年末年始サッカー三昧

サッカーを見る機会に乏しかった昔は、年末年始はテレビサッカー観戦のほぼ唯一の「祭りの時期」だった。まずヨーロッパ王者と南米王者が対戦するトヨタカップ。それから天皇杯の暮れの準決勝と元日の決勝。あと高校サッカー選手権も準決勝と決勝を見る。地元チームの試合も見ることがあるが、これはたいてい1試合だけ。最大2試合でかたがつく(今年も1試合ですんだ。2点を先制したのであるいはと思ったが、後半は負け試合の様相、それでも2−2でこらえていたので、PK戦で何とかという期待があったけども、ロスタイムにロングスローからついに決壊した。強いほうのチームが勝ったのだから別に不足はないけれど、攻め込まれて危ないときは高校生らしく外へクリアするのだが、それが全部コーナーキックになって飛んできてしまうあのスローインは反則レベルだった)。
この冬は久しぶりに年末年始にサッカー中継を見まくることができた。あのころと同じ天皇杯(ガンバ対浦和。これとガンバ対広島のカードばかり見た年と記憶されるだろう)と高校サッカー選手権(クラブユースチームができて高校サッカー自体のレベルは下がっているのかもしれないが、負ければ終わり、チームと断固として一体の忠実無比なサポーターの応援を受けた高校生の、名誉のみを賭けた無償の熱戦だから、おもしろくないはずがない。決勝のフリーキックでのトリックプレーが秀逸。ああいうのは立正大淞南の十八番だが)のほかに、皇后杯(今回の決勝は生ける伝説澤選手のできすぎた引退試合でもあった。澤に点を取らせよう取らせようと、コーナーキックをみんな彼女に合わせてきたが、いくら集めてこられても取れないときは取れないものだから、やはりすごい。準決勝で、PKの練習をしていなかった驕りのチームがPK戦でプレゼントキックばかり蹴って敗れたのが教訓的)と高校女子サッカー選手権決勝(3つのスーパーゴールが見られた)が加わり、そしてトヨタカップ変じたクラブワールドカップで8試合のタイトルをかけた真剣勝負が見られた。


ブラッター会長には感謝しなければならない。この大会の開設を含め、彼は実によく世界のサッカーに貢献した。金権腐敗のみが云々されるのは不公平であり不誠実だ。「功罪半ば」より功のほうが多い。罪は金権腐敗の一点のみだから。
ヨーロッパ王者には準決勝という余計な一戦が加わって気の毒だが、それ以外の大陸王者にとってはすばらしい大会だ。南米王者も多少気の毒でないことはないが、しかし彼らはときどき負けるから、準決勝という関門には参加する必要がある。それに、リヴァープレートのサポーターは1万人だか2万人だかが大金を投げうって遠路地球の裏側からやってきたわけで(大して裕福でもあるまい人々のその蕩尽ぶりには、いささかの同情と多大の羨望を覚える)、この機会を十分楽しんでいるんじゃないか。コリンチャンスのサポーターも大勢来ていたな。彼らはそのうえ勝ったから、言うことなしだ。
広島は大健闘だった。3勝1敗。マゼンベ、リーヴェル、広州恒大戦では、最初は相手の身体能力にあたふたして今にも失点しそうだったのに(広州戦では実際失点した)、やがてそれに順応して、あのひょろい体で組織と技術で対抗し、時には圧倒していた。負けたリヴァープレート戦もよかった。しかしあれは1-0で勝ち逃げするサッカーだ。戦術的にはあれでOKというか、あれしかないのだが、カウンターで絶好の決定機をいくつか逃がしているうちに先制点を奪われた。あのくらいの相手なら先制点を奪われるなんて高い確率であることで、さてそれで0-1になってがっちり守られると、ろくにシュートが打てなくなった。南米チームとの差はやはり大きい。まして、そのチームに何もさせなかったバルセロナとの差は、考えるだに恐ろしい。同じく決定的な差を痛感させられたけれども、ガンバとマンチェスター・ユナイテッドの見事な打ち合いはすがすがしかった。広島のは苦かった。ま、あのときのガンバはアジアを勝ち抜いたチャンピオン。今回の広島は開催国枠だから、ただ賞賛を優先すべきなんだけどね。
異なる種類のサッカーが見られたのが何よりうれしい。身体性や民族性の違いによってサッカーがいかにさまざまなヴァリエーションを示すか。それを目の当たりにするのは悦楽である。Jリーグチームのサッカーは、チームによって多少の違いはあるけれど、結局のところは似かよっている。他と激しく異なるチームなんかない。それはたとえば日本車のようなもので、メーカーによる違いが多少はあるとしても、たとえばドイツ車が、フォルクスワーゲン、ベンツ、BMV、ポルシェと、まったくコンセプトが違うのから見れば、無に等しい。日本車というカテゴリーとしてなら確かに明らかな特徴があるけれど。日本代表なら、国際大会はいくつもある。クラブチームにはこれとスルガ銀行カップACLしかない。ACLを罰ゲームだの、優勝以外は意味がないだの言う人々がいる。断じて否である。サッカーの真髄は国際戦にあり、アウェイ戦にある。いろいろなピッチ内外の困難にもまれなければ、強くなどなるものか。日本一などというドメスチックな称号は賞賛の半分にしか値しない。あとの半分を世界で取って来い(鹿島のことだとかどうとかは言わないが。あ、言ったか)。


それから、Jリーグのチャンピオンシップ(CS)があった。この1回戦と決勝第1戦はおもしろかった(第2戦はそれほどでもない)。
CS導入については議論があり、反対も多かったと聞く。しかしこの3試合を見て思ったのは、これはありだな、ということだ。タイトルをかけた真剣勝負である。白熱する。ひりひりするような戦いだ。負けてもサポーターがぬるく喜ぶような勝負ではつまらない。口先だけの薄っぺらなパロール「負けられない戦い」は聞き飽きた。本当に負ければすべてを失う戦い、この一年の積み重ねが一瞬で無になるようなそういう戦いを経て、強くたくましく成長してほしい、と思った。


チャンピオンシップについては、このやりかたがいいとは全然思えない。年間勝ち点などに準拠するからおかしなことになるのだ。第2ステージ順位表と年間順位表を両方にらまなければならなくて、わかりにくく、混乱を招く。
年間順位を言うなら、それの1位がチャンピオンなのが当然で、年間1位がチャンピオンになれない制度はおかしい、という自然で真っ当な反論が出るのだ。考えてみるまでもなく、年間3位だの4位だのが1位をさしおいてチャンピオンになるのは理不尽なことである。そういう制度設計だから反発が出る。
チャンピオンはチャンピオンシップで決める。そのCS出場権を1年かけて決めるわけだ。その場合肝要なのは、チャンピオンシップはチャンピオンによる戦いでなければならない、ということである。私案はこうだ。
出場権は、第1ステージ優勝者、第2ステージ優勝者、ナビスコカップ(N杯)優勝者に与えられる。
ステージ優勝者のうち、年間勝ち点の多いほう(Aチーム)が最終戦をホームで戦う権利を得る。少ないほうのステージ優勝者(Bチーム)は、まずN杯優勝者とホームで予備戦を戦わなければならない。その勝ったほうがAチームとホーム・アンド・アウェイで年間優勝を賭けて戦う。年間勝ち点は、ただ降格とこのA・Bチーム決定のときにのみ考慮する。
第1ステージ優勝者、第2ステージ優勝者、ナビスコカップ(N杯)優勝者のどれかが重なり、2チームしかないときは、予備戦は行なわない。三者同一チームなら、N杯準優勝者に出場権が繰り上げられる。
90分ないし90分+90分のレギュラータイムで同点なら30分の延長戦、それでも同点ならPK戦で決着をつける。しかし、N杯優勝者はPK戦の権利がなく、延長同点なら負けとなる。N杯準優勝者には延長戦の権利もなく、レギュラータイムで同点なら負け、というふうに、アドバンテージをA・B・N杯優勝・準優勝の順に傾斜配分する。
クイズ番組の「最後の問題は得点が倍になります」ルールを適用して、負けている下位チームがロスタイムに同点に追いついたら「一階級昇進」となる。つまり、N杯優勝者の場合はPK戦に、N杯準優勝者は延長戦に持ち込む権利を得る、というインフレルールを取り入れてもいいんじゃないか。


ナビスコカップのような別の大会をからませるのが不適当なら、第1・第2ステージ優勝チームと、それを除く年間順位の上から2(ないし3)チームの計4チームによるチャンピオン決定リーグを行なうというのでもよかろうと思う。年間勝ち点最多チームが3戦ともホームで行ない、2番目のチームは2戦を、3番目のチームは1戦をホームで行なう。勝ち点・得失点差・総得点とも同じなら、年間勝ち点の多いほうの勝利とする、というふうにして。


おもしろくなること、日本サッカーが力をつけること、これ以外に望むものはない。2ステージ制だろうが何だろうが、日本サッカーが強くなるためならけっこうだ。