トルコ

アナトリアを駆け足で

ひょんなことで、年末年始は旅に明け暮れることになった。 2011年はアナトリア高原を走る夜行バスの中で迎えた。――と日本語で書くと、一種ただならぬ感じがする。どうして、どんな事情で?「窓は夜露に濡れて、都すでに遠のく…」北帰行か? あらゆる文は、そ…

亡命大国

ハンガリーで反乱を起こしたラーコーツィやコッシュートは、敗れたあとトルコに亡命した。コッシュートはそこからアメリカへ渡ったが、ラーコーツィは死ぬまでトルコに住んで、その町テキルダウ(ラドストー)にはラーコーツィ博物館がある。イスタンブール…

「ユスキュダルの町に来てみたら」

江利チエミに「ウスクダラ」という歌がある。当時かなりヒットしたらしい。もとはトルコの民謡だが、日本語では妙な歌詞がついている。 「(セリフ)皆さん、トルコ帽をごぞんじでしょう。 ウスクダラはそのトルコの西のはずれにある古い小さな城下町です。 …

100段階評価

まるきりイメージのわかない国というのもあるけれど、長く外国と関わっていれば、たいていの国についてあるイメージをいだいているものだ。しかし実際にその国に住んでみると、そのイメージを裏切られることはままあり(いい意味でも悪い意味でも)、それが…

シャルワル通学

あるとき「すそ」とは何かと質問されて、説明するのに、ジャケットにもズボンにも裾はあるが、スカートがいちばんわかりやすかろうと思い、スカートをはいた学生をさがしたら、クラスにひとりもいなかった。みなズボンなのである。 そのクラスだけ特別という…

エルトゥグルル・コンプレックス

トルコの弁論大会で土日関係のことになると、学生はみなエルトゥグルル号の話をしはじめる。 エルトゥグルル号というのは、1890年9月16日、使節として日本を訪問の帰途、串本の樫野崎沖で台風のため座礁沈没したフリゲート艦である。587人が死亡、わずか69名…

イスラム暦とイベントと

イスラム教徒が人口の99パーセントを占めるトルコでも、暦は太陽暦を使う。しかし宗教的慣習的な祭日はイスラム暦によっていて、これは太陰暦である。われわれの旧暦は太陰太陽暦で、基本は月の満ち欠けによる太陰暦だが、閏月を設けて太陽暦から離れないよ…

影見姿見

昔、冬に訪れたスイスの村で、家々の戸口ごとにほうきが立てかけてあるのを見て、はてなと思ったことがある。庭ぼうきなら不思議でないが、明らかに室内用のほうきなのだ。魔除けか何かなのだろうか、魔女のほうきのことなども考えて、いぶかしみつつ眺めて…

断食もどき

日本からもどってきた翌日、時差のためか3時半に目がさめてしまった。そのときふと、これはラマザンの朝の食事の時間ではないかと気がついた。断食せよとのはからいかなと思い、のこのこ起き出して朝食をとった。それから今まで日中断食を続けている。 とい…

Do it yourself

弁論大会を作ってみよう。それは意外に簡単だ。場所があり、弁士と審査員がいればいい。そのほかにいるものは、あなたの時間と熱意。そして少々のポケットマネー。 場所はある。学校には講堂とか会議室があるから、それを借りればいいだけだ。 弁士はもとよ…

昔は歌を

昔は歌をよみしかど 心やかたくなりにけん 結べる口をほどきしは 学生やさしき心ばへ ひとり居は長くこの身の習ひなり よきおとづれに不意を打たれし三十日あまりひと日弥生のつごもりの空やすずしき人やうれしき人ごとに春はちがへど空晴れて春や昔の春なら…

トルコと日本 ここが似ている、ここが違う

日本語を習っているトルコ人やトルコに住んでいる日本人にとって、日本とトルコは互いに気になる存在のはずだ。この両者は似ているという話をしばしば聞くが、では日本語を勉強しているトルコ人の学生はどう考えているのだろうか。ということで、「日本(人)…

トルコのための本棚

昔は予習なんかしない生徒だったんだけど。大人になったら、どこかに出かける前にはせっせと予習に励む人間になってしまった。君子豹変、子どものころとうってかわるのは人生においてままあることだ。これをも成長と呼ぶか? トルコには前から興味を持ってい…

K式菜食主義

クルバン・バイラム(犠牲祭)が終わった。豚や羊の屠殺はこれまでにも東欧で見たことがあったが、ここで初めて牛の屠殺を見た。 都会地で農民でも牧畜民でもない人が家畜をつぶす機会は年にこれ1回だろう。農家の場合、年にどれくらい自家で家畜を屠殺して…

ハラショー!

いろいろな国で日本語教師をやってきたつもりだが、実は教えた国はほとんど旧ソ連諸国ばかりである。旧ソ連を偏愛しているというわけではないが(もちろん!)、暑さに弱いので東南アジアなどはダメ、しかし寒い分は割合平気ということになると、行き先は旧…