中国人日本語学習者の漢字能力

世界は漢字圏と非漢字圏から成り、このふたつの間で日本語能力評価は異なる。世界中で行われている日本語能力試験が外国人の日本語力をはかる目安になるのだが、その試験において、非漢字圏では大学の日本語学科生でも2級合格がせいぜいで、これが現実的な目標となる。在学中に2級合格する学生は半数以下だ。1級合格は例外的によくできる学生ないし日本へ短期留学して帰ってきた者にごくたまに見られるにすぎない。
それに対し、漢字圏では3年次に1級に合格が多数出るし、2年次に合格する者もいる、というぐあいだ。2級は受験料の無駄と考えて受けず(中国の受験料は日本国内より高い)、1級合格のみを目指すこともふつうにある。
しかし、非漢字圏と漢字圏の1級のレベルは同じではない。非漢字圏で長く教えてきた者が漢字圏(端的に言って中国)の学生に接したときには、きっと驚きを感じる。ああ、この学生は2級レベルだな、こちらの学生は全然話せない、3級(N3)か、あるいはそれにも足りないかもしれない、などとそれまでの経験から能力を踏むのだが、あとで2人とも1級に合格していると聞いて、のけぞる。
日本語能力試験は、文字・語彙/読解・文法/聴解に分けて能力を問う。このうち文字は要するに漢字であり、非漢字圏の受験者にとって大きな障壁である読解問題も、漢字圏の受験者にとってはそれほど難しくない。漢字の字はもちろん知っているし、漢字には意味があるわけだから、それが読解の助けとなる。読解において、漢字は非漢字圏ではブレーキとして、漢字圏ではアクセルとして働くのだ。N2に合格できるかどうかというレベル、会話力に関してはN3程度と見られる学生が、フランクルの「夜と霧」を日本語で読んでいる。漢字がアクセルになっているからこその風景である。
能力試験の問題において、コミュニケーション能力が問われるのは聴解のみである。その聴解を中国人学生は苦手としており、聴解の得点は悪い。だが、それは悪いのではなくて、本来2級3級の力の者が1級を受けているからそういう点になる、ということなのである。能力試験では足切りが行なわれていて、総点では合格点に達しているが、聴解で基準点に届かず不合格になったという学生もいた。実際の数字は知らないが、聴解では漢字圏・非漢字圏とも同じレベルなのではないかと思う。

漢字というおもしろい文字には、表音文字と違い、字に形・音・義があるわけだが、そのうち形・義は、微妙な違いはあるものの日中でだいたい同じである。
形の違いはほとんどが略字の問題である。正字を使う台湾・香港なら日本で使われる略字だけが問題だが、大陸では略字(簡体字)が行なわれているので、それによって異同が生まれてくる。日本・中国とも正字を用いる(島・根など)、日本が正字・中国が略字(時など)、その逆(桜など)、日中とも略字だが、それには同形略字(学など)である場合と、異形略字(県など)である場合がある。そのほか、日中で別字が用いられるケース(願など)、日本で作られた国字(峠など)というのもある。しかし、漢字をゼロから覚えなければならない非漢字圏の学習者の困難に比べれば、どうということのない問題だ。
だが、中国人にとっても日本語の漢字には難しさがある。形・義はいいとして、音の問題だ。日本語の漢字には、まず音読み・訓読みがある。音読みも複数ある。呉音・漢音だ(「行」に対する「ギョウ」「コウ」)。さらに唐音があることもあり(「アン」)、慣用音というのもある。
訓読みも複数ある(「生」には「い(きる)」「う(まれる)」「「お(う)」「は(える)」「き」「なま」」)上に、熟字訓というのもある(「田舎」が「いなか」)。「下手」と書いてあっても、「したて」「しもて」「へた」「げしゅ」という読みがあるわけだからたいへんだ。さらに、訓読みでは送りがなをどうつけるかという問題もからむ。
また、日本人であるわれわれ自身が困却している問題だが、日本語には音素が少ないため、同音異義語が無数にある。「カテイのモンダイ」と言われたとき、「モンダイ」は「問題」とすぐわかるけれど、「カテイ」は「家庭」「仮定」「過程」のどれであるか。たいていはコンテクストをよく聞くことでわかるけれど、これの場合などは同じ文脈で出てくることがあるから、細心の注意が必要だ(「課程」もあるぞ)。日本人が困っている問題に、外国人が困らないはずがない。

中国人はなるほど漢字は知っているものの、日本語の漢字という点では決して十分でないと感じていたので、その程度をはかるため漢字検定の問題をやらせてみることにした。大学の日本語専攻3年生36人が対象である。漢字はもちろん知っているわけだし、このうち3分の1は日本語能力試験1級に合格している(あるいはこの直後合格する)わけだから(1級は常用漢字ができて日本の大学で学べるレベルとされている)、常用漢字習得レベルである2級の問題をやらせた。ただ、60分の問題なのだが、時間が足りず45分で終わったので、その点不完全であることを断っておかねばならない。100点満点換算で80点以上が合格水準である。
2級は、1読み・2部首・3漢語構成法・4四字熟語・5対義語・類義語・6書き(同音異義語)・7誤用訂正(同音漢字)・8書き(字訓・送りがな)・9書き、の諸問から成るが、これは、a.日本語力が問われる問題(1・6・8・9)と、b.漢字の知識が問われる問題(2・3・4・5・7)に分けられる。

1・9は日本人にはおなじみの漢字書き取り問題で、
(一)次の下線の漢字の読みをひらがなで記せ。
国王への拝謁を許される。
(九)次の下線のカタカナを漢字に直せ。
旅の地でキョウシュウを覚える。
のようなもの。
6は同音異義語の書き分け、
(六)次の下線のカタカナを漢字に直せ。
ユウキュウ休暇をとって旅に出る。
古都でユウキュウの昔をしのぶ。
8は送りがなも書かせる。
(八)次の下線のカタカナを漢字一字と送りがな(ひらがな)に直せ。
大臣の一言が物議をカモシた。

漢字・漢語そのものに関わる問題は、全問を掲げておく。
(ニ)次の漢字の部首を記せ。
1 摩     6 尉
2 辞     7 栽
3 喪     8 享
4 準     9 廷
5 竜     10 履

(三)熟語の構成のしかたには次のようなものがある。
ア 同じような意味の漢字を重ねたもの(岩石)
イ 反対または対応の意味を表す字を重ねたもの(高低)
ウ 上の字が下の字を修飾しているもの(洋画)
エ 下の字が上の字の目的語・補語になっているもの(着席)
オ 上の字が下の字の意味を打ち消しているもの(非常)
次の熟語はどれにあたるか、一つを選べ。
1 衆寡     6 奇遇
2 殉難     7 慶弔
3 畏怖     8 抗菌
4 謹呈     9 核心
5 不偏     10 仙境

(四)問1 次の四字熟語の(1−10)に入る適切な語を下の中から選び、漢字ニ字で記せ。
ア 大言(1)     カ(6)腹背
イ 白砂(2)     キ(7)努力
ウ 外柔(3)     ク(8)馬食
エ 高論(4)     ケ(9)奇策
オ 初志(5)     コ(10)丁寧
かんてつ・げいいん・こんせつ・せいしょう・そうご・たくせつ・ないごう・ふんれい・みょうけい・めんじゅう
問2 次の11−15の意味にあてはまるものを問1のア―コの四字熟語から一つ撰べ。
11 意表を突くたくみなはかりごと。
12 格別にすぐれた意見や考え。
13 実力のない人が偉そうな口を利くこと。
14 相手に服するように見せて心では反抗している。
15 見かけは穏やかだが強い精神力を持つ。

(五)次の1−5の対義語、6−10の類義語を下の中から選び、漢字で記せ。右の語は一度だけ使うこと。
1 特殊     6 学識
2 横柄     7 死角
3 栄転     8 沈着
4 富裕     9 猛者
5 厳格     10 永眠
かんよう・けんきょ・ごうけつ・させん・せいきょ・ぞうけい・たいぜん・ひんきゅう・ふへん・もうてん

両者に関わる7はこういう問題だ。
(七)次の各文にまちがって使われている同じ読みの漢字が一字ある。上に誤字を、下に正しい漢字を記せ。
民主化運動を率いた指導者を縮清し、長年にわたる独裁体制を維持しようとしてアフリカの政府が崩壊した。

2の部首問題は完全に日中共通のはずである。3は論理的に考えればできる。4・5については、日本語の音読みを知っている必要はあるけれど、漢語についての知識であるから、日本語力は必要がないはずだ。7は、漢字だけ見ても誤用部分がわかるだろう。訂正には日本語の読みと同音語の知識が必要になるが。

そもそも能力試験1級にどしどし合格する中国人学生の日本語としての漢字能力に疑いをもっていたため試みたテストだから、ある程度の低さは予想していたが、これほどとは思わなかった。平均点は100点満点換算で31.0点、最高点は50,5点だった。テスト時間の不足を考えて、単純に3分の4を掛けても、なお低い。
時間が規定どおりでなかったので、得点は意味をなさない。それで、解答率・正解率a(問題数あたりの正解率)・正解率b(解答数あたりの正解率)を出してみた。その結果が下の表である。


    1  2  3  4-1  4-2  5  6  7  8  9  計
    読み 部首 構成 四字 熟語 対・類 同音 誤字 字訓 書き
解答率 60.9 95.3 96.4 21.1 47.8 40.3 41.7 44.2 40.0 38.4 52.9
正解率a 29.4 72.2 71.4 3.1 21.1 23.6 30.3 36.4 25.6 24.9 31.9
正解率b 48.2 75.8 74.1 23.7 44.2 58.6 72.7 82.4 63.9 64.7 62.3
    2:(37.3)

まず言えることは、解答率が低い。およそ半分が白紙である。もちろん時間が短かったことがひとつの要因だが、全問に対する正解率(正解率a)は31.9%(もってのほかだ)、解答に対する正解率(正解率b)も62.3%と低いところから見て、仮に60分あって解答率が75%になったとしても、75%の60%で平均45点というところだ。それより低いこともありうる。できそうな問題からやっていったに違いないので、解答率の上昇は正解率bの上昇に必ずしもつながらないだろうし、むしろいくぶんか下がるかもしれない。
日本語能力試験1級で180点中174点取ったきわめて優秀な学生が、まだ時間があるのにあきらめて手を止めていて、45点しか取れていない。解答率は60.8%、正解率bが75.7%。彼女ですら、試験時間が15分増えたことで6割の解答率が8割に上がったと仮定しても、75%を掛けて60点である。
四字熟語の解答率が異常に低いことも目につく。正解率もおそろしく低い。知らないはずはないので、四字のひとまとまりを特に意識していないのであろう。解答欄の8割が白紙という状況は、このトピックの準備を十分にすることによって劇的に改善するだろうから、そこで10点ぐらい上がることは期待できる。
対義語・類義語も中国人には難しくないと思われるのに、平均より低くなっている。
誤字訂正は、白紙は多いものの、よくできていると言ってよさそうだ。
読み・書きの問題の正解率は高くないのはいいとしても、書きより読みのほうが低いのはおそらく中国人の特徴だろう。書きの3問中、同音異義語書き分けがいちばん高くなっているのもそうだろうと思う。

部首の結果は意外だった。これには日本語力はまったく関係ないし、そもそも中国は漢字の母国で、漢字の字書は部首別に配列される。部首の知識が日本より深くこそあれ、浅いなどということはありえない、と当然考える。たしかに、解答欄の白紙は少ない(95.3%)。ところが、採点してみると10問中3つか4つしか「正解」(漢字検定協会による正解)がないのにびっくりする。正解率は37.3%なのだ。
第2問の漢字について、日本の漢和辞典では、
1 摩:手/2 辞:辛/3 喪:口/4 準:氵/5 竜:龍/6 尉:寸/7 栽:木/8 享:亠/9 廷:廴/10 履:尸
となっていて、それが漢検の標準解答でもある。
ところが、大陸中国の「新華字典」を見ると、「尉」が寸、「廷」が廴、「履」が尸部なのは日本と同じ。しかし、「栽」は木・戈、「享」は亠・子の両部で現われ、それぞれ木、亠が「正規」としているのはいいが、「摩」は手・麻部の両属で、麻のほうが「正規」だとしているのである。同様に、「辞」が辛・舌部両属で舌部、「喪」が口・十で十部、「準」が氵・十で十部を「正規」と見なしているのには驚く(「竜」は載っていない)。漢字分類のスタンダードである「康煕字典」は日本の漢和辞典と同じ分類だからだ(というより日本の辞典が「康煕字典」を基にしているのだが。なお「康煕字典」では「辞」は辛・舌両部に現われる。「諸橋大漢和」も同様)。
さらに「辞海」では、「摩」が麻、「辞」が舌、「喪」「準」が十部に載るのみならず、サイ(「栽・哉」の「木・口」を除いた形)部というのが立てられて、そこに「栽」が属すことになっている(「竜」字はなし。「竜」は「龍」と同字で、日本では「龍」の新字体とされ、漢和辞典は龍部の字とするが、「康煕字典」「諸橋大漢和」は立部に載せている)。
このような部首分類を知って、非常に驚いた。なるほど「喪」は現在簡体字を使っており、それでは二つの「口」が点で表わされているので、十を部首とするのは理解できる。「準」も「准」で代用されて使われぬ文字になっている。しかし、意味を表わす部分(意符)・音を表わす部分(音符)から成る形声字は、意符を部首とするのが原則である。十部とすると「淮」が音符ということになるが、それは「ワイ」だ。音符は「隼(シュン)」だから、水部でないとおかしい。「摩」も同様で、「麻」は「マ」という音符、意符の「手」が部首にならなければならない。形やわかりやすさを優先して、索引においてどちらからでも検索するようにするのはいいが、部首ということでならルールに則らないといけない。
そういう疑問はもつけれど、学生たちが現在便宜主義的人民共和国流の部首を習っているのならば、「康煕字典」をかざして不正解とするわけにもいかないので、「新華字典」や「辞海」が部首としているものも正解と扱った(「竜」の立部も)。すると72.2%の正解率(正解率a)になり、これなら漢字の母国の面目は立つようだが、何でもかんでも正解扱いにしてなお8割に達しないのでは、やっぱりなあ。
辞書も学生が使うようなものならピンインでabc順に配列されているのだから、驚くことではないのかもしれない。第一これは日本語能力には関係なく、無視していいようなトピックだ。とはいえ、中国が漢字の国であることを考えれば、意外の感はやはり深い。
日本が大陸で廃された東アジアの文化伝統の保持者となっている例がいくつかあるが(元号・縦書きなど)、部首もそのひとつらしい。中国で「論語」が横書きされているのを見て、驚きとも何とも言えぬ声をあげたものだが、部首についても同じ感想を持つこととなった。

要するに、漢字は形・音・義から成るのだが、中国人日本語学習者は、漢字の形・義が短絡し、音(日本語の)の習得が不十分であるという傾向が数字に表われた、と結論できる。それはひるがえって中国語を前にした日本人に対しても言えることで、漢字圏では字が意味をもつことの便利さによりかかる「素読・筆談コミュニケーション」からなかなか出られない、ということであろう。
形・義と音をしっかり結ぶことが中国人の日本語学習には必要である。それには古典的な書き取り問題をやらせることが有効ではないかと思われる。そういう問題は語彙力・読解力をつけるにも役に立つはずだ。5級あたりから漢検問題を次々にクリアしていく、というのもいいかもしれない。中国人は試験勉強が得意でもあるし。