「鞍山街並み探検隊」始末

鞍山へ行く前には、昔昭和製鋼所があり日本人がたくさんいたこと(終戦時7万人ほどだったそうだ)、天津から連れ出された溥儀が満州国成立まで潜んでいた湯崗子温泉が近くにあることぐらいしか知らなかった。来てすぐに地図は入手したが、ガイドブックもない…

中国覚え帳/雅号のひとつ?

今の天皇は、戦後まもないころ、アメリカ人に英語を習っていたとき、「ジェイムズ」と呼ばれていたと何かで読んだことがある。気持ちのいいことではない。今の英語ネイティブの教師が日本人に対してそういうことをしているのかは知らない。しかし、中国人は…

敗者たち、たとえばマニ教(2)

ヨーロッパ人の偏見につきあってはいられない。消えた敗者ではマニ教や墨子教団などが好例だが、マニ教といえば「邪教」と烙印が押されている。一方で、兼愛非戦の墨子の教えは「古代の知恵」と見なす。マニ教にまとわりつく危険な邪教のイメージは、正統派…

敗者たち、たとえばマニ教(1)

今この世界に生き残っているわれわれは勝者である。そして勝者としてしか世界を見ない。だがその一方で、敗れ去り、わずかな痕跡を残すだけで消え去ったものたちがいる。 敗北には理由がある。退場にはわけがある。だが、敗者となり地上から消えたものたちも…

リオ五輪雑感

ちょっと旧聞だけど。 サッカーの日本代表は残念だったが、本来あの対戦相手で1勝1敗1引き分けは大いにありうるし、決して悪くない成績だ。グループ1位のナイジェリアが3連勝か2勝1分けで走ってくれたら決勝トーナメントに行けたわけだし。スウェーデンには…

宋寨村の村芝居座について補足的に

宋寨村は、河南省の懐慶府(今の沁陽)や清化鎮(今の博愛県)の近くにある村である。清朝最末期の明治40年(1907)に当時中国に留学中の桑原隲蔵が(宇野哲人とともに)長安への旅の途上にこのあたりを通っているので、その日記を見てみよう(「考史遊記」…

遥か欧州を離れて

最近はテレビ朝日のサッカー中継が多くて、苦労した。ヨーロッパ選手権も、キリンカップも。キリンカップのボスニア・ヘルツェゴヴィナ戦は見たが、ブルガリア戦は見られなかった。7−2というちょっとありえないスコアだったから、見ていればさぞ楽しかっただ…

留学のいろいろ (11)

後記・郷土史の悲しみ 読めばわかるとおり、これは「島根の近代留学」とでも言うべきもので、わが家の本棚と近くの図書館にある本をもとに、島根県出身者とそれに関係のある人々の留学体験を書き並べているのだが、すぐに気がつくのは、この人たちの生まれた…

留学のいろいろ (10)

留学のような、留学でないような 明治初期には、実質的に東京の官立高等教育機関での修学は「留学」であった。つまり、そのころの高等教育は欧米人教師によって外国語(英・仏・独語)でなされていたからである。 柴五郎が通った陸軍幼年学校ではフランス語…

留学のいろいろ (9)

伊東忠太の「留学」辞令 建築家・建築史家の伊東忠太(1867−1954)は、築地本願寺や平安神宮、一橋大学兼松講堂などの設計をしたことで知られるが、明治35年(1902)3月から38年(1905)6月にかけて、奇妙な大「留学」をした。 「私は大学院を兎に角一と先づ…

留学のいろいろ (8)

留学先としての日本 逆に、日本が留学の対象となることにもなった。国をあげ官民をあげて西洋知識や技術を熱心に取り入れた日本は、明治27・28年の日清戦争(1894−95)の頃までには旧文明国中国をしのぎ、アジアに抜きん出る国になっていた。戦争の帰結がそ…

留学のいろいろ (7)

留学しなかった人びと 留学するのはエリートだけではない。選良留学のほかには、まず技術留学がある。文久年間西周らとオランダへ行った職人たちに始まるから、これも伝統ある留学だ。語学習得を目的とするものもここに入る。エリートと真逆の「落第留学」と…

留学のいろいろ (6)

幸福な留学土木工学の初代の日本人教授古市公威(1954−1934)は、明治8年(1875)から13年(1880)まで留学し、フランス中央工業学校、パリ大学理学部に学んだ。滞仏時、そのあまりの勉強ぶりを心配して、下宿の女主人が「公威、体をこわしますよ」と言うと…

留学のいろいろ (5)

客死 西周らのオランダ留学に同行した職人の大川喜太郎は、留学中に病死した。江戸小石川の名高い宮大工久保田伊三郎もこの留学に選ばれていたが、船中で病気になり、長崎で下船、江戸に帰って間もなく死んだという。士分の留学生は無事帰国したが、それでな…

留学のいろいろ (4)

私的に学ぶ さて、西周らに戻ると、オランダに到着した幕府留学生一行は、ハーグとライデンの二手に分かれた。「ハーグに居つた人々では内田・榎本・沢・田口は和蘭の海軍大尉ヂノウ(Dinoux)に就いて船具・砲術・運用の諸科を学び、榎本は傍ら海軍機関大監…

留学のいろいろ (3)

北京籠城 近代蒸気船の時代には、遣唐使の頃と違い中国渡航自体は難事でないが、渡った先での生活が平穏とは限らない。いや、混乱する清末期では戦乱に遭遇するのは普通にありうることのひとつである。西欧だとて、留学中戦争勃発(第一次・第二次大戦)に立…

留学のいろいろ (2)

珍談 明治ともなれば、難破遭難など、前時代の漂流記もどきの経験はさすがになくなるが(しかし1912年遭難沈没したタイタニック号にも日本人が乗っていた。細野正文[1870−1939]という人で、鉄道院の在外研究員だったから一応留学だ)、整わぬことは多かった。…

留学のいろいろ (1)

漂流者たち 天保12年(1841)正月5日、土佐中浜村の万次郎少年(1827−1898)ら5人の乗り組んだ船は漁に出た。万次郎は当時15歳、9歳のとき父親を亡くし、13、4歳の頃から船に雇われ、魚はずしとして働かなければならなかった。沖で不漁が2日続いたあと、7日…

ドイツ歳時記

思えばもう三十年以上の昔になる。南独やスイス、オーストリアの田舎を年中行事を調べにせっせと歩きまわっていた頃、茂吉の紀行や19世紀ドイツ作家の文章を道しるべにしていた。彼らやその他の日本人留学生の日記随筆から歳時習俗に関する部分を取りまとめ…

中国人日本語学習者の漢字能力

世界は漢字圏と非漢字圏から成り、このふたつの間で日本語能力評価は異なる。世界中で行われている日本語能力試験が外国人の日本語力をはかる目安になるのだが、その試験において、非漢字圏では大学の日本語学科生でも2級合格がせいぜいで、これが現実的な目…

ドーハふたたび、ジョホールバルふたたび

こんなに弱い日本代表は久しぶりに見た。負け試合ばかり見せられた。 顔と名前とプレーが一致するのは浅野と遠藤ぐらいで(ヨーロッパ組はプレースタイルを知らない)、まず名前と顔を覚える新学期新クラスの状態だった。 北朝鮮戦は、1−1の引き分けが妥当で…

年末年始サッカー三昧

サッカーを見る機会に乏しかった昔は、年末年始はテレビサッカー観戦のほぼ唯一の「祭りの時期」だった。まずヨーロッパ王者と南米王者が対戦するトヨタカップ。それから天皇杯の暮れの準決勝と元日の決勝。あと高校サッカー選手権も準決勝と決勝を見る。地…

ある湖の話

ずいぶん昔のことなので、記憶がさだかかどうかもわからない。それは大きな海だった。いや、大きくなかったかもしれない。小さかったかもしれないが、大きくもあった。地中海ほどに。いや、地中海より大きくさえあったかもしれないのだけど。そこには水があ…

ラグビーW杯雑感

ラグビーのワールドカップが開催されていることは知っていたが、見るつもりはなかった。しかし南アフリカに勝ったと聞いて、驚いて見はじめた。スプリングボックスに勝つ? ありえない! 再放送の南ア戦を後半、22−22のところから見たが、興奮とどまるところ…

中国覚え帳/中国トルコ論

日本人はふたつの戦争(中国との戦争とアメリカとの戦争)を戦ったが、中国人にはひとつの戦争しかない。日本との戦争しかないのである。 「日本人と戦争」を考えるときにいらいらさせられるのは、被害者意識が旺盛で、加害者意識が希薄なことだ。アメリカと…

短期集中マンツーマン講座

語学の鉄則はふたつある。もっとあるかもしれないが、とりあえず次のふたつを日々感じる。 ひとつは、語学習得でもっとも重要なものはモチベーションであること。語学と言わず、すべての学習の要はこれで、よい教師とは生徒の学習意欲を高められる人のことを…

QQする私 その2

中国人とはQQで、中国人以外とはFacebookで。2本立てをさせられて非常に面倒だ。中国政府がFacebookやTwitterを禁止しているのは支配と抑圧のためであり、それを考えると腹立たしいが、アメリカの世界支配に対抗している側面については、好感を持たないわけ…

スマホでサッカー

宿舎には新品の大画面液晶テレビがあるのだが、データ回線(IT関係に弱いので、用語が正確かどうかわからない。テレビのケーブルでなく、インターネットにつながるケーブルだということ)が非常に悪く、しばしば止まる。シュートの瞬間に止まってしまう。30…

懐梆 −宋寨村を例に−(郭雪奕)

はじめに 中国河南省の焦作市、沁陽市、博愛県、温県、武陟県、修武県などは、明清朝において懐慶府と呼ばれ、当地の方言で「懐梆」という劇を作りだした。沁陽市紫陵鎮の宋寨村では地元の劇団がその劇を保持発展させている。日本の村歌舞伎と対照しながら、…

日本語科学技術雑誌

趣味のひとつが図書館内の散歩という人間で、ここ四川理工学院でも例のごとく図書館の中をぽかぽか歩き回っていたら、日本語の雑誌を大量に発見して驚いた。ほとんどが科学技術関係の専門誌で、「理化学研究所彙報」「日本金属学会会誌」のような素人でもな…