論考

龍の文明圏

龍/ドラゴンは想像上の動物であって、巨大爬虫類、だいたいは大きな蛇で、脚があり、翼はあることもないこともあるが、空を駆けるというところが特徴である。水との関りが深い。キメラ(ライオンの頭、ヤギの胴、ヘビの尾から成る)のごとき合成怪物で、中…

サラワク日本友好協会(SJFC)史稿

サラワクという地名はあるいは多くの人にとって耳慣れないかもしれないので、はなはだ迂遠ながらその説明から始めよう。 サラワクはボルネオにあるマレーシアの州である。すると、あれ、ボルネオはインドネシアじゃなかったっけ、カリマンタンというのは何だ…

生ける少女神クマリと日本

ネパールの首都カトマンドゥにクマリという生ける少女神がいることは、ネパールに行ったことのある人なら誰でも知っている。クマリの館は観光名所になっているから。一日に一度、中庭の上の窓から姿を見せるので、そのときに居合わせれば見られる。しかしほ…

ネパールと日本の「破戒」仏教

富永仲基の「加上説」ではないが、人はあとから知ったことを先に述べたがる。人の考えや知識は時間とともに深まり広がる。つまり、今現在の考えや知識は、昔のものに上書きに上書きを重ねた結果だ。しかし、時に順序を変えて、時間軸に沿って考え直してみる…

敗者たち、たとえばマニ教(2)

ヨーロッパ人の偏見につきあってはいられない。消えた敗者ではマニ教や墨子教団などが好例だが、マニ教といえば「邪教」と烙印が押されている。一方で、兼愛非戦の墨子の教えは「古代の知恵」と見なす。マニ教にまとわりつく危険な邪教のイメージは、正統派…

敗者たち、たとえばマニ教(1)

今この世界に生き残っているわれわれは勝者である。そして勝者としてしか世界を見ない。だがその一方で、敗れ去り、わずかな痕跡を残すだけで消え去ったものたちがいる。 敗北には理由がある。退場にはわけがある。だが、敗者となり地上から消えたものたちも…

ダルマは日本へ

禅宗の始祖とされるダルマ、つまり菩提達磨(ボーディダルマ、菩提達摩とも書く)は、禅僧としてもっとも高名であるにも関わらず、たしかな生涯はわかっていない。インドから来たとされるが、インドには何も伝がない。その伝記は中国人による。次のようなも…

エヴェンキ族ノート (2)

5. エヴェンキを始めとする北方の人々は、「民族」とは何かという問いを突きつける。 中華人民共和国には55の少数民族が住んでいると言われる。そのうちの2つが北辺に暮らす「鄂倫春(オロチョン)」と「鄂温克(エヴェンキ)」だが、それは1950年代以降…

エヴェンキ族ノート

1. ビハル州のガンジス河沿いの町サヒブガンジの南にあるラジマハール丘陵には、北方ドラヴィダ語のひとつマルト語を話す焼畑耕作民マーレル人(パーリア族)が住んでいる。1963年、若き研究者佐々木高明と山田隆治は彼らの村にテントを張って調査した。彼…

イスラム習俗瞥見

極東のさらに東の果て、湿潤多雨の日本列島の住人には、西アジア乾燥地のいわゆる「砂漠の宗教」であるイスラームは、あまりにも異質に感じられる。この感覚は重要だ。長く親しんで違和感をおぼえなくなってしまったが、初めて紅毛人の異俗に接したときに、…

アララトはあるかあらぬか雲の涯

アルメニアに来たら、アララト山を見なければ。何も努力のいることではなく、首都イェレヴァンに来て、顔を南に向ければ見える。晴れていればだけど、雨の少ない土地だから、何日かいればきっとよく晴れた日にめぐりあう。 その標高は、実はいろいろな本で少…

東欧の降誕祭劇

「元日から一月六日の主顕節にかけてのあいだのことである。 当年十四歳の少年クラバートは、おなじヴェンド人のふたりの少年といっしょに門付けをして歩いていた。ザクセン選帝侯国の君主である選帝侯殿下は国内で物乞いをしたり浮浪生活をしたりすることを…