ハラショー!

いろいろな国で日本語教師をやってきたつもりだが、実は教えた国はほとんど旧ソ連諸国ばかりである。旧ソ連を偏愛しているというわけではないが(もちろん!)、暑さに弱いので東南アジアなどはダメ、しかし寒い分は割合平気ということになると、行き先は旧共産圏に偏ってしまうのだ。今度トルコで教えることになって、ようやく旧ソ連・旧共産圏を脱することができた。
トルコに来てみて気づかされたのは、自分がいかにソ連流になじんでしまっていたかである。生活のはしばしでそれを感じるが、今いちばん困っているのは、授業中につい発してしまうロシア語だ。
通算すれば旧ソ連圏にけっこう長くいたけれど、ロシア語は結局サバイバルレベル以下で終わった。それでも授業中にはロシア語をちりばめていた。授業は基本的に日本語で行なうが、ロシア語の合いの手があったほうが日本語だけで押すよりなめらかに進むのである。ソ連崩壊後独立した国ではロシア語のできない若者が増えてきているけれど、しかし私が使える程度のロシア語フレーズ(「ハラショー」「イショー・ラス」「ニ・ナーダ」等々)なら問題なく通じる。
で、そういうのが口癖みたいになってしまっていたのである。だがトルコではもちろん通じないから、これらは使えない。しかし、「イショー・ラス」などは「もう一度」で問題ないけども(というより「もう一度」でいいものを何で「イショー・ラス」などと言ってたんだってことだけど)、「ハラショー」の場合ははたと困惑するのだ。日本語で何と言ったらいい?「いいです」「よろしい」「けっこう」「よくできました」「すばらしい」、どれも「ハラショー」の言い換えとしては帯たすきで、1語でぴったり「ハラショー」に当てはまるものがない。「けっこう」や「よろしい」には「もうけっこう」のほうの意味もあるし。ロシアに行ったばかりの頃はもちろん「けっこう」とか何とか日本語で言っていたはずだが、「ハラショー」の便利さになれたあとはずっと頼りっぱなしだった。そんなわけで、ここはトルコだと自覚していても、今もつい口をついて「ハラショー」が出てきてしまう。日本語専攻にも数人いるアゼルバイジャン中央アジアからの留学生を除けば、学生たちは「何だ、『原小』って?」と思っているかも。いかんよね、それじゃ。
シベリア抑留者の川柳に「ロシア語はハラショダバイで用が足り」というのがあるが(その伝でいけば「日本語はドーゾドーモで用が足り」だろう)、「ハラショー」「ダバイ」に匹敵するトルコ語の「魔法のことば」をさがしている昨今である。


国が違えばことばがかわるのはふつうだが、モノについても国境によって有無交代することが多々ある。
ある国によくあって、その隣国にまったくないものはたくさんある。それはそうだ。当然だ。考えてみればその通りではあるけれど、感覚としては少しとまどう。外国に行くことの喜びは、惰性に慣れがちな神経がそんなとまどいから刺激を受けることだ。トルコにあってロシアにないものもたくさんあるだろうが、それはひとまずおいて、ロシアにあってトルコにないもののことをメモしておこう。それはラーメン。不思議なことに、ロシア人とはインスタントラーメンを食べる人々なのだ。中国製のが多いが、中にはロシア製もある。そしてどのスーパーにも必ず置いてある。すごい。と最初は思いました。しかし人間というのは何にでもすぐ慣れてしまう動物で、じきにあるのが当たり前の感覚になってしまうのですね。ロシアにあれば、旧ソ連諸国にもある。アルメニアでは毎日のように食べていた。それが、アルメニアの国境線をひとたびまたいでしまうと、ないのである。うーむ、と感じ入りました。
ロシア人は、あれでなかなかアジアなのである。ハバロフスクに着いた翌日、昼食を食べに行った職員食堂のサラダにキクラゲが入っていたので驚いたのだけど、コンブだって出てくる。カニカマボコもある。おかきを作っていたりもする。さきいかも生産しているのだ。やるじゃないか。そして、それらは旧ソ連諸国でも手に入るのである(あの国々の常として、いつでもあるわけではもちろんないけれど。あるときに買っておかねばならない)。これらを食べる国を「東洋」とするならば、ロシアないし旧ソ連の西方国境まで「東洋」である(ウクライナベラルーシはよく知らないので、明確な西方境界は不明だが)。そしてトルコは「東洋」ではない。ちょっとへんな感じ。
イタリアの国境を一歩越えるととたんにスパゲッティがまずくなり、一歩入るととたんにうまくなると村上春樹が書いているが、まさにあれだ。国境線のもつ力に感嘆せずにはいられない。
陸上の国境線は力関係の結果定まっているものである。自然国境など存在しない。これ以上ないくらいの自然の障壁であるヒマラヤ山中でも、中印国境が確定していないのを見ればいい。たしかに「自然国境」であるはずの海だって怪しいもので、海上の国境線しか有していないわが日本は、すべての隣国と領土係争地を抱えているではないか。自然の所与でない、人為のさかしらごとでありながら、この国境というもの。何と奇妙なその存在。


トルコにもロシアにもあるものは、もちろん山ほどある。だがその中でもこれは書いておきたい。ドルムシュである。「満席」というこのことばの本来の意味が示すとおり、座席がいっぱいになったら発車する乗合タクシーに起源をもつが、今はミニバスが使われている。これがロシアのマルシュルートカにそっくりなのである。後ろの席の客の払う金を前にすわっている客が次々に手渡ししてやるところなんかもまったく同じだ。こんなによく似た自然発生的な交通機関だが、どちらかがどちらかを真似たのだろうか、それとも別々に独立に誕生したのだろうか。人類学でいう「伝播説」と「独立発生説」の例題のような問題である。トルコの場合、乗用車の乗合タクシーとして発生し、それが整備されていったという経過がわかっている。ロシアのマルシュルートカは、いつごろ、どういうふうにできたものなのかよく知らないが、独立発生なら、条件が類似していれば人類は同じような反応を示す例として興味深いし、伝播なら、国境線もごくわずかにしか接しておらず、歴史を通じて常に敵国であった2国の間でこのような影響関係があったということで、それもまたおもしろい事実だ。
あるいは第三の国に共通の起源をもつのかもしれない。その可能性も高い。トルコを知るためには、ヨーロッパ・バルカン・ロシア・コーカサスといったそれなりに知識のある地域だけでなく、地中海世界・アラブ世界・イラン・インドのようなまだよく知らぬ地域の知識も必要だということが来てみてよくわかったが、「ドルムシュ・マルシュルートカ発生問題」の解決ひとつとってもそうである。ああ、勉強、勉強、死ぬまで勉強。