能海寛

「探検」論、あるいはユーラシア交通史の中の能海寛

「探検」というのはなかなかに人の心を騒がすことばである。能海寛も「チベット探検家」とされることにその人気の大きなよりどころがある。だが、能海をよりよく理解するためには、この「探検」をはぎとってみる必要があるだろう。 初めて大西洋を渡ったり、…

入蔵熱の周辺

19世紀の後半、「イギリス人国境官吏のあいだでは、目と鼻の先にあるこの謎めいた禁断の国に行きたくなるのが、一種の「職業病」にさえなっていた」(*1)。当時厳しく鎖国していたチベットは、鎖され謎めいていればいるだけ、先進諸国の冒険心に駆られた人…

チベットのパパラッチ

人間は秘密が大好きだ。子供を見るがいい。秘密基地をせっせとこしらえて、暗号で指令を送ろうとする。人間とは結局、子供なのである。秘密が好きなのときっかり等量に、秘密を破るのも大好きだ。自分の秘密は守らねばならず、人の秘密は暴かねばならない。…

チョマが国境を越えたとき

19世紀後半から20世紀初頭にかけて、古のシルクロード、東西トルキスタン・アフガニスタンとチベットを含む中央アジアは、英露間の勢力拡張の争い、いわゆる「グレートゲーム」の舞台であり、特務将校が潜行をはかり、往々落命する地域、また、特にその…

能海寛の非命と栄光

ちょうど19世紀から20世紀にかわるころ、当時鎖国のチベットに入り込もうとしていた4人の日本人がいた。河口慧海・成田安輝・寺本婉雅と、石見国は波佐村出身の能海寛(のうみ ゆたか、1868-1901?)である。俗人(クリスチャンであった)の成田以外はみ…