タタール

タタールを追って(3)

4.カザン・タタール人の民族形成 カザン・タタール人は、一言で言えば、金帳汗国から分かれて15−16世紀にヴォルガ川中流、カマ川と合流するあたりの地域に栄えた、イスラムを奉ずるカザン汗国の住民の後裔である。その版図の中核地域は今日のタタール…

タタールを追って(2)

3.歴史上のタタール 「タタール」という民族を歴史の流れで追うときには、13世紀のチンギス汗登場以前と以後に分けて眺める必要がある。それ以後この名称は、モンゴルと結びついて大きく拡散してしまったからだ。 「タタール」はもと中国の北辺にいた遊…

タタールを追って(1)

<幻想のタタール> 韃靼ないしタタールという言葉には、聞く者のイメージを強く刺激する異様な力がある。司馬遼太郎のような人には、それがさらに強く感じ取れるようだ。「私は、こどものころから、「韃靼」ということばがすきであった。・・・銀色にかがや…

タタールの民話(3)

「ウブル・タズ」(26) むかし三人の兄弟がいた。二人は賢かったが、三番目は愚かだった。その弟はウブル・タズ(お化けの禿公)といった。ウブル・タズは何をやってもやり通すことができなかった。兄さんたちは言った。「おい、ウブル・タズ、突っ立って…

タタールの民話(2)

「シュラレ」(15) 昔ある男が森で木を切っていた。そのそばにシュラレ(森の精)がやってきた。男は一心に木を切っていた。シュラレは男に、「名前は何てんだ?」と聞いた。男は、「俺の名はキョネンだ」と答えた。シュラレは、「くすぐりっこをしようじ…

タタールの民話(1)

バーリント・ガーボル 司馬遼太郎言うところの「巨眼の学者」大林太良教授が監修し解説を書いたG・クライトナー「東洋紀行」(全3巻、小谷裕幸・森田明訳、平凡社[東洋文庫]、1992−3)は、1877−80年という比較的早い時期に行なわれたハンガリ…

カザンへ、カザンから(2)

<学生ヴォロージャ> ソ連建国の父ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870−1924)と、その父イリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤーノフ(1831−86)は、ヴォルガの子であった。イリヤ・ニコラエヴィチはヴォルガ河口のアストラハンに、農奴出身の…

カザンへ、カザンから(1)

「タタールの都」といっても、カラコルムやザナドゥのことではない。これから訪ねようとしているのは、ヴォルガのほとり、モスクワの東約900キロのところ、モスクワとウラル山脈のちょうど中程あたりにある人口百万ばかりの町、ロシア連邦タタールスタン…