トランシルヴァニア

ハインリヒ・フォン・ヴリスロツキ

ハインリヒ・フォン・ヴリスロツキは、十九世紀のジプシー研究者として知られた人である。ジプシー研究者はそれ以前からいるし、ジプシーと一緒に生活した人々も昔から数多くいるが、民俗学的な目的で放浪ジプシーの集団と行動を共にした、「フィールドワー…

詩二篇

トランシルヴァニア悲歌 アドルフ・メッシェンデルファー ここでは泉の音は異なり 時の流れは異なる 驚きやすい少年は永遠の畏怖を早く知る よき奥城の中 父祖の遺骸は朽ち ためらいがちに打つ時計 ためらいがちに毀れる石 門の紋章を見よ 疾うに色褪せたそ…

婚礼の道行き

あるいはチャウシェスクに感謝すべきなのかもしれないけれど、トランシルヴァニアのハンガリー人の村には、古い習俗がよく保たれている。ヒース地方のある村で、昔ながらの伝統を守った結婚式を見た。民族衣装の美しさもさることながら、式の運びの頑固な古…

ケーレシ・チョマ・シャーンドル

チベット学の開拓者ケーレシ・チョマ・シャーンドル(1784−1842)は、初めての蔵英辞典を作ったことで知られている。セーケイ地方のケーレシュ村に生まれ、ナジエニェド(アユド)の高等学校とゲッチンゲン大学で学んだ。ハンガリー人というのは、東…

竜について

あなたは竜を見たことがあるか。 実際に竜を見た人はどのくらいいるのだろう。私はない。ないけれど、竜がどんなものか、いくらかは知っている。日本や漢土の竜、また聖ジョージに退治されるような西洋の竜についてもいかほどかは。いくつも話を聞いたり読ん…

タタール伝説

韃靼、ないしタタールという言葉には、聞く者のイメージを強く刺激する異様な力がある。美しくは、たとえば司馬遼太郎の、「私は、こどものころから、「韃靼」ということばがすきであった。・・・銀色にかがやきつつ、夏の白雲のように大きくふくらんでゆく…

ハーメルンの子供たち

阿部謹也氏の「ハーメルンの笛吹き男」(平凡社、1974)は名著だ。異国の古文書館で地方の古い史料を調べるという、学問的ながら単調な仕事をしているとき、ふと目にとびこんできた鼠捕り男の文字に想像力を刺激され、遠くへと思いを伸ばして史料室に立…

始原の風景

伝説は、すぐれて「起源の物語」である。「歴史」の語を使うなら、口承の歴史と言っていい。しかしそれは書かれた歴史、「歴史学者の歴史」とは全く異なる。「信じられた歴史」なのである。それはさまざまな出来事を語り、そして「歴史」の当然の任務として…

トランシルヴァニアの虹と銀河

大林太良教授の「銀河の道 虹の架け橋」はたいへん面白い。索引まで入れれば800ページを超すこの大部の書の中で、天に描かれる忘れがたく美しい二つの表象、虹と銀河をめぐる人々の観念を、世界五大陸三大洋の隅々まで、調べがつくかぎり多くの民族の伝承…

吸血鬼の里?

トランシルヴァニアの問題児、ドラキュラ。トランシルヴァニアの人々は、彼を前にして困惑を隠せない。トランシルヴァニアでいちばん有名な人物なのは争いがたい事実なのだが(とりわけアメリカ・西欧において)、吸血鬼ときている。しかし彼はフィクション…

聖地ショムヨー

ブラショヴからセーケイ地方へわけいる列車に乗ると、チークセレダ(ルーマニア語名ミエルクレア・チウク)を過ぎたあたりで、右手に形のよい山が見えてくる。これがセーケイ人たちの聖地、ショムヨーの山だ。セーケイ人というのは、カルパチア山脈がハンガ…

クルージュ近郊とトゥルグ・ムレシュ

<カロタ地方の村々> クルージュから西、フエディンとの間の地域をカロタ地方といい、彩り豊かなフォークロアで名高い。民謡、舞踊、民俗衣装、刺繍やビーズ細工などの手芸・工芸品等々、すべてこみいった技の巧みさが特徴だ。踊り、特に若者がソロで踊るレ…

クルージュの迷い方

<歴史> 「歴史の恐怖」を説くエリアーデではないが、東欧の歴史を語るのはかなり面倒で憂鬱なのですね。屈折多く、立場によって叙述が変わるし。トランシルヴァニアはそんな歴史の「東欧性」の強い地域で、たぶんあの不幸なボスニアを横において眺めると、…

クローンシュタット

クローンシュタット。澄んだ響き、輪郭のくっきりした感じ。きれいな名前だ。なぜ地図のこんなところにドイツ風の名前の都市があるのだろう? ロシア革命時に「クローンシュタットの反乱」なるものがあったが、あれは? ひどい地理的混乱に眩暈をおぼえそう…

ヘルマンシュタット

この国を訪れたら、街角で耳をすませてみよう。トランシルヴァニアの町には、それぞれ異なる音色がある。三つの異なる言葉を話す三つの異なる民族が、一緒に暮らしているからだ。地域によって町によって、その三つの民族の割合が異なる。三つとは、ルーマニ…