備忘録/気になる人々

好きな人を3人あげろと言われたら、むろんたくさんいるけれど、こんな3人をあげてみようか。いわく、フランツ・ヨーゼフ、マサーリク、チトー。
オーストリアハンガリー二重帝国といういささか虚構じみた寄木細工の国家、官僚的でありつつ人格的でもある、オペレッタの舞台にこそもっともよく存在しえて、今もなおそこにばかりは存在しつづけている奇妙な帝国の君主、彼以外の誰にも務まらなかっただろう任務を務めあげた皇帝=国王と、その滅亡後、彼の帝国の領域に「小ハプスブルク共和国」を組み立てあげた国父大統領たち。その国々は、彼らが生きている間だけは光輝とともに続いたが、彼らの死後いくばくもなく崩壊した。ロートの「ラデツキー行進曲」や「皇帝の胸像」はそのレクイエムである。フランツ・ヨーゼフ帝のみならず、あとの2者にとってもそうであろう。
こんな3人組もあるぞ。カーダール、昭和天皇、ヘス。前半生において問題多い決断をし、その後の長い生涯をかけてその埋め合わせをした人々である。
ヘスの場合は、前二者と比べると卑小だ。しかし、「人道に対する罪」からはほとんどまぬがれているはずながら、副総統であったため、終身刑を言い渡され、特赦も行なわれず、戦後の40年をベルリン・シュパンダウ監獄につながれていた。1966年に他の受刑者が出獄してからは、ただ一人1987年に死ぬまで広い牢獄に座しつづけた。少なからぬ監視兵に無駄な役目を与えつつ。雑誌か何かで、戦後こんなにたっているのにヘスが生きて同じこの空気を吸っているのだと知ったときに感じた一種の戦慄を思い出す。幽閉され死ぬのを待たれている暗闇の王。おとぎ話の不気味な部分である。非情で無機的機械的な現代文明の下にも「おとぎ話」が埋め込まれていると感じた。生きつづけるという馬鹿げた務め。不条理演劇は起こるべくして起こったのである。