牛鬼考補遺

 大林太良氏によると、林羅山の「本朝神社考」に、「神功皇后が船で備前の沖を過ぎるとき、大きな牛が水中から出てきて船をひっくり返そうとした。すると、住吉明神が老人の姿になって出てきて、その牛の角をつかんで投げ倒した。したがって、その場所を牛まろびというように呼んだ。のちに訛って牛窓となった。その牛というのは、塵輪王というものが変身したものであろう。塵輪王は頭が八つあると書かれている。このほか江戸時代にできた備前の地誌類をみるといろいろなことが書いてあります。
 昔、ここに塵輪鬼という牛鬼がいて災いをなした。そして仲哀天皇三韓征討のため、ここにやってきた。すると頭が八つある怪物、すなわち塵輪鬼があらわれて、大牛と化して雲に乗って天皇を悩まそうとした。天皇が弓で射落とすと、首と胴が二つになって落ちて死んだ。一つの頭だけが生き残っていて天皇に向かって矢を射た。天皇は毒矢に当たって死んでしまった。天皇の陵は播磨国明石にあるという話が、たとえば「吉備前秘録」(著者未詳、宝永6年[1709]以後に編)という本に出ており、「和気絹」(高木太亮軒著、宝永元年[1704]編)にもほぼ同様なことが出ています」(大林太良「北の神々 南の英雄」、小学館、1995、p.154f.)。
 南伊予宇和島辺の祭礼に出る牛鬼については、大江健三郎の「同時代ゲーム」にも搭乗するが、あれはかなり作家の想像力の中で変形されている。獅子文六の「てんやわんや」で描写されているものは報告文としても見られそうだ。この小説は昭和23年に書かれ、宇和島から四里の海辺の町が舞台である。ここの神社の秋祭りに牛鬼が練り歩く。
「「やア、これが、名物の牛鬼だな」
 一見して、私は、それと知った。
 通りのカミの方から、喚声と、そして、大汽船の汽笛のような、異様な音響と共に、赤茶色の偉大な怪物が、家々の瓦を舐めるような、長い首を振り立てながら、進んでくるのである。それは、前世界に棲んでいた、巨大な爬虫類を連想させる姿で、二本の角を立てた頭部は、青鬼のようなお面をとりつけ、尾部には、鋭い剣が突き出していた。どう見ても、牛の観念は感じられない、怪物であった。
 やがて、牛鬼が、私の前へ近づいてきた。よく見ると、頑丈な竹のタガに布を貼った胴体の中に、二十人近くの若者が、半裸体の姿で、もぐり込んでいた。ハダシ足袋の脚が、ムカデのように動き、喚声は、その中からも揚るらしかった。また、浴衣にタスキをかけ、向う鉢巻をした数人の青年は、牛鬼の周囲を、絶えず駆け回り、その行進を調節していた。そのうちのある者は、太い竹を筒切りにしたものを、頬を膨らませて、力強く吹いた。竹ボラというものらしかった。それが、大汽船の汽笛のような、音響を出すのであるが、怪奇な牛鬼の鳴声に擬していることは、すぐ理解できた。」(「てんやわんや」、新潮文庫、2000、p.269f.)