弁論大会より/夢か目標か

<夢か目標か/ガムゼ・パクソイ>
テーマは夢ですから、私は何をいちばんしたいかと考えました。大学を出てエルジェス大学で教えたり、日本へ行って日本文化を学んで、トルコへ帰ってからここで日本文化をみんなにしょうかいしたり、トヨタのような会社で働いたりすること、私はそういうことをしたいです。でも、じつはこれは私の夢ではないとわかりました。これらは私のもくひょうです。いっしょうけんめい勉強したらできると思います。私は大きな夢をもちたいです。
私はカイセリ出身ですが、どうじに チェルケス人です。家族は1864年にカフカスからトルコへついほうされて、カイセリにていじゅうしました。
チェルケス人の文化はトルコ人の文化とずいぶんちがいます。私の夢はちょっとチェルケス人の文化にありますから、文化について話したいです。
私の文化では、けいいやきりつやれいぎがとてもだいじです。家のなかですわるばしょまできまっています。こどもはあまやかされず、まず親の言うことを聞くことを習って、そのあとで話すことをならいます。
父親は、じぶんのりょうしんがそこにいたら、こどもにキスしたりだいたりすることができません。チェルケス人のこどもはこのようにそだつので、それにていこうがありません。でもこころのなかではかなしく思います。私もそうかんじます。父はチェルケス人のきまりにしたがっていますから、私たちもこのようにそだてました。あねがうまれたとき、父があねをだくと、おばあさんはそれははじだといいました。だから、父は私たちがだいすきだとしんじていますが、それをみせることができません。
私は父のちかくにいることができませんでした。一度もだかれたことがありません。父は一度も私がすきだといったことがありません。これは私たちチェルケス人の文化ですが、私はそれがかなしいです。父はもちろん私たちがすきです。それをいつかみせてほしいです。
私は夢がかなう日のくるのをたのしみにしています。父が私をだきしめながら、私がすきだというのをききたいです。それをきくことなく父とわかれたくないです。私は父がだいすきです。もし私がとおいところへいけば、父は私をみおくるとき、しっかりとだきしめるでしょう。たとえば日本へ行く時に。


今年のアンカラ日本語弁論大会で出場したエルジェス大学2年生のスピーチで、大会で2位になったものである。
日本へ留学したり、トヨタで働いたりすることより大きな夢が、父親に抱きしめられること? 一見すごい優先順位である。だが、これこそが正しい順番なのだ。家族愛より大切なものはこの世にほとんど存在しない。トルコでは家族の結束が強いことは学生の言動からもよく感じられるが、たしかに、こうも強いのだ。
呆然としてしまうくらいすばらしい夢である。ぜひ「抱きしめられさせてあげたい」。ええと、この言い方でいいんだよな。「抱きしめられる」+「させる」+「あげる」の順だよね。だけど、こんな構文、聞いたことも言ったこともないよ。それ以前に、彼女のこのスピーチの内容自体、日本語で聞いたことがない。私はあなたより千倍も日本語が上手だが、こんな文章は書けません。こんな日本語が聞けるから、読めるから、弁論大会はやめられない。

だが、日本人のために一言しておく必要もあるかもしれない。何かといえば帰省したがるトルコ人の学生の家族愛が強いことは事実だが、それと対比して日本人の家族愛が弱いということには必ずしもならないだろう。現われ方がちがうと言うのがたぶん正確だ。結婚前だってほれたのはれたの言いたがらない日本の男たちが、結婚して子までなした相手やわが子を好きだの愛してるだのなんて言わないよね。そんなことははしたないと感じるだろう。
国際的な世論調査で、「自分の国をいい国だと思うか」という問いに対し、日本人の然りの答えはいつも少ない。だが、それをもって「愛国心に欠けている」と見なすのはたぶん当たっていない。「向上心がある」とか「謙虚だ」と考えるほうが正しい。だって、われわれから見ると、その番付で日本の上にある国々について、自国だからというだけであの国をそんなに愛していいのか?と思ってしまうことはあるもの。「向上心の欠如」とか「根拠のない自信」という類なんじゃないの? 日本はもっといい国であるべきだ、この程度ではよそさまに恥ずかしい、と考えるのが日本人の性向で、逆に「日本はよい国である」と堂々と答える日本人が多くなったときこそ、日本は危ない。何でもアンケートすればわかるってものじゃない。

しかしながら、弁護論は弁護論として、日本では留学やトヨタより父親に好きだと言われることが上に来るなんてまずない。泣け、日本の父たちよ。彼女は(日本文化とも共通するところのある)チェルケス人だから、自分からは父親に好きだとも言わないし、抱きついたりもしない。父親のほうからそうしてほしいと思っているだけで、それを人に話しているわけだが、どうです、娘さんが「お父さんが大好き」と人に公言しているところをこっそり聞いてみたくありませんか、お父さん? だがそれを聞くためには、まず娘さんがそれを言っていることが前提なんですが、そちらのほうは?