世代方言簡易アンケートの調査結果

 石見地方の大学生5人と高齢者(60歳以上)5人にアンケートに答えてもらった。ごく簡単なもので、回答者も少なく、予備調査のようなものである。回答者はすべて沿岸部出身者だった。山間部で聞けば結果は多少違ったかもしれない。

 1-4は世代差を見るための問いで、6-10は怪異現象、5・11-14は方言についての質問である。以下それぞれについてコメントする。

 

1) ズボンの腰に締めるものを何と言うか(質問の眼目は:「バンド」か「ベルト」か):高齢層の1人が「バンド」と答えたのを除いて、みな「ベルト」という答えだった。

2) 写真を見せて、山陰線・山手線を走る乗り物を何と言うかを問う(「汽車」か「電車」か)。前者を「汽車」、後者を「電車」と答えた人には、さらに新幹線の写真を見せて、これは「汽車」か「電車」かと聞く。

 山陰線は電化されていないから電車は走っておらず、「電車」という答えは本来出るはずがないのだが、それでもメディア等の影響で「電車」と言う若い人がいるかどうかを見たかった。結果はなかなかおもしろいもので、学生の全員が「汽車」と答えたうち、1人は「家族と話すときは汽車、大学の友達と話すときは電車」ということだった。彼の友達の多くは電車の走る地域の出身なのだろう、彼らと話すときはそれに合わせて「電車」となるわけだ(ことばは相手があってのものであり、だから話す相手によって使い分け、チャンネルを変えながら用いられるのだという社会方言のあり方の素朴な例である)。

 高齢者では、「汽車」2、「列車」1、「ジーゼル車・汽車」1、「列車・ジーゼルカー」1という回答で、「汽車」という答えが若年層よりかえって少ない。この年齢層だと、「汽車」は動力車が客車を引っ張っている昔の形態での認識があるため、現在の山陰線を走っているものをことさらに写真で示してこれは何かと問われると、高齢者は「汽車」と答えにくいのだろうと想像される。新幹線については、1人が「わからない」と答えたほかは、全員が「電車」だった。

3) 「ドラマ」のアクセント(頭高型か平板型か。この語は本来頭高型):回答した全員が頭高型。東京などの若い層の間では、本来頭高や中高型アクセントの外来語を平板型アクセントで言う人が多いそうだが(「アニメ」「クラブ」など)、この地域ではそれはまだ波及していないようだ。高齢者はもちろん頭高型である。

4) 信号の3つの色は何か(「あお」か「みどり」):全員「あお」。信号機の色は実際を見れば緑色なのだが。

5) 日が照っているのに雨が降ることを何と言うか:学生では「テンキアメ」2、「トーリアメ」2、「ハレアメ」1。高齢者で「ヒヨリアメ」2、「テンキアメ」2、「キツネノヨメイリ」1。昔は「ヒヨリアメ」と言うことが多く、それが「テンキアメ」優勢へ移っていったのだろうと思われる。「狐の嫁入り」は日照り雨のほか、地方によっては夜の山野に怪火が連なって見えることにも言う。

 

6) 川などに棲んでいて、泳いでいる子どもを水の中に引き入れる妖怪を何と言うか(「カッパ」か、この地方の方言である「エンコー」か):高齢層の1人が「エンコー」(猿猴)と答えただけだった。もはや「エンコー」という呼び名はすたれているようだ。おもしろいのは、学生の1人が「わからない」と答えていることだ。しかしカッパを知らないはずはない。これはつまり、「泳いでいる子どもを水の中に引き入れる」というカッパの典型的な行動と「カッパ」という名前が結びつかないのであろう。カッパという妖怪を名前として知っていても、その行動については知らないということなのではないかと思われ、名称から行動が脱落していく、つまり妖怪の実質が失われていっていることのひとつの例証と言えるだろう。高齢者の1人は、子どもを水の中に引き入れるものとして「カッパ」のほかに「ナマズサンショウウオ」を挙げた。妖力を持った動物のイメージが残っているのを認めることができる。

7) 夜墓場などさびしい場所に現われる火を何と言うか。見たことがあるか。あるなら、いつ、どこで:学生では「ヒノタマ」(火の玉)3、「ヒトダマ」(人魂)1、「わからない」1。高齢層でも同じく「ヒノタマ」3、「ヒトダマ」1、「わからない」1であった。そして全員見たことがない。

8) 知り合いがキツネやタヌキに化かされた話を聞いたことがあるか:ほぼ全員がない。高齢者の1人が、直接の知り合いでなく、父親からその知り合いがキツネに化かされた話を聞いただけである。一晩中山の中をぐるぐる歩き回されたという話だった。キツネやタヌキが化かす話はもう世間話としてもすたれていっているのであろう。昔話や伝説に残るだけなのかもしれない。かつてはどこでもよく語られていたキツネにだまされる話が、1965年頃を境に口の端にのぼることがなくなっていったという指摘があるが(内山節「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」、講談社現代新書、2007)、その例証でもあろうか。

 上記3つのような「伝統的」怪異・妖怪に対して、次の2つは現代の怪異についての質問である。

9) a.寝ているとき急に体が動かなくなることを何と言うか。b.そうなったことがあるか。c.どうしてそうなるのか。d.ほどくためにはどうすればいいか、を問うたところ、高齢者の2人が「しらない」と答えたほかは、全員「カナシバリ」との回答だった。学生の1人は「よくある」、高齢者の1人が「ある」。学生・高齢者ともあとのそれぞれ4人はそうなったことがなく、うち学生の2人は知り合い(母親・友達)がなったことがあるという答えだった。「よくある」と答えた学生は特に大学受験前に多かったとのことで、c.について彼は「自律神経と副交感神経のバランスが乱れる」とした。そのほかのc.の答えは、学生では「脳は寝ていて体が起きているから」「疲れによる」、また「幽霊にとりつかれる」という回答もあった。高齢者では「追い詰められたときに」「疲れているときになる」。そしてd.には、学生で「もがく、自然にまかせる」「全身に力を入れる」、高齢者では「ただ耐える」「じっとまつ」という答えがあった。

 こういうものは医学的には睡眠麻痺というそうだ。ヨーロッパや中国をはじめ世界の多くの地域で夢魔や幽鬼などの魔物に押さえつけられたために起きると考えられていた(中国語で「鬼圧身」)。現象自体は日本でも昔からあったに違いないが、それが「金縛り」と呼ばれるようになったのは新しいことである。この名称は、修験者の行なう「金縛りの法」(不動明王の威力によって相手を身動きできないようにする法)に由来するものだが、「定本柳田国男集」に「金縛り」の語はないし、「広辞苑」第2版(1969)でも「金縛り」は「①動くことができないようにきびしく縛りつけること、②金銭を与えて自由を束縛すること」とのみ説明されている。しかし第7版(2018)では、前記2つに「動くことができないようにきびしく縛りつけること。恐怖などで体が動かなくなることにもいう」も加えられていて、手元の辞書を見ると、「例解新国語辞典」第6版(2002)が「意識がふつうにあるのに、からだが動かないこと。寝入りばなや、ゆめの中でこの状態になることがある」と睡眠麻痺を明示している。1985年時点で子供の間でもこの意味で用いられているのが確認できるから、この間に一般的になったのだろう。それを経験する人が増えてきたからだろうか。

 キツネにだまされる話の終焉と金縛りの興隆は、多少前後しつつもほぼ同じ時期に交差していると思われる。共同体での語り伝えがしぼみ、個人的な経験が前面に出てくる社会の変化を反映しているのであろう。

10) a.便所には神様とか妖怪がいるとよく言われるが、どんなものがいるか。b.何をするか。c.どんな姿か。d.見たことがあるか。この質問には、学生・高齢者のそれぞれ1人が「しらない」と答えているが、そのほかの回答は非常にバラエティに富んでいる。学生で、「a.霊的なもの、いいもの」「a.花子さん・c.おかっぱ、制服姿、小学生、10歳くらい」「a.神様・b.きれいに掃除したらきれいになれる・c.女神」「a.神様・b.何もしない・c.若い女」、高齢者で、「a.ボイボイサンが出る・b.c.わからない」「a.神様、名前はない・b.大事にしないといけない・c.わからない」「b.手を出す、引っ張り込む」「a.神様・b.c.わからない」。

 何かがいるとはほとんどの人が感じている。ただ、見たことはない。見たことのないものを心裡に見るのが人間の能力であるわけだが、そこには「トイレの神様」「トイレの花子さん」「ボイボイ」「手が出てくる」など、新旧さまざまな異なる伝承が交錯している。

 古来の民俗伝承における厠神は、センチガミ(雪隠神)・カンジョガミ(閑所神)などと呼ばれ、特に定まった名前はないが、粗末にしてはならない。女の神だとされることも多く、お産に関わることも多い。だから妊婦が便所をきれいに掃除したら美しい子が生まれるという話も出てくる。少し前のヒット曲「トイレの神様」はそれを踏まえている。今の小中学生の間で語られる怖い話、いわゆる「学校の怪談」の中でも人気のあるもののひとつ「トイレの花子さん」では、3番目のトイレに「花子さん」と呼びかけると「はーい」と返事がある。してはいけないことをすると危害を加えられるとも語られる。花子さんの話は1970から80年代に広まったらしい(朝里樹「日本現代怪異事典副読本」、笠間書院、2019)。

 名前はないものの大事にしなければならない神様だという心意は老若通じて認められるが、高齢層では若年層と異なる古めかしい妖怪の伝えが見られる。「ボイボイ」というのはこの地方で化け物を言う語で、暗いところに出るといい、「泣くのをやめんとボイボイが来るで」などと言って幼児をおどす(広戸・矢富編「島根県方言辞典」、島根県方言学会、1963。「ボイボイ」は「怖い」の意味の方言「ボイシー」から派生した名称であろう)。「手を出す」という答えについては、古くはカッパなどが便所でそんなことをするとされるほか、特別な日の夜便所に行くと尻を撫でられるという伝承(出雲地方で神在月の祭りの最後の夜にカラサデ婆に、京都で節分の夜にカイナデに)もあるし、「学校の怪談」でも同じことが語られている。

 一般に民俗伝承は年長者から年少者へ伝えられるものであったが、共同体の衰退が進むにつれてそのような古来のあり方が弱まっていった。一方で、伝承を踏まえながら児童生徒が自分たちの内輪で行なっていたいた語りが「学校の怪談」として存在感を強めてきた。上から下への流れが滞る中で、下で独自に語りが自生し繁茂するさまと言えようか。伝承は語り手・伝え手だけでなく聞き手・受け手と場があってこそ成り立つので、語り手がなお多くても、聞き手や場のほうがやせ細っていくと衰えてくる。一方で、学校は聞き手が大勢いて、しかも毎年補充される苗床のような場所だ。ここにもまた交代が認められるだろう。その時期は、村社会・共同体社会が衰退し、高度に制度化された産業社会に移行していく高度成長期の終わりごろと見られる。妖怪譚の盛衰は社会変動を明らかに反映している。

 

 11-14は追加した質問なので、それぞれ3人ずつからしか回答を得ていない。「A.自分でも言う・B.自分では言わないが、人が言うのを聞いたことがある・C.言わないし、聞いたこともない」として答えてもらった。

11) きのうは木に葉が残っていたが、朝見ると、葉は全部落ちていた。これを「葉がチットル」と言うか:学生2人は「言う」、1人は「聞いたことがある」、高齢者は3人とも「言う」とのことだ。

12) a.窓からいま木の葉が風に舞っているのが見える。これを「葉がチリヨル」と言うか。b.これを「葉がチットル」と言うか。c.「葉がチリヨル」とも「葉がチットル」とも言うなら、その違いは何か:

a.「チリヨル」については、学生・高齢者ともそれぞれ1人が「言わないが聞いたことがある」、あとのそれぞれ2人は「言う」。b.「チットル」では、高齢者が3人とも「言う」のに対し、学生は「言う」「言わないが聞いたことがある」「言わないし聞いたこともない」がそれぞれ1人ずつだった。違いを聞いたc.では、学生に「チリヨル:過程/チットル:結果」、高齢者に「チリヨル:今のこと・現象/チットル:結果と現象両方」の回答を得た。

13) ワインがすっぱくなっていて、もう飲むことができない。「これはすっぱくなっとって、ノマレン」と言うか:学生・高齢者全員「言う」。

14) a.アルコール度数が60度もある酒で、強すぎて飲むことができない。「これは強すぎて、ヨーノマン」と言うか。b.「これは強すぎて、ノマレン」と言うか。c.「強すぎて、ヨーノマン」とも「強すぎて、ノマレン」とも言うなら、その違いは何か:

a.「ヨーノマン」・b.「ノマレン」とも、学生・高齢者全員「言う」。c.では、学生で「ヨーノマン:いやだという感じ」「ヨーノマン:本当にだめ/ノマレン:飲めないこともない」「同じ」、高齢者で「ヨーノマン:能力がない/ノマレン:気持ちがない・意志がない」「違いはない」という回答があった。

 標準語ではどちらも「チッテイル」となる進行態と結果態を、西日本方言では進行態を「ヨル」と言って区別する。ただし「トル」には標準語「テイル」と同じく進行態・結果態ともあることが多い。また、標準語では状況可能も能力可能も「ノメナイ」としか言えないのだが、西日本方言では能力可能を「ヨーノマン」と言って区別することができる。簡単な調査であるが、このような西日本方言の特徴が若年層でも維持されていると認めていいだろう(この項目では、「ノマレン」だけでなく「ノメン」についても質問するべきだった)。

 

 たった10人に聞いただけの簡易アンケートであるけれど、さらに掘れば地下におもしろい鉱脈があるかもしれないと思わせる結果だった。

 

石見方言への標準語と新方言の浸透

 甲南大学方言研究会の「JR山陰本線出雲市-飯浦間グロットグラム集」(2017)というたいへんおもしろい調査報告がある。この研究会は同じ調査方法で「JR山陰本線石見福光―松江―伯耆大山間グロットグラム集」(2008)・「JR山陽本線広島―岡山間グロットグラム集」(2011)も出している。

 各駅ごとに高年齢層男女、中年齢層男女、低年齢層男女1人ずつの計6人に質問するという同一の方式で、駅のある地点をすべて調査しているのだ。駅のない山間部は外れるし、カテゴリーごとに1人しか選ばれていないから、そこには個人的な偏り、言い癖が当然ある。大勢の人に当たった調査なら「誤差」と見られるようなものが唯一例として記録に載る、ということが起きる。たとえば、松江の中年女性インフォーマントは「青あざができる」を「ナイシュッケツスル」と答えているが、これはこの人の個人的な言い方であり、これを松江の中年層女性の「方言」とすることできない。つまり、回答それぞれをその地点の代表例とすることはできないが、全地点での調査記録をまとめたあとなら、それらの「誤差」は相殺できる。点をむやみに論じるわけにはいかないが、面を論じるには適当であって、このテーマのような分析にはまさに願ってもない調査である。

 

 この報告書に基づいて検討をしていくが、本題の前に、「似ていると思う方言」「親しみを感じることば」という調査項目もあるので、それについてまず見てみよう。

 「似ていると思う方言は」という設問で、黒松から飯浦までの地点では「広島か出雲か」と聞いている。結果は、当然のことながら、圧倒的に広島である。

 男/広島:38、出雲:2、どちらでもない:6

 女/広島:34、出雲:3、どちらでもない:8

 石見福光から波根まででは、浜田・出雲・松江のどれかという設問であった。

 男/浜田:24、出雲:1、松江:2

 女/浜田:20、出雲:6、松江:4 

 もちろん浜田が断然多いが(これも当然)、おもしろいのは低年齢層女子の回答である。出雲という答えがほかのどのカテゴリーともかけはなれて多いのだ。

 高年齢層男/浜田:7、出雲:1、松江:2、女/浜田:7、出雲:0、松江:3

 中年齢層男/浜田:10、出雲:0、松江:0、女/浜田:9、出雲:0、松江:1

 低年齢層男/浜田:7、出雲:0、松江:0、女/浜田:4、出雲:6、松江:0

 低年齢層共通でプロ出雲が多いならまだ理解できるが、男子とも著しく対照的である。何が彼女らをさうさせたか。ちょっと興味がある。

 「似ている」という意見は実際にどれだけデータに裏づけられるのか、70項目中、広島・松江で調査されていない「136・137いけないよ」、「146なくなった」を除いた67項目で、浜田周辺3か所(浜田・西浜田・下府)と広島・松江周辺各3か所(広島・天神川・向洋、松江・乃木・東松江)の高齢男女の回答を比較してみた。

 浜田方言と類似の語の数・浜田方言にない語(相違語)の数をそれぞれ集計すると、

 語彙のうち、名詞では、広島との類似:16/相違:9、松江との類似19/相違:14

 形容詞:広島:10/2、松江:7/ 7

 動詞:広島:6/2、松江:3/6

 語彙合計:広島:32/13、松江:29/27

 文法:広島:18/12、松江:9/29

 発音:広島:3/0、松江:1/6

 新方言:広島:6/4、松江:2/5

 総計:広島:59/29、松江:41/67

 類似語は、語彙では拮抗しており、名詞ではむしろ松江が広島を上回るが、文法と発音の項目では歴然と違う。相違語の数はどれをとっても松江は広島より大きい。同じく中国地方の方言で、西日本の特徴を共有している隣接石見方言と出雲方言の違いは、類似よりも相違において際立つということだ。特に文末表現や接続表現においてはっきりとした違いがあるのがわかる。

 

 「親しみを感じることばは関西か東京か」という設問の回答を見ると、

 男は、関西:40、東京:38、どちらでもない:6

 女は、関西:34、東京:37、どちらでもない:8

 合わせると、関西:74、東京:75という結果で、非常に拮抗している。ちなみに、「好きな方言」を尋ねた出雲部(安来-田儀駅間)での調査結果は、関西:47、東京:36、どちらでもない:15と、関西が優勢である。

 関西は距離的に近く、人的交流もある。西日本方言として共通するものも多い(否定「ない」でなく「ん」を使う、「(人が)いる」でなく「おる」と言うなど)。

 しかし、マスコミの大きな影響力を別にしても、アクセントではきわめて特徴的な関西アクセントと異なりこの地域は東京アクセントであるし、京都を中心に周圏論的分布を示す語彙で共通するものもある。

 おもしろいのは、「バカ・アホ」の分布である。東京では「バカ」と言い、関西では「アホ」と言う「stupid」の意味の語について、バカ系語(バカタレなどを含む)87・アホ系語86の回答と、親近感同様まったく拮抗しているのだ(なお、出雲で特徴的なダラズ系は8)。黒松-飯浦間19地点のデータだけで石東地域を欠いてはいるが、なかなか興味深い呼応と言えよう(ただし、広島県では「好きなことば」が関西:82・東京:46と断然関西なのに、バカ系124・アホ系96となっている)。

 

 さて、本題の標準語・新方言の浸透についての分析であるが、データが多すぎるので、選別を加えた。

 153項目のうちから、方言の広く残っている語、あまりマージナルでない語を選んだ。方言というと語彙が取り上げられることが多いが、同じ日本語なのだから、地方語形と京都語形、東京に基づいた標準語形は共通しているほうがむしろ普通である。「山」は「やま」であり「川」は「かわ」だ。「蛙」は石見部ではみな「カエル」の回答であるが(波根の老人に「ギャーコ」が1例のみ)、「島根県方言辞典」によれば、「蛙」の方言は出雲部にはあるものの、石見部にはほとんどない。つまりこの地域では地方語形と標準語形が同一であったわけで、標準語の浸透によるものとは言いがたい。

 断定の助動詞「だ」も、益田地域の「じゃ」以外もともと標準語と同形である。益田地域の若年層で「だ」が現われればそれは標準語化と言えるが、それ以外の土地ではもとの地方語のままであって、標準語の影響と見るべきではない。標準語化を論じるときには、これらのことを注意深く考慮に入れておかなければならない。

 そのようなことを考えて、約半分の次の70項目を取り上げた。カッコ内の代表的な方言例とともに挙げる。語彙(名詞、形容詞、動詞)、文法、発音、そして新方言のカテゴリーでくくってみると、

 名詞25:14へび(クチナワ)、15まむし(ハミ)、18雄牛(コッテ)、19雌牛(オナミ)、20仔牛(ベコ)、24ものもらい(メボイト)、25つむじ(ギリ)、32末っ子(オトンボ)、55つらら(ナンリョー)、62返礼の品(トビ)、63ふすま(カラカミ)、67どくだみ(ジューヤク)、68彼岸花(エンコバナ)、74かぼちゃ(ナンキン)、75じゃがいも(キンカイモ)、76とうもろこし(マンマン)、78材木などのとげ(スバリ)、104いくつ(個数)(ナンボ)、105いくつ(年齢)(ナンボ)、106いくら(ナンボ)、36お手玉(オジャミ)、38片足跳び(ケンケン)、39かたぐるま(ビンビク)、49めんこ(パッチン)、51びり(ドベ)(36・38・39・49・51は児童語。カッコ内の語は代表的な方言)

 形容詞7:85おそろしい(オゾイ)、87まぶしい(マバイー)、88くすぐったい(コソバイ)、90大きい(イカイ)、91小さい(コマイ)、92ふとい(イカイ)、93ほそい(コマイ)

 動詞8:84びっくりする(タマゲル)、110借りる(カル)、113くれる(ゴス)、114捨てる(ホール)、143腹が立つ(ゴーガニエル)、144かたづける(ナオス)、146なくなった(ミテタ)、152帰る(イヌル)

 文法関連20:108進行態、109結果態、122来ない、123来なかった、124行く(敬語)、125行った(敬語)、129だ、127だろう、141でしょう?、131じゃないか、128から、130だから、135行けば、132しなければ、133ならない、136いけない、137(いけない)よ、153(帰る)よ、145わからなく、156起きよう

 発音5:147高くない、149買った、150出した、155税金、156 JR

 新方言関連:じゃんけんの掛け声(最初はグー)、50自転車(チャリンコ)、138とても(メッチャ・チョー)、139むずかしい(ムズイ)、142気味が悪い(キモイ・キショイ)の5項目+次の5項目:90大きい、91小さい、143腹が立つ、131じゃないか、145わからなく

 地点としては、大田・浜田・益田とその両隣の駅(久手・静間、下府・西浜田、石見津田戸田小浜)に、大田と浜田の間が空きすぎているから温泉津を入れて、10地点をピックアップした(温泉津を入れれば、沿線の旧郡安濃郡・迩摩郡・那賀郡・美濃郡すべてがカバーできる)。回答者が各地点6人だから、1項目につき60の回答となる。

 その上で、該当する回答があれば1ポイント、該当するものが複数回答のうちのひとつだった場合は0.5ポイントとして計算して、標準語や新方言の浸透の程度を数字で出してみた。

 数字は取り上げる語によっていくらでも変わるのだから、相対的な目安に過ぎない。だが、同一基準であるから年齢層による比較には有効だし、市心部(益田・浜田・温泉津・大田の4地点)と周辺部(大田・浜田・益田それぞれの両隣2地点、計6地点)、また地区別(大田・浜田・益田のそれぞれ3地点ずつ。大田地区:久手・大田・静間、浜田地区:下府・浜田・西浜田、益田地区:石見津田・益田・戸田小浜)の比較にも有益な情報になるだろう。

 まとめると、下の表のようになる。

 

 経験的・常識的に予想できることを数字としても示すことができた、というだけのことではある。標準語や新方言の浸透は低年齢層で大きく、高年齢層で小さい。市心部では周辺部より大きい、等々。また、大田地区で標準語化が進行し、益田地区でそれが遅い、という傾向も見られた。なぜなのかわからないが、石東は西中国方言と雲伯方言の境界地域・端境地帯なので、第三勢力が浸透しやすいのかもしれない。一方で、新方言の発現は益田地区のほうが大田地区より多く、標準語の浸透と相補的になっている。

 概して方言語彙(特に名詞)はマージナルなものに残る。「あめんぼ」の方言が標準語形に置き換わっても、残念ではあっても悲劇ではない。記録に残ってさえいれば。今標準語となっているもの自体、「とうもろこし」「かぼちゃ」などのように方言のひとつが標準語とされてしまったというものが多い。柳田の周圏論「蝸牛考」で有名な「かたつむり」も、京都を中心に次々に広まっていた「snail」の方言のひとつであり、もし関西方言を基に標準語ができたなら「デンデンムシ」が標準語になっていたはずだ。

 地方語で真に注目すべきは、語彙(標準語浸透率:59.9。少ないほど方言の勢力が強い)ではなく文法(同:24.8)であり、語彙の中では、ものごとを表わす名詞(60.0)より、それの見方・心のあり方である形容詞(58.1)だと言えるだろう(動詞は61.1)。

 

 方言がゆるぎなく勢力を保っている語を見てみると、まず「西日本標準語」とでも言うべき一連の言い方がある。西日本では、東日本の「ナイ」に対して否定に「ン」を使う。「来ない」(標準語浸透率:5.8。以下同じ)が「コン」、「いけない」(1.7)が「イケン」となる。だから「しなければ」(0.8)「ならない」(1.7)も標準語と同一にはほとんどならない。個々の語彙と違い、こういう体系的な文法現象はびくともしていない。その点でおもしろいのは、「(だから)言ったじゃないか」(4.2)が「言ったジャン」とか「ジャンカ」となる言い方である。「ジャン・ジャンカ」はいわゆるハマ言葉で、新方言とされるものだが、「じゃないか・じゃない」の「ない」が「ン」となれば「ジャンカ・ジャン」であるわけで、規則的な「西日本標準語」化によるところもあるのではあるまいか。

 また、「いくつ・いくら:48.0」の意味の「ナンボ」、「くすぐったい:13.3」の「コソバイ」、「つむじ:38.1」の「ギリ・ギリギリ」、「高くない:33.1」の音便の「タコーナイ」、「買った:61.7」の「コータ」などは、関西地方と共通するという下支えがあるためか、若年層でも勢力がある。「なくなった」(40.0。ただし益田・浜田地区のデータのみ)を「ノーナッタ」と言うのもそういう音便だが、ここでは方言で「ミテタ」もよく使われる。

 「行けば」(35.0)を「イキャ」と言うのは方言としたが、東京でも普通のいわゆる縮約形(「している」が「してる」、「では」が「じゃ」となるような)とも見られ、「標準縮約形」として方言扱いすべきではないのかもしれないが、「辞典 新しい日本語」では新方言とされていることもあって方言と見ておいた。

 標準語にない、代替できない語は標準語化しようがない。材木などの「とげ」(9.3)を意味する「スバリ」は、これよりほかに言いようがない。標準語では材木などの「とげ」もバラなどの「とげ」もともに「とげ」と言うのだが、この性質の違う両者ははっきり区別すべきで、それを標準語が提供できなければ、方言を使うまでだ。むしろ標準語にこの方言を取り入れてほしいくらいである。

 標準語ではともに「ている」としか言えない進行態(12.5)と結果態(15.7)を「ヨル」と「トル」で区別することもそうで、明らかに違うふたつの状況を、標準語のように「葉が散っている」ひとつでなく、「葉がチリヨル」(進行態:いま葉が散っている)・「葉がチットル」(結果態:葉が散ってしまっている)と分けて言い表せれば便利であり、この弁別は失われつつあるようにも見えるが、まだ根強い。

 ここでは調査されていないが、標準語では区別できない状況可能(この酒はすっぱくなっていて飲むことができない)と能力可能(あの酒は強すぎて飲むことができない)も、この地域では「ノマレン」「ヨーノマン」と区別していると思われる。

 「ケー」(から:9.2)もゆるぎないもののひとつだ。方言はこういうところに残るのだろうと思わせる。概して文末表現や接続表現に方言は強い。

 児童語を見ると、方言と標準語のさまざまな交わり方がそこに出ている。子どもだけでする遊びは低年齢層ではほとんど標準語になってしまっているが、進み方は年齢層ごとにくっきりと違う。「メンコ」(44.1。高年齢層:7.5、中年齢層:30.0、低年齢層:97.4)が好例だ。大人が子どもにしてやる「肩車」(65.0)のようなものでは、大人の言い方が伝わるため割合に方言が残る(大田地区では子どもも「かたぐるま」と言うが、そこでは大人ももう「かたぐるま」と言っているからだ)。「ドベ(びり:31.7)」は子ども・大人ともに使う語だから継承されているのであろう。「ケンケン」は、長たらしく説明的な標準語の「片足跳び」(2.5)に置き換わるべき何のいわれもない。ジャンケンの掛け声は、「最初はグー」とまず言うのがドリフターズ発祥で浸透してきている。

 

 「行く」の敬語(47.3。「行った」の敬語では28.4)では「いらっしゃる」がないというのも特徴的である。方言として「なさる」が変じた「ンサル」(「イキンサル」)、標準語形では「れる・られる」型敬語の「行かれる」が広まっている中、「いらっしゃる」は仁万の中年男女にあるだけだ。標準語の浸透といっても、そのあり方は選択的であるようだ。

 「くれる」(67.8)を意味する語には「ゴス・ゴセル」のほかに「ヤンサル」がある。授受表現のうち、授の「やる」(今は「あげる」が一般的)と受の「もらう」に対して、「自分に授」のとき「くれる」となるのは不規則で、外国人の日本語学習者が困ることのひとつだが、そこを「やる」の敬語で対応するなら、やりもらいの規則性が保てる。

 「ものもらい」(14.0)もおもしろい。標準語となってしまっているこの語は、要するに「乞食」であり、この地域の方言「メボイト」の「ほいと」も「乞食」の意味だ。それは、柳田国男が論証したように、近隣からものを貰い受けて食べれば治るというまじない的療法による名前だ。「メボイト」が略されて「メボ」になり、それが語源俗解によって「メイボ(目疣)」となったのだろう。「島根県方言辞典」は麦粒腫の標準語形を「めいぼ」としているが、誤りである。「ものもらい」を「モライモノ」と言うのも語源俗解であろう。

 

 新方言とは、「若い人が」「標準語にない言い方を」「くだけた方言的場面で」使っているもので、「若い世代に向けて増えている」「標準語・共通語と語形が一致しない」「地元でも方言扱いされている」「改まった場面で用いられない」等の条件に当てはまるものをいう(井上史雄・鑓水兼貴編著「辞典 新しい日本語」、東洋書林、2002、p.104f.)。標準語や他の方言との接触による変化などによって比較的新しく成立した表現とされる。

 ここでは、標準語でない語で、広戸惇・矢富熊一郎編「島根県方言辞典」(島根県方言学会、1963)になく、「辞典 新しい日本語」にあるものをそれと認めた。首都からマスコミ経由でもたらされたものが多いようだが、「ブチ」「バリ」のように近隣から流れ込んできたものや、「ホカス」など関西方言が入ってきたものもあるし、独自の発展かと思われるものもある。

 「very」の意味の語は昔からさまざまな新しい表現が現われてきたところで、金メダリストも使った「チョー」が流行ったのも古いことでないし、今は若年層で新方言「メッチャ」が優勢となっている(新方言率:低年齢層で82.5)。そもそも、今は標準語とされている「とても」自身が、「とてもできない」のように否定とともに使われるものであったが、いつからか肯定とともに「very」の意味で用いられるようになった。1901年に長野県上伊那の郡境あたりで初めてその言い方(「トテモ寒いえ」)に接した柳田国男は驚いている。

 高齢者で方言「ゴーガニエル」など、若年層で新方言「ムカツク」(新方言率:低年齢層で89.5。「ハラタツ」も新方言とカウントした)、その中間で標準語「腹が立つ・頭にくる」(標準語率:45.8)が使われる「get angry」の意味の語は、三者の時間的分布を示す地層のようになっているのがおもしろい。

 「コンカッタ(来なかった:6.9)」が新方言とされるのはちょっと驚きだが、たしかに、本来の方言は「コダッタ」だったようである。これはかなり古い時期に広がった言い方であり、1932年までにはこの地域でも使われていたらしい(「辞典 新しい日本語」、p.248)。今では「コン」の過去形は「コンカッタ」と言って何の疑問もない。「わからなくなる」(7.6)を「ワカランクなる」と言うのは、いま若年層から広がりつつある新しい言い方であるが(新方言率:低年齢層で80.0。「ワカランヨーニなる」が本来の方言だ)、「ワカランカッタ」-「ワカランクナル」は「大きかった」-「大きくなる」の規則性を踏襲しているわけで、時間差のある規則性の獲得現象と見られる。

 回答中に「辞典 新しい日本語」にない語がいくつか見られた。「ビクル」「コショイ」などである。新語辞典の宿命だが、新語新表現は次々に現われているのだから、少々古くなれば漏れがあって不思議でない。これらは、「きもちわるい」が「キモイ」、「むずかしい」が「ムズイ」になったように、「びっくりする」(45.0)が「ビクル」、「こしょばい」が「コショイ」となったと知れる(なお、新方言「キモイ・キショイ」の発現率は低年齢層で72.5、「ムズイ」は同67.5)。

 「コショグッタイ」「コショバッタイ」というのもあった。「とらえる」と「つかまえる」「とらまえる」になったように、方言「コショバイ」と標準語「くすぐったい」の合成でこれらの語もできたと思われる。どこで発生したものかわからないが、「辞典 新しい日本語」によれば「コチョグッタイ」が仙台にあるようだ。

 

 国立国語研究所「日本言語地図」(1966-1974)での標準語形使用率は37%(82項目中)であり、同じ項目で20世紀末期の中学生の使用率は76%だったという(「辞典 新しい日本語」、辞典解説2)。この分析は特に方言のよく残っている項目を取り上げ、調査方法も算定方法も違うので比較にはならないが、参考までに書いておくと、65項目で50.5%だった。低年齢層では65.9%、高年齢層で35.5%である。印象で言えば、かりに「日本言語地図」と同じ項目で調べてみても、この地方の低年齢層における標準語使用率は76%より低いのではないか。新方言が無視しがたい大勢力になっているからだ。

 言語は常に変化する。これまでもそうだし、これからもそうだ。変化しないならそれは生きた言語でないということだ。その変化の方向のひとつは明らかに標準語化であり、今の低年齢層の成長によってさらに進んでいくであろう。だが、その標準語化も選択的に行なわれているようで、西日本一般の特徴は失われない。標準語化の一方で新方言の発生とその受容という現象も同時に進んでいる。新方言の受容もまた選択的であるようだし、保たれ続ける旧方言もある。変化を重ねつつ、薄まりはしつつも、地域のことばの特徴が失われることはないと結論していいだろうと思われる。

 

 

名詞(25)

回答者数

標準語形回答者数

1453

872

60.0

高年齢層

496

181.5

36.6

中年齢層

485

304

62.7

低年齢層

472

386.5

82.0

市心部

587

373

63.5

周辺部

866

495

57.2

大田地区

434

278

64.1

浜田地区

437

271

62.0

益田地区

436

236.5

54.2

 

形容詞(7)

     

420

244

58.1

高年齢層

140

55.5

39.6

中年齢層

140

84.5

60.4

低年齢層

140

104

74.3

市心部

168

99

58.9

周辺部

252

145.5

57.7

大田地区

126

77.5

61.5

浜田地区

126

81.5

64.7

益田地区

126

58

46.0

 

動詞(8)

     

452

276

61.1

高年齢層

150

75

50.0

中年齢層

152

86.5

56.9

低年齢層

150

114.5

76.7

市心部

180

111.5

61.9

周辺部

272

164.5

41.0

大田地区

126

98.5

78.2

浜田地区

143

85

59.4

益田地区

141

68.5

48.6

 

語彙(40)

     

2325

1392

59.9

高年齢層

786

312

39.7

中年齢層

777

475

61.1

低年齢層

762

605

79.4

市心部

935

583.5

62.4

周辺部

1390

805

57.9

大田地区

686

454

66.2

浜田地区

706

437.5

62.0

益田地区

703

363

51.6

 

文法(20)

     

1159

288

24.8

高年齢層

390

80.5

20.6

中年齢層

393

87.5

22.3

低年齢層

376

121

32.2

市心部

466

114.5

24.6

周辺部

693

171

24.7

大田地区

347

93.5

26.9

浜田地区

358

104

29.1

益田地区

348

60

17.2

 

発音(5)

     

298

228.5

76.8

高年齢層

99

59.5

60.1

中年齢層

100

79

79.0

低年齢層

99

89

89.9

市心部

120

92

76.7

周辺部

178

137

77.0

大田地区

90

74.5

82.8

浜田地区

88

64.5

73.3

益田地区

90

63

70.0

 

新方言(10)

回答者数

新方言形回答者数

598

190.5

31.9

高年齢層

199

10

5.0

中年齢層

200

55

27.5

低年齢層

199

125.5

63.3

市心部

240

82

34.2

周辺部

358

107.5

30.0

大田地区

180

54.5

30.3

浜田地区

180

58.5

32.5

益田地区

178

62

34.8

 

ヒヤミズピック讃

 ボルネオにいたとき、ちょうどアジア・マスターズ陸上の大会があり、それに朝原選手らの400メートルリレーチームが出場すると聞いて、見に行った。チームは45歳以上の部で世界記録を出して、みごと優勝した。その記録がどれほどのものかと思って調べてみたら、日本の中学生記録より遅かった。かつてのオリンピック銀メダリストらが出した「世界記録」といえど、あの歳になればそんなものか、男盛りで中学生の後塵を拝すのかとちょっと感慨を持ったが、しかし女子の日本記録よりは速い(女子世界記録よりは遅い)。これにはいろいろ考えさせられる。女性のトップは男子中学生以下。それはうなずけることである。世界チャンピオンにまでなった日本の女子サッカーチームが、日本の県代表でもない男子高校生チームにボロ負けするのだから。

 

 こんな挑発めいたことを書くと憎まれてしまうだろうが、でも書く。オリンピックの女子部門って、いるの?

 その体のつくりを客観的に見るならば、女性は、柄が小さく、胸尻が大きく、激しい運動に向いているとは言えない。

 乳房については、大きさをもってよしとしていいかどうかわからない。男どもを引きつけるという意味では非常にポジティブだが、実用性ではどうなのか、つまり大きければ母乳の出がいいのかどうかよく知らない。モンゴロイドの乳房は概してコーカソイドのより小さいが、子どもを育てる上で別に支障があるとは思えない。チンギス・ハーンのお母さんのおっぱいがどんなのだったか知らないけども、かりに平均的だとして、それは平均的なコーカソイドより小さいわけだが、どんなに小さかろうがチンギス・ハーンが育てられれば十分だ。だから乳房の大きさについては云々しないとして、しかし腰が大きいのは女としてすばらしいことである。安産体型なのは。だが、そういう女性としての望ましさが、運動能力の足枷となる。女性については、必要以上の運動能力の獲得より出産能力のほうが優先されるのは当然のように思うのだけど、まちがってますか? 女性の運動能力の競争って、要するに出産育児に不利な体型の者の競い合いということになりませんか?

 運動能力のピークは出産適齢期と重なる。運動能力が落ちると引退するが、それは出産や育児などの体力を必要とする人類的重要事にとっても能力の衰えてくる時期であるわけだ。サッカーの澤選手が引退したとき、まだまだ中心選手として、あるいは代表選手としてだってやれるのは明らかだったが、引き止める声はほとんどなかった。そりゃそうだ、子供がほしければ30代後半はタイムリミットぎりぎりなんだから。無事子供が生まれて何よりだった。人の考えはそれぞれだとしても、妊娠出産をあきらめてまで選手生活をすることはないというのは常識的な判断だ。

 人生における成功とは何か。よい父親、よい母親になることではないか。金だの名誉だの、そのほかのことはこれに一等ないし数等下がる成功に過ぎない。よい父親母親になることを人生の最重要事とすると、まず似合いの配偶者を得ることが必要になるが、運動能力の高さは男としての価値を高め、その点で有利である。運動能力の高い男と低い男がいたら、高いほうが選ばれるのは自然だ。しかし、運動能力の高い女と低い女の場合、低いほうが選ばれても不自然ではない。運動能力の高さは男としての魅力の大きな部分を占めているが、女にとっては、ほかにいろいろ基準があるうちのそこまで重要でないひとつに過ぎないのである。ドジでトロくさい子のほうがスポーツウーマンよりもてたりするのは、巷間珍しくない風景だ。よい母親になるのに最も有利な条件は愛情深いことだが、トロくささは愛情深くあることを妨げないし、むしろ親和的だろう。

 かつての冷戦期、東ドイツのメダル狩りはすさまじかった。あんな小国が米ソ両超大国と渡り合うメダル獲得数を誇っていたのだ。人口で3倍の西ドイツをも尻目に。特に女子選手が金メダルの荒稼ぎをやっていた。でかくていかつくて、これで女か、というのが正直な感想だった。異様だった。何かクスリをやっているに違いないと当時から言われていた。こんなのに勝たなくても日本女性の値打ちはいささかも減じない、と思った。東ドイツ女子選手がその偉大な体躯とともに示していたのは、女は男に近いほど金メダルに近くなる、ということだ。そりゃセックスチェックするよなあ。実際髭もじゃの男になってしまった選手もいたことだし。

 男子のナンバーワンは人類のナンバーワンだ。だが女子のナンバーワンは、「人類のアンダーカテゴリー」のナンバーワンである。オリンピック種目に関する限り。女子ボクシングの試合を見て、ぞっとした。これ、男のトップ選手とやったら、一発で破壊される。中学チャンピオンと世界チャンピオンの試合をプロモートしたらスキャンダルだというのと同じだ。男同士の殴り合いは意味がある。メスや縄張りをめぐって闘う動物界のオスどもの習いである。だが、女同士の殴り合いはフィクションだ。女のケンカはよくあるけども、せいぜい掴み合いで、殴り合うことはまずないし、それにすぐ男が止めに入る。護身術なら意味があるが、これは競技にならない。いつから男がすることはすべて女もしなければならないと決まったのだろう。たしかに、男にできることはすべて(ヒゲを生やすこととハゲること以外)女もできる。運動能力についてはそれはジュニアユースレベルだが。女にできることもほとんどが男もできる。だが絶対にできないことがあり、それは出産と哺育だ。つまりこの世界には、男のほうがよくできることと女のほうがよくできること、そして女にしかできないことがある。人類社会で性による分業がはるかな昔から行なわれてきたのはそういう所与に由来する。分業は人類とともに古い。

 女子スポーツが盛んなのは、豊かな国である。つまり、「カネモチピック」である。競争相手も男子の場合よりずっと少ない。男子大会には貧しい国も参加する。だが、女子に対しては態度は異なる。「途上国」とくくられる国の中には、女性には別の役割があるというしごくまっとうな考えをする国々人々がたくさんあるわけだが、一方それを原理的組織的に排斥する「先進国」と称する国々がある。どちらが正しいのか、よく考えてみたほうがいい。オリンピックの女子部門は(男子部門もかつてそうであったような)「カネモチピック」であり、西欧式人間理解を世界に広めるための「センデンピック」である(政治の道具でしかなく、西欧の価値観の押しつけでしかないノーベル平和賞のように)。

 女性には月経がある。それは女性が女性であることの根源に横たわる生理であって、一人前の成人女性たるしるしである。しかし、経験がないのでよくわからないが、個人差はあるにしても、その期間中の数日はメンタルもフィジカルもダウンすると聞く。女性が男性に準じた条件で競わなければならないときには、それは大いにハンデとなる。女性であるがゆえのハンデだ。だったら、「男性に準じた条件」で競わなければいいのではないか? 出産という種の維持のために不可欠な、いわば聖なる仕事のために女性に課せられている生理の働きが「ハンディキャップ」になる状況そのもののほうがおかしいと考えるべきではないかと思うのだが。オリンピックの決勝の期日がメンスの日と重なってしまうことは必ず起きるだろう。そんなときには生理を遅らせたり早めたりする薬を飲んでいると聞くが、オリンピックのような身体能力を競う競技の場合、これドーピングでしょ? クスリによって身体の正常な働きを操作するのだから。クスリ飲まなきゃ競技ができないって、それヤバいってことじゃないですか? 別に禁止しろとは言わないけどさ。また、激しい練習を積んでいるときには、月経がなくなるということも起こるそうだ。絶対マズいだろ、それ。虐待、あるいは本人がそれを望んでいるとしたらマインドコントロールか、いずれにせよ処罰対象にすべきなんじゃないの? そんなのを見れば「狂ってる」と思うのが正常な反応なのでは? 健康的でなく、健全でなく、つまり「スポーツ」的でなく、要するに本末転倒だ。こちらの事情にお構いなく決められた期日に人生がかかるような生き方でなく、そんな日程に従わされない生き方や人生設計をするほうがいいのではないかと真面目に思う。

 つまり、女性はこれを「男性」として見るならば、体格未発達の胸部臀部肥大症および定期性出血症候群罹患者であるわけだ。その人たちの競技は、オリンピックであるより「パラリンピック」であろう。その該当者が人類の半数であるというだけで、「パラリン」から「オリン」に昇格している(ああ、またいけないことを書いてしまった)。

 

 先日実際に見ることができて概念をつかめたマスターズ大会という名の中高年者たちの大会、いわば「ヒヤミズピック」だが、それは年齢別カテゴリーに分けて実施されている。100歳以上の部まであるそのカテゴリーで、たとえば70-74歳のカテゴリーでは、70歳や71歳が断然有利だ。若者に近い者ほど有利なのである。すると、記録達成や勝利が第一の目的とされるような老人競技会なら、その基本思想は「若いってすばらしい」ということでしょう? その伝でいけば、女子スポーツは「男ってすばらしい」ということになってしまう。

(一般論として、制限の存在はリミットに近い者を有利にする。小学校の運動会では3月生まれの子は4月生まれの子にどうしても劣る。ガキ大将の多くはたぶん4月5月生まれだ。ジャイアンは4月生まれ、のび太は3月生まれではないかと睨んでいる。ボクサーが制限体重ぎりぎりまで減量するのもそれによる。遺伝子が男に近い女子選手をめぐって悶着があったのも同じだ。)

 100メートル走のタイムで比べれば、老人は若者にはるかに及ばない。当然である。では、老人の価値は若者より低いことになるのか? もちろんそうではない。年寄りの値打ちは飛んだり跳ねたりすることではなく、別にあると誰でも知っている。老人についてそう考えるのを問題視せず、女性についてそう考えるのを問題視するならば、その異なる扱いの理由は何かと考えてもいいだろう。

 ヒヤミズピックの記録は「世界記録」とされるが、本当に世界記録だろうか。たとえば70代なら70代で、今の記録よりもっといい記録が出せる人はたくさんいると思う。参加しないだけで。実際朝原選手以外のリレー銀メダルメンバーは大会に参加しなかったし、本当に運動能力にすぐれたおっさん爺さんが参加しなくてもまったく勝手である。しないほうが立派だとさえ言える。そんな大会の「世界記録」は、こう言ってよければごっこ遊びである(朝原選手が走ったのは、「世界記録」を出してニュースになって、東京五輪の翌年関西で開かれる世界マスターズ大会を盛り上げるのが目的だったそうだ)。女性についても同じことが言えるだろう。カネモチで、かつ西欧的価値観に同調する女性のナンバーワンを決めるだけでしょう。それ、世界の女性の何分の一をカバーしてる? それとも、ゆくゆくは西欧的価値観が世界を覆いつくすのであって、今はそれまでの過渡期?

 ヒヤミズピックの目的は、競争が第一ではない。ずっと重要なのは自己表現や健康増進であり、交流である。参加者は参加費を払って自腹でやってくる。入場無料のスタジアムに観客はほとんどおらず、出番前や後の参加者たちが陣取って仲間に声援を送るだけ。ペットボトルロケット飛ばしっこの世界大会があるのかどうか知らないが(たぶんあるだろう)、そういうものと同列の趣味の催しなのだと知った。競うことは重要な目的ではあるものの、多くの目的のうちのひとつに過ぎず、日頃の練習の成果を示すことや仲間と交流すること、大会のあと観光したりうまいものを食べたりするのがそれに劣らぬ目的である。そういう催しなら、ヒヤミズピック、大いにやってほしい。

 スポーツはすばらしい。それに異論はない。だが、現代のスポーツは数値化である。わけてもスポーツのオリンピック的形態は。数値で見れば、女は男に、老人は若者に数段劣る。しかし、男が女にかなわない領域、若者が老人に譲る領域はある。それは数値化できない。数値の勝利というオリンピック競技の側面を考えれば、女性や老人がスポーツのそんな形態に没入することはない。

 

 パラリンピックについては、これに対して抱いている疑問が3つある。

 健常者が同一規格なのに対し、障害の度合いは人によって違う(ここでもアンナ・カレーニナ公理が当てはまる)。片足が悪い人、両足が悪い人、片手片足が悪い人など部位も程度もさまざまで、足が不自由でも自力で車椅子が動かせない人もいるわけだから、そういう人は車椅子競技には参加できない。競技が参加者に「規格」への適合を要求する。つまり競技が参加者を選ぶわけで、そんな選別的なありかたは大会の趣旨との大きな矛盾ではないのか。

 また、スポーツの鍛錬にケガは避けられない。真剣であればあるほど、その恐れは高くなる。それでなくても体に障害をもっているのに、その体をいじめぬいて危険との間の塀の上を走ろうとするのはどうなのかと思う。2つある足の1つをケガしても大ごとなのに、1つしかない足を危険にさらすのは正気の沙汰ではない。

 さらに、障害を補うために、器械の助けを借りることになる。それも競技に特化した器械、日常生活では使わないような器械を。それはその選手個人のために特別に作られた器械であるはずだ。障害の程度も様態も選手によって違うのだから。当然高価になる。特殊な器械に助けられているのでは、器械の性能を競うキカイピックになるし、費用が非常にかさむということでは、女子や老人以上のカネモチピックである。

 私見によれば、身障者は身障者同士ではなく健常者と競うべきだ。失われた能力の代わりに獲得した能力をもって。盲人が目あきより聴覚や触覚に鋭敏であるように、何かを失った人はその代わりに何かを得ているはずで、その能力のあるものは五体満足にのほほんとした健常者よりすぐれているに違いない。それをもって健常者を打ち負かすほうがはるかに有意義だろう。身障者のみ集まるゲットー競技、ゲットーピックにおいてではなくて、健常者も参加する(というより、健常者の中に身障者も参加できる)無差別の競技で力を競うのがよいと考える。

 それで言えば、女も男に勝てる分野のオープンな催しでその能力を示すのがいいと思う。男に決して勝てない分野で、男より劣ることを示すだけの記録をメダルや国旗国歌総出で飾り立てるよりずっといいと思うのだが。

 

 きょうは壮健な若者も、あしたは身障者かもしれない(死者かもしれない。女(生物学的な)であることはなく、虫であることもたぶんないが)。あしたでなくとも、将来は確実に老人である(それまでに死んでいなければ)。そういう可能性を考えた上でなお言えるのは、パラリンピックや女子オリンピックは必要ない、ということだ。このようなコンセプトでは。

 体にいいし、心にいい。女性も老人も身障者も大いにスポーツをするべきだ。その運動能力も低くない。そこらにいる並みの男より、たぶんパラリンピックに出場する車椅子の選手のほうが能力が高いし、女子柔道選手には軽くぶん投げられるだろう。だが、そういう話ではない。彼らの大会が行なわれるならば、それは男子大会とは別の思想やコンセプトに基づいて行なわれるべきであって、男子と同じコンセプトなら「二級男子」「劣化男子」でしかない、と言っているのである。しかもクスリ漬け、器械従属の。

 最前線でスポーツする男は、要するに兵士である。オリンピックの本質は、兵士の品評会だ。つまり女子オリンピックの基本思想は、「女も兵士たれ」である。男はどのみち兵隊だからかまわないが、女が軍鶏の蹴合いの真似をすることはない。スポーツの競争的な性格が行き過ぎてしまっているオリンピック、メダル獲得競争だとか国威発揚だとかの男子大会を、女性や老人や身障者のような「戦争」の前線に出なくていい人たちにまで広げる必要はない。これは女性差別ではなく、身障者差別ではなく、むしろ尊重だと思っている。オリンピックから離れ、「世界新記録」熱、国威の強調(国旗掲揚・国歌吹奏)、ドーピング等々と無縁のところで、スポーツを楽しめばいい。ヒヤミズピックのように。生理の働きを損なわないこと、過剰に競わず、成績を目標に選手をきりきり追い込まないことが大事だ。兵士でない彼らにふさわしいのはスポーツの遊戯的性格、友好的性格であり、それを男子オリンピックに対置することが必要だし、求められることだと思う。男でないこと、若者でないこと、健常者でないことが欠如でなく特権となる場を作るべきだろう。具体的にどうすればいいかはわからないが、今のこれが違うというのは確かである。もう病膏肓で手遅れなのかもしれないけれど、まだ大丈夫なら、最適のやり方にしてほしいと願う。

 

五輪組織委員会長職

 五輪組織委員会の会長が辞任して、後任をどうするかという話になっている。
 辞任に至るきっかけは、ほとんどフレームアップである。コンテクストの無視によって、大した問題でないものが拡大されてしまった。なるほど失言をしたし、それは不適切であった。「女性蔑視発言」なんだそうだが、違う。「女性軽視発言」である。言葉は正しく使わなくてはいけない。失言は失言だし、不適切なのは不適切だから、当然謝罪せねばならず、そのときの態度が非常に悪かったため辞任せざるをえなくなったのだが、PC的にこそ問題であっても、神妙に謝罪し釈明すれば十分で、それでIOCも不問に付すつもりだったものを、「おもしろおかしくしよう」と狙っている連中にしてやられてしまったと腹立たしく思っていたから、ああいう態度になったのだろう。だが、あの態度は悪すぎたので、その後の成り行きになってもしかたがない。失言の前科は売るほどある人だし、首相としては器でなく、その座に就いたいきさつも言語道断だったから、それらの前歴もわざわいしただろう。
 では、後任は誰か。前会長は川淵氏を適任として、氏に依頼した。それが「不透明」なんだそうだが、どこが?と思う。退く会長が後任を推薦して何が悪い? むしろそうするのが適切であろう。懲戒され解任された会長がそうしたならたしかに問題だが、辞任である。推薦された候補者(複数)について理事会で議論し、そのうちから誰かを選べばいいだけのことだ。委員会は前会長を「余人をもって代えがたい」と思っていたから慰留もしたわけで、後任選びはむずかしくなると知っていたればこそ、家族が大反対の川淵氏に頼み、高齢の氏も引き受けたわけなのに、それが候補を取り下げさせられた経緯のほうこそ「不透明」きわまるものだろう。時間がないのだからさっさと理事会をやってさっさと決めればいいものを、候補者検討委員会などを新たに設置するなんてことになっている。メンバーも公表されぬ秘密会で。「院政」などという言葉も出てきて、それは許されないというような論調もあったが、半年後に解散する組織で何の院政だろう。これはプロジェクト遂行チームなのだ。事情をまったく理解せず、「おもしろおかしく」しているだけだということがそこからもわかる。何か犯罪を行なったとでもいうのだろうか? 影響力が残ってはいけないみたいな報道ぶりだが、内外に影響力のある人なら、プロジェクト遂行のために辞任ののちもぜひそれを使ってもらうべきだろうに。奇怪な言説ばかりだ。
(普通に考えれば、正会長が辞めれば副会長が昇格しそうなものだが、そういう声は聞かない。そんな組織はどこかおかしい。いくら代えの利かない人でも、あれくらいの年齢なら、長い準備期間のうちに今回のようなことでなくても倒れてしまって誰かに交代しなければならなくなることは想定されているべきで、そうしたことを考えていなかったのならお粗末と難じられてもしかたがないだろうが、まあ知らないことは云々すまい。)
 半年務まればいいのだから高齢は大きな問題でないはずなのに、老人はだめ、女性がいいというのも実にバカな話だ。お飾りならそれでもいい。開幕まで5か月となった時点だから、平時なら事務方が事務をこなすだけでよくて、お飾りでも務まる。だが、今は非常時だ。開催するか、中止か、再延期か。有観客か、無観客か。知恵を絞り対策を立てねばならない事柄にみっしり囲まれ、リーダーとして実働隊を引っ張り、交渉と決断をせねばならぬ局面が出てくる。有能でなければできるものではない。

 開催するかしないかは考えるまでもない。開催する以外の選択肢があるわけがない。退路はないのだ。中止すれば、大金をつぎこんで準備し、延期でさらにかさんでしまった出費が丸損になる。その後の事務処理も膨大だし、各方面と交渉が必要、出血をさらに強要される。その仕事はすべて後ろ向きで、何の実りももたらさない。主役たる選手たちは、大会に向けて懸命に努力し準備してきたのに、それも無になる。さまざまなスポーツ大会が現に開催されているのに、どうしてオリンピックだけ中止にせねばならないのか、わけがわからない。フロリダが代替開催を申し出ているそうで、それが本気なのか、一部の者が個人的な思いつき(あるいはジョーク?)を言っているだけなのか知らないけども、フロリダでできるなら日本でできない理由はなかろう。もちろんフロリダでできるわけがないが。
 再度1年延期すれば、北京冬季五輪やサッカーW杯と重なってしまう。再延期の理解を国外各方面から得るのもたいへんなうえ、費用もさらにかさむ。許されるのか? 耐えられるのか?
(10月に延期するなら大賛成だ。それには国内外の無数の機関団体との調整が必要となり、時間がない今到底現実的ではないが、もし実現するならもろ手を挙げて歓迎する。東京で7月に開催するなど愚であるとは、まともな人間なら誰でも思うことだ。)
 コロナ禍克服を謳う大会にするとか言っていたけれども、もし東京大会が中止になれば、北京がその大会になってしまう。それは非常に不愉快なことだ。中国はもちろんそれを大々的にアピールする。中国が! あの国は新型コロナウィルスは国外からもちこまれたものだという説も臆面なく外国人観光客に宣伝しまくるだろう。日本が災厄に立ち向かうことをせず、みすみす中国にその役を譲るのは、日本が沈み中国が昇るのを世界にこの上ない形で示すことになる。中国の興隆と日本の後退は厳然たる事実だからしかたがないが、わざわざみずから降りる臆病ぶりをさらしてまで、中国の強い意志と力の引き立て役になることはない。もはやどうあっても傷を負うことは避けられない。どうせ負うなら、逃げ傷でなく、向こう傷だ。

 もしコロナ禍なく、予定通り去年に開催されていたら、きっと大いなる成功裡に終わっていたことだろう。予定を立て、それに従って物事をこなすのは日本人の得意とするところだ。辞めた会長も、大成功だったラグビーW杯と合わせ、名組織委員長として称賛されていたに違いない。しかし、想定外の危機が勃発したときの対応となると、苦手どころかほとんど無能の領域に堕ちてしまう。トップが責任をもって的確な決断を下すことができないのは、いま目前に見ているとおりだ。トップのざまがいちばんひどいにしても、国民もそうなので、五輪中止というのはリセットボタンを押して瞬間的に目の前から見えなくなればよしとする行為だというのがわかっていない。

 去年のように実際客観的に開催不可能ならやむをえないが、スポーツ大会は日本国中で催されている。中止を言う人はムードに流されている。こう言ってよければ、自分の頭でものを考えない人たちだ。さらに言えば、去年行なわれていたとしたら大喜びしていた人たちであり、本当に中止になったらそのあとでなぜ中止したと非難する人たちでもある。今年の開催を望まない声が8割だという世論調査結果など、重大視するにおよばない。どんな票でも一票である選挙なら知らず、いざ開催され日本選手が活躍すれば一瞬で変わるムードなどに足を取られてはならない。南アフリカとロシアW杯の開幕前と後を見れば瞭然だ。しかし、そのような「世論」なるものがあることは事実だから、新しい会長はそれと向き合い、ポジティブに開催を推し進める力が求められる。
 オリンピックを東京で開催すること自体に反対の人がいるのは大いに理解できる。そもそもが嘘(フクシマがアンダーコントロールだの、東京の7月が最適だの)とワイロで招致したオリンピックだ。コンパクトだったはずが、経費の爆発的増大のさまはどうだ。それが気に食わぬのにはまったく同感だが、もう決まっており、準備も着々と進めてきた。やるよりほかに何がある?
 実施する場合、規模が縮小するのはしかたがない。世界中から選手を派遣してくることができるのかどうか。派遣できない国もあろうし、実施できない競技も出てくるだろうが、それはそれまでのことだ。事務量は増えるが。参加国の事前キャンプを誘致し、交流イベントを企画していた市町村には気の毒だが、すべてキャンセルだろう。
 選手に陰性証明や隔離を課し、検査を定期的に行なう。外を出歩くのは禁じ、選手村と競技会場を往復するだけにする。陽性者が出たときの処遇も決めておかなければならない。だいたいは事務方がこなす仕事だが、交渉や折衝で会長の手腕は要求される。
 開催する場合、観客を入れてやるか、無観客かの問題もあるが、これも結論は出ている。有観客である。サッカーも野球も相撲もみな観客を入れてやっているのに、なぜオリンピックだけ無観客なのか。それが議論になること自体がおかしい。密の回避、観客数の制限や声援の禁止などは必要になるだろうが。
 問題となるのは、外国からの客を受け入れるか否かであり、これにはさまざまな意見があるだろうから、議論と決断が必要だ。一律か、感染者の少ない国と多い国を分けるか。記者はどうする? 受け入れる場合は、陰性証明・入国時の検査・隔離(どこで? どのくらい?)などを課さなければならないだろう。
 素人がざっと考えただけでも、交渉したり決断したりしなければならないことが多く、けっこうな政治力がなくてはかなわぬもので、とてもお飾りでは務まらない。

 何ごとにも、絶対賛成、絶対反対の人は一定数必ずいる。どちらが多い少ないはマターによって変わるけれど。その中間の、定見なくムードに流される人たちがどちらにつくかで物事は決まる。だから多数決はよい解決法ではなく、そのときどきの気分に流され漂流してしまう危険が高い。
 リーダーは、その定見なき中間層を引っ張れる人でなければならない。権力によってでなく、力強い言葉や信頼される態度によって。意志と目標をしっかり持ち、人格よく、人徳や人望のある人がリーダーになれる。前会長は、IOCを含む内側の人にとってはすぐれたリーダーだったようだ。意志はもちろんあり、目標を見すえ、人格は知らないが、矢面に立ち、汗をかき泥をかぶることで人徳人望は少なくとも委員会にはあった。だからその働きぶりをよく知るメンバーに「余人をもって代えがたい」と言われていたし、驚くべき信頼ぶりだと感心するのだが、IOCから女性と二人で会長職をやったらどうかと提案されるまでだったのだろう。ただ、外側にはそう思われることがなく、特にマスコミの間には人望がなかった。それが致命傷になった。だから、新しい会長に誰が選ばれるにせよ、外側への配慮は必要で、言葉が大事になってくる。
 どうも頼りなげだった人が、役についてみたら有能だったということはある。地位が人を作るということもある。だが、新しい会長には時間がない。お試しというわけにはいかず、就任したその日からしっかり働いてもらわなければならない。だから外部の人間もだめだ。いちいち新会長に今までの経緯をレクチャーしなければならないのでは、時間もエネルギーも取られてしまう。これまでの事情を知っている内部の人でなければならない。
 そんなリーダー有資格者が委員会にいるのか? 川淵さんならできる。だが、あの人以外にいるのだろうか。委員会にどんな人がいるのか知らないが、これまで名前が取り沙汰された誰よりも、あの人のほうがずっといいと思われるのだが。まあ、「不透明」な力の所在から「不透明」に排除されたことで、「不透明」な人々から恐れられる彼の「透明」にバシバシやる手腕が逆に証明されたと見るべきかもしれない。

 こういう文を1週間前に書いた。もう有効期限切れだが、せっかく書いたものだから、ここに載せておく。
 その間に、島根県知事が聖火リレーの県内実施の中止を検討しているというニュースが出た。聖火を人質にとって要求を突きつけるやりかたは北朝鮮のようで好ましくないが、地方にはそれくらいしか「武器」がないのも事実だ。島根県で感染者が少ないのは、大都市圏から遠いこと、人口が少ないこと、つまり田舎であることが主たる要因だけども、県民が感染予防に努力しながら被害を被っていることもたしかだ。正直者がバカを見ているふうであろうよ。そんな地域から見たら、オリンピック開催地が感染拡大を止められないままに国の支援を受け、そこの知事がコロナ流行を露骨に政治利用しているのは腹立たしいだろうさ。もっと地方に支援をよこせというのがこんな宣言をした知事の狙いであるけれど、合わせてオリンピックの開催条件は第一に感染抑止であることを真っ向から示して、中央に冷や水を浴びせたのはよかった。動機はやや不純ながら、頂門の一針になっただろう。

 

家族同姓

 前近代において、名前は変わるものであった。近代ではそれは固定されている。筆名芸名や雅号など、あだ名や通称、犯罪や潜行のための偽名など、本名を冒さない範囲でのまたの名があるばかりで、当局に登録した名前は簡単に変えることができない。縛られるのはうれしいことではないが、管理する側だけでなく管理される側にもメリットがあるしくみだから、しかたがない。基本的に変更は許されない中で、認められているのが結婚や養子縁組による改姓である。

 夫婦別姓論議について考える場合、まず確認しておかねばならないのが結婚と苗字だ。

 結婚は子供を得るための制度であるということを忘れてはならない。この制度の根幹を外した議論が多すぎる。子供がない夫婦はしかし珍しくない。ほしいのにできないのは気の毒というほかない。その場合は、状況を受け入れ二人で生きるか、養子をもらうか、あるいは離婚して新しい組み合わせを試すか。組み合わせが変わればできるかもしれない。しかし、子供がほしくない者が結婚するのは筋違いであり、しなくていい。子供はいらないがパートナーはほしいというのは結婚の趣旨に反するから、そういう人のためには結婚制度外にもう一つ別の事実婚制度を設けるのがよかろう。それは夫婦同姓を望まない人のためにもなる。

不妊治療については、気持ちはわかるが、生命を人為的に操作するのはどうなのかと思う。生殖技術からクローン人間までは一直線の道である。どこに線を引くかの問題が出てくる。クローン人間は誰もが許されないと思う。受精卵を他人の胎内に入れて出産するのは、私は許されないと思うが、許されるとする人も多く、実際に行なわれている。ルビコン川を渡れば、もうディストピアへ落ちるのを防ぐ歯止めはない。踏みとどまるなら、断崖へ続く下り斜面の半ばでなく、川の手前だろう。養子のほうがよくないか。)

 

 苗字と名前の組み合わせというのは、個人識別システムとして優れている。リンネの二名法と同じで、同定が容易だ。欧米や中国で採用されているのは故のないことでなく、日本もそうだ。

 世界には姓のない民族も多く(モンゴル人やムスリムなど)、彼らは識別の便のためにドルゴルスレン・ダグワドルジ朝青龍)やマハティール・ビン・モハマドのように自分の名前の前や後ろに父の名前をつけて、父誰それの子何がしと名乗る。つまりロシア文学でおなじみの父称(アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフのフョードロヴィッチ、リュボーフィ・アンドレーエヴナ・ラネーフスカヤのアンドレーエヴナの部分)と同じだ。ロシアの父称の「ヴィッチ」は、ユーゴスラビアでは苗字となっている。イブラヒモヴィッチ(イブラヒムの息子)などがそうで、ゲルマン人のジョンソン(ジョンの息子)、ペーターゼン(ペーターの息子)と同じ成り立ちの苗字だ。抜きがたく父系である。

 欧米の苗字にはさまざまな由来があるが、父祖の身体的特徴とか性格・出自・職業など、父称同様先祖である父親に由来するものが多い。地名から出たものも少なくないが、こちらはやや中立的と言える。

 日本の場合は地名由来が非常に多い。昔の武将は、名前のほうもよく変わるが、苗字も得た所領を名乗ることが多く、それにしたがって変わることがよくあった。森の石松、吉良の仁吉など侠客の通称もそうだし、桂文楽黒門町尾上松緑紀尾井町など、落語家や歌舞伎役者が住所で呼ばれる例もある。官庁が霞が関共産党が代々木、日本以外でもスコットランド・ヤード中南海など、地名の指示機能は強い。苗字転用は自然だ。

 由来はどうあれ、姓・名の二名法の合理性を考えれば、これを維持するのは悪いことではない。

 

 苗字の話のついでに、語順についても一言しておこう。東アジアでは姓・名の順だが、欧米では名・姓と逆順だ。それに限らず、年・月・日でなく日・月・年だったり、住所も通り・地区・市町村・州県・国と、欧米はすべて逆である。彼らはわれわれが何でも反対だと言うが、逆なのは彼らのほうである。第二次世界大戦はいつ終わったかと問われて、15日と答える者はいない。2日でもない。1945年に決まっている。大きいものから小さいものへと絞り込んでいくのが検索の常道である。科・属・種と続ける生物学分類のとおりだ。彼ら自身名簿は姓・名の順で作っているではないか。彼らの間違ったやりかたにならって「アキラ・クロサワ」と倒立するのはつまらぬことで、最近やっと姓・名順を正しい表記とする規定になったのは当を得ている。アルファベット表記のときに混乱を避ける必要があれば、苗字は大文字で書くとこにすればよい。

 縦書きと横書きも洋の東西を分かつ習慣であった。右起縦書は巻物から出た習いだろう。人体の構造からいって、巻物は上下より左右に開くほうが自然であり、かつ右利きの多い人類の大勢から、右手で引き出して開いていくことになる。だから縦書きの文章を右から読む。しかし巻物が廃れた今日では、左起横書のほうが合理的だと言わねばならない。東アジアの文字は縦にも横にも書けるが、アルファベットは横にしか書けない蟹文字だ(モンゴル文字だけがアルファベットなのに縦に書く)。縦書き発祥地である中国がいま横書きをしているのはアルファベットを用いたピンインを使っているからで、日本で理工系の文書が横書きされるのも数式を書く必要による。彼らの文字の不自由さのために、自在な東洋文字がその自在さの故につけこまれているのは残念な気がしなくもないが、合理性が優先されるのは当然でもある。ある中国人の学生は、日本の小説は縦書きで読みにくいと言った。おいおい、君らの古い伝統だろう。物事が根底からひっくり返るには2世代あれば十分だとわかった。

 脱線が過ぎた。閑話休題

 

 夫婦別姓の反対は夫婦同姓とされるかもしれないが、それはフォーカスのしかたがよくなく、正しくは「家族同姓」である。生まれた子供は父とも母とも同じ姓となる。そしてこれは一夫一婦制を前提とする。夫婦家族一体の宣言だ。正妻のほかに妾がいる場合を考えれば、正妻同姓・妾別姓となり、結果として正妻の地位権利を守る働きもする。妻に愛人がいる場合も同じ。

 夫婦別姓推奨者は中国人になりたい人たちなのだろうか? 中国は確固として夫婦別姓である。だが、それは要するに同姓不婚ということで、族外婚の目に見える現われである。氏族制が生き生きとしていた時代の習俗で、血の復讐が原則であった昔には、妻の氏族の復讐の恐れが妻を保護することにもなっていただろう。

 またそれは、第一夫人・第二夫人がいるときに非常に有効に機能する制度である。その状況ではきわめて合理的で、それが本来の目的ではないかと思えるほどだ。生んだ子供は夫の姓になるのだから、腹で奉仕するみたいなものとも言える。男女同権などみじんも関係ない。ガチガチに父系の社会なのだから。一夫多妻を認めるイスラム社会で子供が父称を名乗るのと同じだ。

 この問題を考えるためには、日本語と日本文化の特徴から、さらに二つの所与を押さえておく必要がある。複姓の不可能と両系制だ。

 子供の苗字には複姓という方法もある。夫婦は別姓で、子供は父母両方の姓を合わせたものを名乗る。スペインがそうで、夫婦別姓・子供は父母の姓の複合だから、人はみな複姓であり、別姓である父母の第一苗字を組み合わせた複合姓となるわけだ。父・母・子・孫、すべて違う苗字なのは面倒なように思うが、この方式だと父の第一姓はずっと継承される。AB姓の男とCD姓の女が結婚すれば、妻はCD姓のまま、息子はAC姓。それがEF姓の女と結婚したら、その子はAE姓というように、父系姓のAが受け継がれるわけであり、複姓の尻尾がついてまわるだけで、夫婦別姓・父系貫徹の中国式と同じだが、異母だけでなく異父兄弟の間にもつながりが保たれるという点がこの複合姓方式のメリットだ(よほど異父兄弟が多いのだろうか)。スペイン以外の欧米でも、妻が複姓となることがある。元の苗字に夫の苗字を加えるやりかただ(アグネス・ニュートンがヘンリー・キースと結婚してアグネス・ニュートン・キースとなり、普通にはアグネス・N・キースと書かれ、アグネス・キースで通じる、というように)。中国では子供は父の姓を名乗る父系継承だが、複姓を与えられることもある。中国はほぼ一字姓だから、複姓にしても大事ない。

 だが、分かち書きをせず漢字を使う日本の場合は、目も当てられない。「長谷川登志樹」と「山之内美津江」が結婚したら、妻は「長谷川山之内美津江」? 娘は「長谷川山之内沙也加」? その結婚相手が「三田村佐々岡伊知郎」? 漢字練習帳か? それでも「長谷川山之内」なら「長谷川・山之内」と切れ目は分かる。しかし「小田中曽根」だと、たぶん「小田・中曽根」の複合だろうが、「小田中・曽根」かもしれず、切れ目がわからない。これでは採用できない(ただし、東アジア以外の外国人と結婚した場合は、夫の姓はカタカナだから、「田中ウルヴェ京」のようにふたつ連ねても混乱はない)。

分かち書きをしないのは別に問題ではなく、導入する必要はないけれど、それによってとまどうことはしばしばある。「森保一」は「もりやす・はじめ」だが、初見では「もり・やすかず」と読まれるのが普通だろう。「森林太郎」を「森林・太郎」と区切って読んで笑われた生徒はたくさんいるはずだ。)

 

 日本はまた両系的である。それは婿養子制度からも見て取れる。夫婦同姓原則は、夫または妻の姓を夫婦が名乗るということであって、必ず妻が改姓しなければならないというわけではない。日本において、苗字は変わるものなのだ。明治や戦前の歴史をひもといたことのある人は、男たちの苗字がしばしば変わっているのを知っている。変わらないのは原則長男だけで、次男三男は養子に行って変わることが多い。男の改姓は日常的な風景である。今もこのあたりでは結婚して苗字の変わった男子がクラスに1人ぐらいはいる。十分に男女同権だ。結婚によって改姓するのはほとんどが女子(96パーセントらしい)であっても、そう断言できる。

 親族呼称を見ても、おじ・おば・いとこという呼称は、父方母方ともに同一である。父方の祖父母も母方の祖父母もおじいさん・おばあさん。中国で父方母方で親族呼称が違うのと好対照だ。中国の場合、長幼によっても呼称が変わる。日本では兄弟以外では長幼は呼称に現われない。人を呼ぶときも、男女を問わず、ましてや未婚既婚を問わず、「~さん」をつけるだけでいい。単純明朗である。

 子供(末っ子)の視点からの呼び方も特徴的で、母親が自分の息子を「お兄さん」と呼んだりする。女には7人の「おじいさん」がいて、まず自分の祖父が父方母方に1人ずつ、結婚していればそれに夫の父方母方の祖父、子供がいれば自分と夫の父親、孫がいれば夫もそう呼ばれる。このような子供本位の呼び慣わしは美習と言っていいと思う。

 

 夫婦別姓を言う人たちはファザコンなのか? 姓というものが父系的である(女偏のくせに)ことを知った上で見るとそういう感想も持ってしまうのだが、「選択的」夫婦別姓論議において、妻の姓がどうなるのかは大きな問題ではない。それが親子別姓になることが問題の根本で、夫婦別姓は必ずやすぐにまた別の(より重大な)問題を引き起こす。複姓という解決策のない日本で、子供の苗字をどうするかという問題だ。夫の苗字か。妻の苗字か。議論の筋を追えば、そこも選択ということになるだろう。ルールは思想である。今しかとあり機能もしているルールを崩して、別のまったく違うルールを継ぎ足すのは、二つの思想の衝突であり、混乱である。「選択的」などとものわかりがよさそうなふうで賛同を得ようとしているが、「ものわかりのよさ」は、よかれと思う意図と逆に、無秩序を引き起こす「善意の破壊者」であると知るべきだ。

 「選択的」に子供の苗字を妻のものにしたら、夫から見れば妻との子供も認知した婚外子も形態的に同じものになってしまう。妻から見ても同様で、婚外パートナーに走るのを抑える心理的抑制のひとつが大きく毀損されるだろう。

 複姓ができない中での夫婦別姓は、中国式とほぼ同じということだ(伝統的に子供は父の姓を名乗るが、現代では母の姓であってもいい。中国では複姓は可能であるから、その点で日本は劣る)。この中国式夫婦別姓というのは、父系制・一夫多妻・族外婚を基に形成されたもので、長い歴史があるからあそこでは根づいているわけだが、父系制ではあるが両系的で一夫一婦制の日本になぜそんなものをいきなり持ち込まなければならないのか。父母のどちらかと子供は別姓になる。なぜそんな不都合をわざわざ望むのか。夫婦の姓の同一が目指しているのは、夫婦以上に家族であり、子供である、という制度の根幹を忘れてもらうまい。結婚改姓は家族同姓を維持するためのコストだということだ。そしてそれは男女を問わず払うのである。メリットを考えれば、そのコストは払うに価すると思う。

 一方で、家族同姓の弱みは、まさにその制度が目指している家族一体が壊れたときである。離婚は結婚改姓というコストを払って得た成果を打ち壊す。離婚により再度改姓しなければならなくなればわずらわしいが、それより問題なのは離婚後の子供の苗字だ。好きで結婚したのだから離婚しないのがいちばんいいのだが、過ち多い人間のこと、そうもいかない。離婚しようと思って結婚する人はいないし、離婚したら子供はどちらが引き取るかまで考えて結婚する人は普通いないけれど、「起きてほしくないこと」というのは「起きること」の謂である。

 日本では、人を下の名前でなく苗字で呼ぶことが多い。子供でもそうだ。あまり親しくない人は苗字で呼ぶ。だから苗字が変わるのは、幼児の頃はいいが、学齢から成人までの間は望ましくない。就学以降成人まで安定的であるのが子供のためにはよい。結婚して妻が改姓するのが大多数だからその場合で考えて、離婚後夫方が子供を引き取るなら連続性に問題はないし、妻が引き取るとしても、妻が前夫の姓を名乗り続けるならその点の混乱はない。だが、旧姓にもどった場合、妻は子供の姓をどうするか。変えるか、そのままか。子連れで再婚したときの連れ子、再婚相手の間に子供が生まれたときのその子の苗字は。よけいなお世話に違いないが、気になるところだ。いい大人である妻はどうとでも決断すればいいけれど、まだ主体的な決定ができず、大人の決めたことを受け入れるしかない子供のことを考えると、ここがいちばん弱い部分である。

 

 姓がなくてもやっていっている民族にならって、姓を廃止するというのも一案だが、「だれそれの息子・娘」という子供の呼び名をどうするかという問題は依然残る。ムスリムのように夫の名によるとするならば(4人まで妻が持てる彼らにはそれが理にかなっている)、一代限りというだけで、結局夫婦別姓で子供が父の姓を名乗る中国式と同じことだ。

 結婚制度の廃止は解決策になりうる。今までの結婚制度はやめ、事実婚というか、契約婚とする。しかしこんなことが一片の法令で実現できるとは思えず、どえらい革命でもない限りいきなりそうはできまい。

 この理念的過ぎる方策をプランAとすれば、リアリティの高いプランBは、正式の結婚のほかに事実婚ないし契約婚を法制化し、正式婚(同姓で家族を成す)・契約婚(認証された契約書に基づき、いわゆる内縁関係にある程度の法的保障を与えたもの。財産分けや、離婚の際どちらが子供を引き取るか、養育費負担はどうするかなどの権利義務を定める。その解消に双方の合意は必要なく、一方の意志だけでできる。子供は別れた場合引き取られる側の苗字を名乗る。同姓ならぬ同性カップルも可能だ。だが家族を形成しないので、家族としての権利は生じない)・単なる同棲の三層構造にする、という方法である。まず試用期間のように契約婚をして、その後正式婚に移るというのもよかろうし、離婚して契約婚形態に移り、それでも修復不能なら別れる、仲がもどれば続ける、という冷却期間的使い方もできそうだ。子連れ再婚の場合は契約婚を推奨するといい。

 家族になりたい、正式に結婚したいという希望があり、かつ独身時代との連続性を望むなら、公式名は家族同姓原則に従いどちらかが改姓するが、希望者は旧姓をかっこに入れて名刺名簿に記載できる(「辻上穂希(*澤)」のように)というふうに政府機関が訓令で定めればいい。官庁が行なえば、下はその習慣に倣う。実質的な複合姓で、通称として旧姓の使用を認めるというのより、改姓後の本名も明示するので、職業生活後や職業生活外とも接続しやすい。

 このプランBセット、選択的夫婦別姓のようなものよりずっといいと思うのだが、どうだろう。

 

 名前では、読めない漢字名、いわゆるキラキラネームの問題もあり、私としてはこちらのほうが夫婦別姓よりずっと大きな問題だと思う。「心愛」で「ここあ」だの、「希空」で「のあ」だの、「姫星」で「きてぃ」だの、そう読めるはずのない読み方がまかり通っているのは驚くべき無秩序、カオスであり、決まりごとを守る(監督にパスを回せと言われれば、シュートが打てるときもバックパスをする)日本社会の中での特異な無法地帯となってしまっている。おそらく学校時代漢字に苦しめられたのであろう親たちの、漢字への復讐(切ない思慕も秘めながらの)という深層心理がこの現象の根底に潜んでいそうだが、だからといって全然同情は持ちえない。

 キラキラネームは男にもあるが、とりわけ女の子にひたすらかわいい名前をつけたがる傾向があるように感じる。女の子は年を取らないとでも思っているみたいなあの命名。やがてきてぃ婆さん、ここあ婆さんなどが現われてくるわけなんだが。そのころにはそんな名前が老人名、婆さん連中に特有の名前として認識されているのだろうな。子供に対して親のエゴが強く出ている。狂人も言っているぞ。「子供を救え」。

 この問題への対策としては、人名漢字の読みを制限するという方法がまず考えられる。法律でこの漢字にはこの読み方しかできないと規制する。だが、たかが役所風情に漢字を縛りつけられたくはない。この方法は避けたい。

 漢字を取っ払えば、「のあ」だろうが「きらら」だろうが構わない(多少構いたくはあるが)。それが無理やり漢字と結びつけられているのが問題の根幹なわけだから、戸籍名・正式名はひらがなかカタカナとし、漢字名も一応登録するものの、通称として認めるだけ、という方法もいい。名簿名刺にはかな名とカッコに入れた漢字名を併記する。通称の漢字のほうは本人の希望で簡単に変更できることにする(「希空」を「乃亜」に変える、というように)。こちらを私は大いに勧める。こうすれば拗音や長音はかなり少なくなると思われ、それは和語が増えるということで、それも好ましい。これは抜本的な解決策になる。だが、「抜本的」というのは実現可能性が低いことの別名だ。そうと知りつつも、なおこちらを推す。見れば、選挙ポスターにはこの方式が多い。名前を正しく覚えてもらう必要が切実にある人は、自然発生的にこのやりかたを採っている。自然発生にはすべて理があり、意味がある。

 

 苗字のない人たちだから直接これに関係するわけではないが、男女同権ということでは、女性天皇をめぐる問題がある。私はこれに反対だ。実際的に無理である。現実的な困難を無視して行なわれる主張はイデオロギーだと言わねばならない。

 皇太子や皇女の結婚難を考えろ、ということだ。皇太子のお妃なんて、昔は憧れだったのに、今はババ抜き。今の天皇はあんなにまじめで誠実な人なのに、嫁の来手がなくて苦労したじゃないか。女性天皇に婿のなり手があると思っているのか。現天皇の妹は誰と結婚した? 都庁の小役人と35歳ぐらいで。婿さんも40ぐらいじゃなかったっけ?

 家柄がよくて優秀な男は結婚相手に困ることはない。引く手あまただ。何を好きこのんで窮屈な皇女を選ぶか。それに、有能な男は叩けば埃だ。埃の出ない男を選べば、パッとしないのしか残らない。

 日本には、天皇がいて、貴族がいない。皇族と平民のみである。何というラディカルさ。外国の王族とも通婚しない。つまり皇族は国内の平民としか結婚できない恐ろしい状態なのである。だからそもそも根本的な無理があるのだ。結婚は釣り合いである。個人と個人の結びつきであると同時に、家族と家族、親族と親族の結びつきであるのだから。インドのように同一カースト内での結婚がもっとも望ましいが、カースト外婚をよしとしても、それが皇族と平民では絶対的に釣り合わない。釣鐘ひとつと無数の風鈴。男子が少ないから、男女同権だから、じゃあ女性天皇、とはいかない。嫁と婿では全然違うことを考慮しない机上の高論は、考慮に値しない。

 皇族の若い世代に男が1人だけ。いま適齢期の皇族女性が次々に皇籍離脱をしたら、遠からず皇族は1家族だけになってしまうリアルな危機がそこにある。皇嗣の息子に万一のことがないとは言えないだろうに。そのときになったら考えるということか? 無責任なことだ。現実的には宮家の消滅を防ぎ、その数を維持することが求められる。宮家に男子がない場合は女子による相続ができると補則を付け加えればいい。しもじもでは普通の婿養子である。宮家が一定数あれば、最悪の事態はある程度回避できる。宮家のような傍系なら、配偶者探しも直系ほどに難しくはない。男系男子継承を絶対視するなら、天皇・皇太子に男子を得させるため、側室を何人ももつことが必要になる。だが、婚外子は今の時代にもよくあるが、制度としての側室など不可能だ。

 男性男系天皇のみ守ろうとする人たちは天皇制の強固な(頑迷な)支持者なのだろうが、結果として天皇制崩壊を促進する皮肉な結果になり、すべてを失うことだろう。世の中にしばしば見受けることだが。女性天皇論者、男系男性天皇論者、ともに現実を見ていない。

 で、宮家に婿養子が来ることになれば、その人は苗字を失う。夫婦別姓・同姓論議からの限りない超越。なかなかいいじゃないか。

山陽快晴、山陰は雪

 先日、東京からの帰り道、岡山からの伯備線で、いつもの冬の山陽快晴、山陰積雪の風景を見た。関越道の立往生が発生した寒波のときである。

 雲もほとんどない晴れた広島を出たバスが快調に走行し、少しうとうとしかけていたら、やにわに速度を落としはじめ、窓から見ると雪の中に島根県境の標識、なんてこともあった。この時期の山越えでは普通の経験である。夏はどちらの側でも大して変わらないが、冬は山の南北でこうも気候が違う。雪は北陸よりはずっと浅くて、沿岸部では積もることも少ないが、それは雪の代わりに冷たい雨が降るだけのこと、その分北陸に劣る。国境の長いトンネルもないし、ノーベル賞作もないし。

 

 この季節に寒い思い出はいろいろある。

 ルーマニアを旅したとき、乗る予定の列車が雪で遅延した。はじめは1時間遅れということで、暖かくもない混んだ待合室でそんなに待たされるのかとうんざりしたが、1時間ですめば何でもなかったとすぐに知る。3時間、5時間とどんどん遅れが重なっていくのである。とうとう10時間遅れになり、そしてそれに乗り遅れた。アナウンスのことばがわからないから、折々インフォメーションに聞きに行くのだが、あまりに遅れがひどくなるのでしばらく行かないでいたら、その間に到着し発車してしまっていたのである。しかたなく、もう暗くなった見知らぬ街を凍える雪道に難渋しながら宿を探し、翌朝今度は大した遅れもなくやってきた列車に乗ったことだ。初めから10時間遅れるとわかっていれば、明るいうちに街歩きをしたり食堂やカフェに入って待ったりしたものを、じわじわ遅れを重ねてきたので駅に縛りつけられたまま過ごすことになったのもつまらないことだった。だが、雪で列車が閉じ込められる名作、クリスティーの「オリエント急行の殺人」やヒッチコックの映画「バルカン超特急」のような体験の匂いを嗅いだと考えて、慰めとすることはできる。

 ほかにも、凍結のアムール川の上の雪原散歩とか、サハリンでは海まで凍り、宮沢賢治の旅したスタロドゥープスコエ(栄浜)では岸から少し先まで凍りついていて、恐る恐る海の上を歩いたものだ。

 そのような酷寒の地で困ったのは、カメラである。シャッターチャンスに切れないことがしばしばあった。外国と言わず日本でも、三信遠の山峡の徹夜の冬祭りを見に行ったときには電池の出力低下に難渋した。

 それらの経験を踏まえての疑問なのだが、電気自動車は本当に大丈夫なのだろうか。

 トヨタの社長がガソリン車全廃・電気自動車完全移行に疑義を示したのは二酸化炭素削減の観点からで、電動車の電力需要のため発電量が格段に増えるなら、結局総体として二酸化炭素削減にならないのではないか、そのためガソリン車を打ち捨てていいのかということだが、私の疑問はそれとは違って、電気自動車は寒冷地でどうなのか、災害時に安全を守れるのだろうかというものである。つまり、カメラのように、寒冷地では電池の出力が落ちるのではないか。暖房にも電池を使うなら、さらに消耗するだろう。冬の寒冷地でも温暖な地域並みの性能が保証されるのかどうか。

 世界に冠たる豪雪地域をかかえるこの国では、このあいだのような雪による立往生が発生するのはままあることだし、天災列島だから雪でなくても通行止めの動かぬ長い車列はどこでも現われうる。そんなときに、電池が空になったら? それが冬の夜の山中だったら? ガソリンなら携行缶で補給できるが、電気の場合はどうするのだろう。

 また、水害大国でもあるこの国で、水没したらショートするのではないか、感電はしないのか等々の心配がいろいろある。素人の疑問であって、技術者はとっくに承知で対応していることとは思うが、知りたいものだ。

 いずれにせよ、設備や制度は非常時を想定して設計されねばならないというのは動かすべからざる真理である。特定の地域や住民が一方的に不利になることも避けてもらいたい。

 シベリア鉄道のロシア号は客車ごとに石炭ストーブを焚く暖房だったという。「いまのシベリア鉄道ならば、電気で暖房するのも、機関車からスチームを送ってもらうのも容易ですよ。しかしですな、もし停電したり、パイプが切れたりしたらどうなりますか。ほかの国ならば震えていればすむでしょう。しかし、シベリア鉄道の客は凍え死んじゃいます。いちばん安全で確実なのは石炭ストーブなのです」という鉄道技術者のトップの説明を宮脇俊三が「シベリア鉄道9400キロ」に書いている。いかにも、いかにもと思う。

 バリバリうるさく排気ガスをまき散らすガソリン車がいいとは全然思わない。それがもっとよいものに席をゆずって退場するなら歓迎するが、それが本当に「もっとよいもの」であることをまず示してもらわなければならない。

 

 延期されたルヴァンカップ決勝も終え、サッカーJリーグのシーズンが終了した。

 新型コロナ流行に悩まされた今シーズン、厳しい条件下でも全日程を消化した。チームに感染者が出ても延期延期で日程をやりくりし、ルヴァンカップまでやりきった。ACL出場チームは見るも気の毒な過密日程になったが、文句を言わずに従った。国際試合の日取りも無駄にすることなく、ヨーロッパのクラブに所属する選手ばかりを集めて相応の相手とヨーロッパで試合を行なった。称賛すべき手腕だ。

 前例のない状況の中、リーグ戦は整然とコントロールされていた。降格なし昇格あり、選手交代は5人まで、前後半とも飲水休憩を入れるなど、今年度限りの特例措置を盛り込みながら。指針が明確に示されていたからできたことである。華々しい勝ち戦は誰もが好むが、今回ははじめから負け戦と決まっていた。強いられた後退戦の中で、観客を含む関係者の被害を最小限に食い止める采配をした。無関心な人の目にアピールしなくても、間違いなく偉業である。

 開幕直後に中断を余儀なくされ、4か月の中絶期間のあと、まず無観客試合(これを「リモートマッチ」などと称していた。それは不適当な言い方で、無観客試合であるものをそう言い換えるのは言語の恣意的な操作、つまり言いくるめ、ごまかしであるのだが、サッカーの世界で「無観客試合」は懲罰として行なわれる習いであるから、これはそれとは違うのだとことばの上で示したかったわけで、それは意地である。意地を張るのは悪いことではない)をもって再開。その後徐々に観客を入れていったが、しかし声を出すことは禁止され、観客もそれに従い、拍手をするだけだった。海外メディアはこれを無言の幽霊のごとき「ゴースト観客」と呼んでいたが、揶揄を多少含みながらも、半分は驚嘆だったろう。彼らにはまったく無理な注文だから。

 サッカーはもともと下層階級のスポーツで、今もそうだ。観客に声を出すななどというのは、犬に吠えるな、鳥に鳴くなと命じるようなもので、守れるはずがない。欧米人はそう考えるし、それはまた実態でもある。

 そんな無理筋の命令、いや命令ですらないお願いが、日本ではしっかり守られる。なぜか。

 日本でサッカーは(それ以外の競技全般も)もともと学校スポーツである。プロリーグが確立している今も、高校サッカーはU18、大学はU22として機能している。

 学校スポーツであるという出自は、「師の教えに従う自己鍛錬」という性格を色濃く持たせ、そういう「出生の記憶」が今も保持されている。プロ選手でもフィールドを出るとき一礼する美習にその一端が見られるとおりだ。年俸が下がってもヨーロッパへ行きたがり、クラブのほうも、主力選手に対してあまりに少額の移籍金であっても快く送り出す。修行だからである。厳しい道場で強くなってこい、ということだ。

 サポーターも元は母校の応援に声を嗄らしていた連中である。「母校」の選手のたっての頼みなら、校長以下頭を下げての理のある懇願なら、たいていのことは聞き入れる。彼らあっての自分だという立場を忘れることはない。自分あっての彼らだという思い上がりから遠い。観客の男女比は知らないが、いずれにせよ欧米よりはずっと女性客が多い。「サポーターを喜ばせたい」という選手の思いは、学校時代、活躍すれば、勝利すれば、涙を流して喜んでくれるクラスの女の子の声援に応える気持ちに重なるだろう。

 入場者数制限の上限はしだいに引き上げられ、やがて鳴り物も許可された。むろん、観客数は昨年度に比べ大幅に減った。経営が苦しいところも出てきたようだが、それでも、今期だけ見ればJリーグは世界最多の観客動員数だったのではあるまいか。ルヴァン杯の決勝なんて24000人も集まった。誇ってよいことだ。

 

 そのように称賛すべきところの多い日本サッカーであるが、秋春制推進(春開幕・秋閉幕の春秋制をヨーロッパと同じ秋開幕・春閉幕の秋春制に移そうという欧米かぶれたちの迷妄)という恥ずかしい議論を根絶することがいまだにできていない。すでに結論が出ているはずなのに、否決されても何度も何度も提案してくる。これは冬に天気のいい地方の人間の考えでしかないのだ。雪国では冬の開催は無理なのだ。

 雪が積もればまず除雪がたいへんだ。大雪なら交通にも支障が出る。ただでさえ都会地より少ない観客がさらに減る。週末は昼開催でも、寒さひとしおの平日夜に開催しなければならないことも出てこよう。それでよい集客が見込めるはずがない。さなきだに経営基盤の脆弱な雪国北国の田舎クラブにさらなる負担を強いるだけである。全都道府県にJクラブをという一方の理念をないがしろにするものだ。

 また、秋春制だと学年をまたぐことになり、日本の宝である高校サッカー大学サッカーと別カレンダーになってしまう。

 夏は高温多湿で選手にはつらいが、夏の夜の観戦は観客にとっては快適である。日本が属するアジア地区は熱帯の国が多く、高温多湿の環境で国際試合を行なわなければならないことが多いのだから、それに順応するというメリットもある。選手ファーストは悪いことではないが、だからといってもう一方の柱である観客を虐待していい理由はない。

 秋春制の語を目にするたびに、冬の快晴の空しか知らない人間がこうも多いのかと嘆息する(ま、人口比から言えばそっちのほうが断然多いのではあるけどね)。

 新設の女子プロリーグは秋春制で行なわれるらしい。男子のほうで反対が強固なので、注目薄い女子のほうでそろりと手を出してきた。狡猾なジャップの小ずるいやり口である。統一されたカレンダーが壊される。非常にあくどい。

 

 かつてドイツに留学していた学者文人の回想記を読むと、冬は雪空でなければ重い曇天続き、鬱々として滅入ったなどという記述によく出会った。で、自分がドイツに行ってみると、冬だからといって別段気分に変わりはない。山陰の冬みたいな天気で、いつもと同じなじみの冬である。あれは「君知るや南の国」の人たちの感想であり、ドイツは「山陰」なのだと知った。陰は北、陽は南。だからアルプスの北、「アル陰」なのである(イタリアは「アル陽」で、アルプス真ん中のスイスは「アル中」かな)。

 NHKが職員に地方勤務を課すように、サッカー協会も職員を雪国勤務に出せばいい。そうすれば秋春制などというばかなことは金輪際言い出さないだろう。世界は広いが、日本も十分広いのだ。その気候のバラエティは世界にも稀な幅広さで、匹敵するのは中国とアメリカぐらいしかないほどなのだ。それを忘れてもらうまい。

 で、中国やアメリカに聞きたいのだが、電気自動車を満州チベット、アラスカやカナダで走らせて本当に大丈夫なのか? 石炭ストーブで乗客を守るロシアがEVハラショーと言うなら信用するけども。

クチンの日本人墓地

 ボルネオ島西海岸のサラワク州の首都はクチン。その中心部から南に下がり、バトゥ・リンタン通りから少し北に入ったところ、かつての捕虜収容所から遠からず、華人墓地の東に、「極楽山」と書かれた門と柵に囲まれた日本人墓地がある。紀元2600年(1940)記念に日本人会によって整備されたものだ。現在、明治35年(1902)から昭和19年(1944)まで、30基の墓がある。かつては46基あったらしい。

 すでに中川平介氏が「郷土石見」(100号・2016)で報告しているように(「ボルネオ島の日本人入植者」)、そこに渡津出身(島根県石見国邦賀郡渡津村とあるが、「邦賀郡」はもちろん「那賀郡」の誤記)の永井潔造の墓がある。大正8年(1919)4月29日死亡、行年27歳。「日沙商会建之」とあるから、1912年からクチン近郊サマラハンでゴム園などの事業をしていた日沙商会の職員だったのであろう。その人となりはわからないが、「春誉勇進信士」という戒名からある程度感じ取ってもいいかもしれない。死因もわからないけれど、南方特有の病気の多い土地だ、若くして亡くなる人も多かった。享年が読み取れる16人のうち、11人が20代で、1人が18歳で死んでいる。あとの4人も32歳・40歳・44歳・55歳である。海外移住者はそもそも若い者が多かったことのほかに、風土に慣れてしまうまでは温帯人は環境に圧倒されることがしばしばあったということだろう。

 

  この墓地には、島原・天草出身の女性の墓が多くある。いわゆる「からゆきさん」であろう。明治36年(1903)に18・20・21歳の若さで死んだ彼女らの墓標の前に立つと、感慨を催さずにはいられない。山崎朋子の「サンダカン八番娼館」によってボルネオのからゆきさんの居留地としてはサンダカンがとりわけ有名になったが、クチンにも彼女らはいた。

  鰐集うボルネオ島に来てみれば港々に大和撫子

 1915 年にボルネオ各地を訪れ、「邦人新発展地としての北ボルネオ」を書いた三穂五郎がこんな戯れ歌を詠んでいるが、まさにそのとおりだった(「アグネス・キースのボルネオと日本」、p.83)。

 「ボルネオ視察報告書」(1910年)というものがある。あの日沙商会の創立者依岡省三が事業の可能性を探るためサラワクに来たときの同行者、林基一が書いた。そこにはこう記されている。

 「クチンはサラワーク河の上流二十里の所にある、サラワーク国の首府にして、人口凡そ二万其内支那人六分を占め、馬来人三分、其残り一分が欧州人印度人其他の人種なり。言語は馬来語を通用語とす、支那人との間にても、馬来語を使用せるには驚くの外なし、英語を知るものは不便を感ぜず。

 欧州人の此地に住するもの凡そ四十人、何れも官憲の関係者なり、我が同胞は凡そ六十人あり、内男二十女四十あれ共、其大多数は例の賎陋なる醜業婦と、是れに関係の無頼の徒のみなるに至つては又驚くの外なし。

 新興国として一等国の列に入り、其一挙一動悉く世界の視線を惹くに至れる我が日本帝国の人民が、斯く万里異域の地迄も、身を汚し、醜を売り、以て我が国民の体面を汚せるは真に寒心に堪江ず、余は市中を散歩して之等売笑婦人を見、傍ら額に汗して車を挽ける支那苦力に対し、誠に穴にも入りたき心地せられし事幾度なるを知らず」(「日本とサラワク」、p.259)。

 「サラワク王国在留邦人の状況」(1928)では、在留邦人総数は男52人・女38人・子供25人の計115人、そのうちゴム園関係者は78人、ほかには商人16人・その他21人となっている(「日本とサラワク」、p.274)。その頃までには「からゆきさん」はほぼ消えていたようだ。1920年に日本領事はシンガポールをはじめマレー半島の娼楼をやめさせたというから、その廃娼令によるものだろう。

 この墓地に墓のある者は、男16人・女20人である。次に見るように移民の土地はふつう男が多いのだが、ここで女に上回られているのは、やはり彼女たちがいたからだろう。それでも1910年の数字ほどでないのには少し安心する。

 この問題を考えるときには、なぜ彼女らが必要とされたかを視野から外してはならない。サンダカンの1891年の男女比は3対1だった。半島マレーシアの華人の男女比に至っては10対1である。ヨーロッパ人も圧倒的に男が多く女が少ない。新開地の常である。男たちが土地を開く。だが男ばかりで労働できるわけではない。そこに需要がある。それがプル要因。貧しい日本の農村がプッシュ要因だった。自分で自分を売りとばしたり、人に売りとばされたりしてやって来た苦力たちと同じ境遇だ、ということである。肉体労働をする男たちと、同じく「肉体労働」をする女たち。女性残酷物語は男性残酷物語と地続きの場にある。膨大な数の中国人と違い、日本人の男にはそういう境遇で海外へ出て行った者が彼らほどに多くないから、からゆきさんの商売が際立つのである。それでも、たとえば明治36年(1903)、マニラとバギオを結ぶ道路建設の難工事に3000人の労働者が応募して海を渡り、700名の犠牲者の墓標を路傍に並べた(「排日の歴史」、p.41f.)。大正3年(1920)にボルネオからフィリピンへの船旅をした原勝郎は、サンダカンから三等船室に乗り込む20人ばかりの日本人と遭遇した。ホロ島で真珠貝採りをしに行く労働者である(「南海一見」、p.134)。真珠貝採りはそのころこの海域で盛んであり、日本人は優秀なダイバーだった。特に有名なのがニューギニアの南にあるオーストラリア領の木曜島で、かつて800人も日本人がいた。それはなかなかたいへんな仕事で、ダイバーの死亡率は10%だったそうだ。シベリア抑留者の死亡率と同じである。「あの時代(昭和初年)が食えるというような時代だったかね。(…) われとわが身を売って行ったようなものじゃ」(「木曜島の夜会」、p.23;25)という老人の述懐。危険に見合ったものか、金をつかんで帰る人も多くあった。からゆきさんもけっこう金を稼ぎ、「サンダカン八番娼館」の主人公、あばら家暮らしのサキさんも、仕送りで兄に田を買わせ、自分も小金を持って帰ってきている。木曜島の真珠貝採りの男たちは、そこにも来ていた日本人娼婦たちと互いを慰め合う対のありようであるのだ。年季奉公である点も同じだ。

 「醜業婦」と蔑む戦前の一等国志向の人々も、「残酷物語」「性搾取」として糾弾する戦後の意識高い人々も、高みから見下ろす点で同じものの裏表である。哀史はもちろん哀史であるが、大きな全体の中で見ること、現代の価値基準で過去を見ないことが必要である。

 

 サンダカンと同じく、クチンの日本人墓地も南向きである。つまり、日本に背を向けている。山崎朋子の「からゆきさんの墓は日本に背を向けて建っている」との指摘にははっとさせられるが、しかしよく考えてみるとおかしい。そもそもからゆきさんの墓がそこにそんな向きで置かれているのは、日本人墓地がそこにそんな向きであるからである。彼女たちの意志ではない。意志があるとしたら、それはこの墓地を造った八番娼館の主人木下クニ(彼女も元からゆきさんだった)の意志である。だが、彼女も華人墓地の続きに日本人墓地を造ったわけで、意志をいうならそれは華人の意志だろう。同じく北方からやって来た彼らにとっても、祖国に背を向けることになる。だが、地理をこそ考えるべきだ。サンダカンの町は南の海を向いてできているから、北向きに墓地を造るならひと山越えなければならない。そうすると町から遠くなる。墓参りに負担がかかる。より近い海を見下ろす斜面に造るのが自然だ。それに、港から中国や日本へ行く船が出るのである。南向きはむしろ望郷の念こそ表わすものではないか、と考えられよう。たぶん正解は、意志や望郷などというセンチメントの問題でなく、風水ではないか。北に山を背負い、南に水に臨むという風水の考えによる墓地選択であり、その華人墓地の並びに造られれば、日本人墓地は当然同じ向きになる。クチンの墓地も華人墓地の続きにある。日本人だけを見ていてはいけない。海外の日本人は中国人と寄り添っているのだ。

 少し前まで(いや、ことによると今でも)、「日本は中国の一部だ」と思っている外国人は多かった。日本人はそれに反発するが、実のところそれは半分は真実だ。ほぼすべての文化要素が中国由来で、まず漢字がしかり。チベットへ経典を求めに行く途上で行方不明になった求法僧能海寛が、西蔵の「経典は一千乃至一千一百年前頃既に自国の語に翻訳せられて、少しも他国の言語文字を借りたることなし、我日本の如きは人口は西蔵の十倍以上を有し、長き歴史を有するにも関らず、(…) 仏教盛なりと雖日本文の経典とては七千余巻の中、一部半部一巻半巻一品半品もあらざるなり、予は実に日本の学者日本の仏教徒に対して大々的不平を有せざるを得ず、美しくかゝれたる西蔵文字の経典を見て、予は実に羨望に堪へず候」(「能海寛遺稿」p.111f.)と言っているとおりだ。日本語に翻訳されておらず、漢文、つまり中国語のままで読んでいるのである。仏典から見れば、チベットは中国でなく、日本はまぎれもなく中国だ。

 江戸中期に南洋へ漂流した唐泊の孫太郎は、南ボルネオはバンジャルマシンの華僑の商家に売られ、そこでさまざまな見聞をしたうち、その地の華僑の盆会のようすをこう報告している。「七月朔日の夜より盆の祭りとて、門口に大燈籠を燈し、十三日より盆会として仏壇を錺り、朝夕の霊供を備るに、豚羊鶏抔の肉料理して祭る。(…) 十五日の夜ハ、近所組合のもの銘々出て、大筏を拵え、前成大川に浮め、右の霊供を持出し積重ね、一二斤掛の大蝋燭を燈し、川に流す。斯のごとくにして、川上より流れ通る事夥敷、其火、何様風に当りても消へず、川水に移(写)り流れ行有様ハいわん方なし」(「江戸時代のロビンソン」、p.188)。肉料理を除けば、まったく日本の盆とそっくりではないか。もちろん、中国が日本に似ているのではない。日本が中国に似ているのだ。

 

 「底辺女性史」は「底辺男性史」と合わせ考えねばならぬこと、日本は中国の一部だというのは客観的に見て半分は正しい認識であること、これらのことをクチンの日本人墓地は教えてくれる。

 

 

参考文献

中川平介「ボルネオ島の日本人入植者」、(「郷土石見」100、2016.1)

日本サラワク協会編「サラワクと日本人」、せらび書房、1998

山崎朋子「サンダカン八番娼館」、文春文庫、2008

森崎和江「からゆきさん」、朝日文庫、1980

林芙美子「ボルネオダイヤ」、青空文庫

モーム「ニール・マックアダム」(「怒りの器」所収、増野正衛訳、新潮社、1956)

キース「風の下の国」、田中幹夫訳、Opus Publications、2018

原勝郎「南海一見」、中公文庫、1979

司馬遼太郎「木曜島の夜会」、文春文庫、1980

若槻泰雄「排日の歴史」、中公新書、1972

「能海寛遺稿」、五月書房、1998

岩尾龍太郎「江戸時代のロビンソン」、新潮文庫、2006

林ひふみ「アグネス・キースのボルネオと日本(1) 「ボルネオ-風下の国」」、(「明治大学教養論集」513、2016.1)