中国覚え帳/雅号のひとつ?

今の天皇は、戦後まもないころ、アメリカ人に英語を習っていたとき、「ジェイムズ」と呼ばれていたと何かで読んだことがある。気持ちのいいことではない。今の英語ネイティブの教師が日本人に対してそういうことをしているのかは知らない。しかし、中国人は英語名を名乗ることに抵抗がないようで、アメリカに渡ったブルース・リーは当然としても、ジャッキー・チェンなど香港ではふつうの習慣だし、中国本土でも英語科の中国人学生はみな英語名をもっている。それならばと思い、日本語科の学生にも日本名をつけるよう促してみた。もちろん強制ではなく、クラスに1人ぐらいはつけない者もいるけれど、ほとんど全員が嬉々として日本名を名乗っている。
それは悪くないことだと思う。日本人は漢字を使っているので、漢字名は日本語読みする。「習近平」なら「しゅうきんぺい」であって、「Xi Jinping」とは言わないし、言えない。中国人にすれば、「しゅうきんぺい」自体が外国名なので、それならいっそ日本語名で呼ばれるほうがいいだろう。宿題などの提出物にひらがなで(たとえば)「ほうれいえん」と書いてくる学生も多い。中国人からすれば「彭麗媛」は「Peng Liyuan」であるのだから、漢字で書かずひらがなで書くのはもっともであるわけだ。普通名詞もそうで、「ひなべを食べました」などと作文に書く。音読み・訓読み、漢音・呉音等々、漢字に複数の読み方があることに慣れきっているわれわれと違い、中国人にとっては「火鍋」と書けば「huoguo」であって、それを「ひなべ」と読むことはできない、ということなのだと思う。日本語にはまりこんでいけば慣れるのだろうが、1年2年では難しいようだ。
それに、中国の命名法は当然日本とは違うので、「懐造」「傑」のような、日本では字面からも音読みの響きからも男性名と思われる名前の女性がいるので、そのあたりの混乱を避けるためにも日本名は好ましい。


で、日本名をつけるのだが、その際名づけ方に3通りがある。ドラマやアニメが好きな者は、劇中の役名や俳優名などからつけたい名前を選んでくるので、日本語名として適当であり、問題はない。
まったく何も思いつかず、教師がつけてやるということもある。「明明」なら「あきこ」とか、「世勇」なら「いさむ」のように、一字をとって訓読みにしたり「子」「美」などを添えると、正真正銘の日本名になる。男性名はそのまま訓読みするのもいい。「智光」を「ともみつ」とか。「春美」という女子学生は「はるみ」でぴったりだ。
三つ目は、頭で考えた名前をつけてくるケースだ。これは日本名としては不適当なことが多い。「しょうふえ」なんてのをつけてきたのがいて、しかたがないので「ふえ」にした。「かのは」というのは「鹿の葉」だそうだが、きれいではあるものの日本人にある名前ではないし(あるかもしれないが、私は聞いたことがない)、彼女の発音だと「このは」と間違えられるだろうから、「しか」にした。まあ「おしかさん」ならいいだろう。
名前に「雪」の字があるので「ゆき」という名前にしたいという学生はOK。しかし「雨」の字があるので「あめ」という名にしたいという学生には困った。雨は日本ではいやなもので、そんな名前はないが、中国ではけっこう名前に入っている。やっぱり「あめ」では変なので、「しぐれ」にしてもらった。「しぐれ」も変だが、「あめ」よりいいだろう。かといって、「はれ」と名づけてきたのにもこまった。「晴れ」ならよさそうなものだが、うーむ。結局これは「はるこ」に。「つき」というのもいた。「おつきさん」か。だがこれは認めることにした。
どういうつもりなのか、「かか」とつけたのもいた。「おかか」じゃ鰹節だし、「かかさん」じゃ母親だから、「かが(加賀)」にして(王朝女流歌人か!)、それで本人も納得していたが、しかし彼女はどこをどう変えられたのかわかっていないかもしれない。中国人は有声音と無声音の聞き分けができず、「また」を「まだ」、「そうですか」を「そうですが」と書くのは茶飯事。彼女は宿題に自分の名を「がか」と書いてきた。絵描きになっちゃったよ。二つの音の違うことまではわかるが、それが濁点の有無と正しく結ばれないのだろう。強制的に別の名前にしたほうがよかったかもしれない。
宮野真守のファンだという女の子が「まもる」という名前にしたいと言ったときには、それは男の名前だから「まもり」にしてもらった。「まもる」という名の女の子もいることは知っているが、やはりこれは男性名だ。「まもり」なら女性名というわけでもないけれど、まあ現実的な妥協点ではないか。


日本人自身は今や奇怪奇態な名前をつけまくっているようだが、日本語たどたどしく日本国籍も有せぬ外国人だから、何でもいいわけじゃない。日本人が聞いて違和感のないものでないといけない。全般に少し(あるいはかなり)古い命名になったかもしれないが、外国人の場合そのくらいでちょうどいいと思う。古き良き日本はかえって外国人によって守られるんじゃないか?
一大欠点は、みんな自分の日本語名は覚えているものの(ときどき忘れるようで、出欠をとるとき返事が遅れる)、人のまでは覚えていない。「すみかさんがね」と他の人の日本語名を言っても誰のことだかわからず、話が進まない。かといって日本語読みで「ジョギンコウさんだよ」と言ってみたところで、やっぱり「誰?」なんだから、まあこれでよしとしよう。