザ取得、銀行口座開設、名刺作成、SIMカード購入などてきぱきとやってくれる…

ボルネオだより/「今は冬ですか?」

8月に授業で生徒に「今は夏ですか」と聞かれて、さすが季節のない国、そんな温帯では当たり前のことを質問するのかとおもしろがっていたら、その数日後には「今は冬ですか」と聞かれて仰天した。乾季と雨季という季節はあるものの、気温自体はほとんど変わら…

ボルネオだより/本溜りから本溜りへ

日本人がいた外国の土地なら、昔住んでいた人が置いていった本がどこかに溜まっているものだ。結果としてそんな本溜りから本溜りへ渡り歩く生活をしている。もともと捨てていった本だから、誰でも自由に借りられることが多く、それを読んで渇を癒やす。その…

ボルネオだより/チキ菜食・チキ断食

ラマダンが終わった。これはたいへんいい習慣で、トルコにいたときそのまねごとをしたことがある。だがいいかげんなインチキ断食で、要するに昼食を食べないだけ。朝食を夜明け前にとるわけでも、夕食を日没後に食べるわけでもなく、まして日中水を飲まない…

ボルネオだより/読める

ボルネオでうれしいことのひとつは、表示がわかることだ。ローマ字と漢字。ともに私の読める文字である。モスクにはアラビア文字、ヒンドゥー寺院にはタミール文字を見かけることもあるけれど、それは装飾みたいなものだ。マレー語と英語はローマ字で、中国…