備忘録/マジノ線

柳田国男民族学の関係を見ると、おもしろいことに気づく。松本信広はかわいがられていた。一見柳田が好む性格とは思われないきだみのるのような人も親しく近づけていた。その一方、岡正雄は「破門」された。石田英一郎は縁戚でもあり、衝突したわけではないが、親和していたとも感じられない。それは弟松岡静雄との関係でも認められる。そして、前者はフランス語で、後者はドイツ語で自己形成した人々なのである(松岡静雄はオーストリア駐在武官だった)。柳田の中には「マジノ線」があるみたいなのだ。東側はときどき砲撃される。彼自身は独仏両語ともできたが、フランス語のほうにより親しんでいた。
近代日本の知識人には、「ドイツ流」と「フランス流」のふたつのあり方があった。精神の型のようなものだろう。それは即物的に、必修の英語はみんなできるものとして、第二外国語にどちらを選ぶかによって分かれる。両方ともできる人も多いのだが(柳田のように)、その場合でも軸足はどちらか一方にあるものだ。どちらにも重心のかたよらない、両語両文化に等しく通暁していた人は少なく、わずかに林達夫加藤周一があげられるぐらいだ。そしてこの両者はともに百科事典の編集を行なった人である。つまり、フランス的知性とドイツ的知性、その上に普遍的・百科全書的知性がある、というのが日本近代の見取り図であるらしい。