備忘録/北朝鮮の憂鬱

北朝鮮を見ていると、戦前戦中の日本が冷凍保存されているのではないかとの思いにとらわれる。
昭和初期20年間の日本は、今の北朝鮮のような世界の鼻つまみだった。政府が軍を統制できず、政府声明と裏腹に戦火が拡大していくなど、日本人のわれわれは軍が暴走したのだと知っているが、外から見れば、一方で収拾すると言いながら他方で拡大させているのだから、二枚舌以外の何ものでもない。二枚舌でないのなら、単に無能だ。国際連盟脱退に大喝采するわ、チャップリン暗殺を計画するわ、何という国だったか。宣戦布告なしの奇襲や謀略はお家芸だったし。貧乏国でありながら核やミサイルを開発するのも、娘を売ったり大根メシを食ったりしながら世界一の巨大戦艦を造っていたのとダブる。滑稽なくらい大仰な国営テレビのあのアナウンサーの口調も、戦中の日本ではいたるところで聞かれていただろう。当時の日本だって今の北朝鮮よりましな国ではあったと思うが、「最低より少しいい」と言ったって、全然ほめたことにならない。
北朝鮮は困った国だし、非難はもちろんする。だが、あんな北朝鮮を見て、みずからの過去を映す鏡を突きつけられたようで恥ずかしいと思うことなく難じてはいけない。
つまり、北朝鮮には「戦後日本」が欠けているのだ。「戦後日本」の目で見ているわれわれと、「戦前・戦中」の目でしか見ることのできない彼らとの大きなちがいはそこにある。
われわれが目にしてきて、今も目にしているあらゆる愚劣にもかかわらず、戦後日本はひとつの達成である。そのことをはっきり思い知らせてくれるのがあの国だ。東アジアの特殊事情はまさにこの「戦後日本の欠如」(経験としての/認識としての)にあるので、日本を除く東アジア地域の「国民としての基礎教養」である反日も、それによって養われている。
いちばん状況のよい韓国も、軍事政権の崩壊まではそうだったし、現在も、日本の大衆文化はまだ完全に開放されていないという点ではその尻尾が残っている。韓国の場合は、「戦後日本」を体感的に知っている若い世代が反日教育世代を後方に押しやれば(それは生物学的に進行する)、状況はさらに変わってくるだろう。
中国もまた、戦争から田中角栄までとぶし、国交回復後も、共産党の統制下だから「戦後日本」を実際に知る人はごく限られている。北朝鮮も、それほどではなくても中国も、今の日本を知らない(金正日の息子は知っているかもしれないが)。今の日本を知った上でなお反日ならば、それはそれでしかたがない。現代日本の不徳のいたすところだ。しかし、現在の現実の日本を知らずに、「国民の基礎教養」としての反日である人たちには、もっとよく知ってもらいたいと思う。東アジア共同体は形成されねばならないが、前途はいかにも遼遠である。映画やマンガでは築かれつつあるような気がするのだけども。