備忘録/漱鴎二門

漱石と鴎外は並び称される。団十郎菊五郎大鵬柏戸のようなものだ。作品が読まれていることで見れば、漱石大鵬、鴎外が柏戸か。しかし、いま見えるこの眺めは今日から見てのものであり、明治文学の流れにそって見るならば、まったくちがったものになるはずだ。鴎外がそもそもの初めからずっとそこにいて常にビッグネームでありつづけたのに対し、漱石は明治も末期になって文学に横合いからいきなり割りこんできた。同時代人から見た漱石像はわれわれのものとはちがう。彼を慕う若い人が集まり、それが文壇の一大潮流になったあとの像とは。
明治近代文学は明治20年に始まる。維新前後に生まれた人たちが成人したころであり、「浮雲」の現われた年である。
明治文学には、完成形で突然ヌッと現われる「エイリアン」が何人かいる。漱石二葉亭四迷がその双璧だ。留学から帰るやドイツ土産3作で華々しく登場した鴎外もエイリアンぽいし、余市の電信技手が突貫帰京して一躍大作家になった露伴もその気味がある。逆にまったくエイリアンでない作家の典型は花袋だろう。
最大のエイリアンはしかし二葉亭である。いかにも時代な風俗に色直しを施せば大正の小説といっても通じそうな「浮雲」が、「五重塔」や「たけくらべ」、「金色夜叉」などより前、「当世書生気質」よりわずか2年あとに書かれている。それでいて作者の名前は戯作じみた「二葉亭四迷」。鴎外の言うとおり、断然ミスマッチだ。

けれども、結果的にではあっても鴎外漱石が近代日本の二大文豪とされるのは至当だと思う。以後の文人の間にその系譜に連なる者をもつ二つの大きな山系であるからだ。
漱鴎は、文学専攻と医学専攻、イギリス留学とドイツ留学、江戸っ子と地方出身、官立大学を去り新聞社に移った人と官(それも軍)に終生身を置いた人、などの点で違うけれど、たとえば寺田寅彦のように、同じく理科系であり、ドイツ留学を経験した等々、一見すると鴎外と共通する点が目につくが、まごうことなく漱石の側である人がいることからわかるとおり、それらは表面的な区分にすぎない。寅彦が漱石と親和するのは、たまたま高等学校の師弟であったという理由にとどまるものではない。
両者の重要な対立項は、小説と史伝、さらには俳句と短歌にあるだろう。
一般的な親しまれ方でいえば、国民的作家である漱石のほうがずっと大きい。しかし、斉藤茂吉・木下杢太郎・永井荷風柳田国男石川淳澁澤龍彦のように、明らかに鴎外に連なるすぐれた文人の系列がある。私の興味もこちらに傾く。