備忘録/六か国語会話集

JTBの「六か国語会話集」をパラパラとめくっていたとき、ドイツ人を指すことばが言語によって大きくちがうのに目をひかれた。ドイツ語で「ドイチェ」、英語で「ジャーマン」、フランス語で「アルマン」、イタリア語で「テデスコ」、ロシア語で「ネーメツ」というのだ。頭文字をとるとD・G・A・T・Nで、辞書にある場所が全然ちがう。日本語(「ドイツ」)と中国語(「徳意志」)はドイツ人自身の自称に忠実な貴重な例外である。
語源を調べてみるとおもしろい。「ジャーマン」は「ゲルマン」、「アルマン」は西南ドイツのフランスにもっとも近い地域に定住したゲルマンの一部族の名に由来する。本来その実体より上位の範疇を指す名称、下位の範疇を指す名称が転用せられた例である。スラヴ語の「ネーメツ」は、「おし」「外国人」を意味する語をもっとも手近な外国人であったドイツ人に当てたもの。
「テデスコ」は、形はややかわっているが「ドイチュ」と同源である。同系の英語で「ドイチュ」に対応するのは「ダッチ」で、指す対象は微妙にずれてオランダ人の意味になった。ハンガリー語の「トート」も同じ語源だが、こちらは大ハンガリー領内のスラヴ人、特にスロヴァキア人を指す。
しかし、ハンガリー人の言うこの「トート」は蔑称と見なされている。語源から見れば蔑称気味の「ネーメト」のドイツ人が気にしてないのに、なんら問題ない「トート」のスロヴァキア人はその名を嫌う。同じ語源の「オラス」「オラー」だが、「オラス(イタリア人)」がそう呼ばれて平気なのに、ルーマニア人は「オラー」をいやがり、「ロマーン」と呼ぶよう要求するのも考えれば、蔑称の問題は語源でないことがわかる。
ハンガリー人自身について言えば、近隣の民族はだいたい「マジャール」とか何とか呼んでいて、これは自称の「マジャル」から来ている。「ハンガリー」(英語)・「ウンガル」(ドイツ語)・「ヴェングリ」(ロシア語)などは、近縁の遊牧民「オノグル」「ウゴル」に由来し、英語などラテン語名称を引き継いだ名に現われる頭の「H」は、「HUN」、つまりフン族との関係をほのめかすもので、おとしめる意味でつけられたのであろうが、当のハンガリー人は全然平気で、フン族との親近をむしろ誇っているのは小気味よい。
日本人はと言えば、ドイツ人と反対に、発音だけ聞けばさまざまな呼ばれ方をしているようだが、もとをたどればほとんど自称に由来する。「日本」というのはそもそも日本国自身が自国につけた国号で、「リーベン」と呼ばれようが「イルボン」と言われようが、はたまた「ジャパン」「ハポン」「ヤーパン」、いずれにしても「日本」という漢字国号の呼び名である。
これと別系統なのは、アイヌ語の「シャモ」、沖縄語の「ヤマトンチュ」、韓国語・中国語の蔑称「ウェノム」「倭奴」ぐらいである。
「シャモ」はアイヌ語「シサム」(隣人)の訛った形、「ヤマトンチュ」はもちろん「邪馬台国」や「大和」の「ヤマト」である。アイヌ語から借用されて、「シサム」類似の呼び名はギリヤークやゴルド(ナナイ)、カムチャダールなど、サハリン・アムール流域・カムチャトカ半島の諸民族が用いる。「倭奴」は昔の中国の王朝が日本人につけた名「倭」に由来するから、これも由緒はある。「ワ」というのは日本語の第一人称(「われ」「わが」の「ワ」)によるのだろうという説があって、なるほどと思う。その音に対し漢字を当てるわけだが、その字に「委」(ゆだねる・なえる)ないし「矮」(小さい)の意味を含ませている。にんべんで、「狄」や「蛮」のようにケモノや虫でなく人間あつかいなのはけっこうだが、中華な文字づかいではある。
民族呼称はおもしろく、蔑称はもっとおもしろい。日本語で言う「ロスケ」「チャンコロ」「メリケン」(「アメ公」とちがい蔑称というわけではないが)は、それぞれ自語での正しい自称である「ルスキー」「チュングオ」「アメリカン」の崩れた形である。「ジャップ」が「ジャパニーズ」の短縮形であるのと呼応する(「ニッポン」から来た「ニップ」という蔑称もあるらしい)。蔑称は、語源をたどればきわめて正統であることが多い。それを口にするときの心根から、蔑称はわいてくる。
それぞれの民族が他民族をどう呼んでいるかの一覧表を作ってみたら、楽しいものになるだろう。あなたはあなたではない。人に見られてあなたになるのだ。