ある湖の話

ずいぶん昔のことなので、記憶がさだかかどうかもわからない。それは大きな海だった。いや、大きくなかったかもしれない。小さかったかもしれないが、大きくもあった。地中海ほどに。いや、地中海より大きくさえあったかもしれないのだけど。そこには水があった。水の塊が。水は命である。命がなみなみと湛えられていた。それは魚の姿をしていて、鳥の姿もしていて、船の姿もしていた。小さいくせに帆がやたらに大きいヨットの姿がいちばん目立っていて、鳥はたいてい白かった。
そこにはコンスタンチノープルがあった。ずいぶんしけたコンスタンチノープルだったが、やはりコンスタンチノープルだった。水路が町をふたつに分けていた。それは川だったかもしれず、かなり有名な川だったように思えるが、それは重要ではない。川のほとりに低い塔があったはずだが、それも重要ではない。いくつかの本屋があった。「本の船」という本屋によく通った。ある裏通りの小さな本屋は、テオなんとかという、まじないだが哲学だか、何かを探している人が、探していたのはこれだったと思い込めるような何かを扱う店だった。それを信じる人は、それを信じる人ならきっとこのようだというものに、自然に近づいていく。そのような人びとの繊細さと静かさは、時間や気配の流れも外のほこりっぽい世界とは違うものにしていた。そこへ、その店の客ではない男が突然入ってきた。別の店を探していて、その場所を尋ねたのだ。無作法ではなかったし、声が大きすぎたわけでもないが、決定的に異質なその男が空気と時間を一時かきまわして、その店の客らしくないやりかたで扉を閉めたあと、女店主のふっと漏らした吐息とともに、片隅に身を縮めていたもとの時間がふたたび店内を満たした。
それは夕方だったように記憶する。授業が終わって町へ行ったのだろう。だが、午前中でなかったとは言えない。授業がない日だったかもしれないじゃないか。土曜日とか。ああ、ばかな、何を言ってるんだろう。どっちだっていいじゃないか! でも、どちらかに決めなければならなくなったら、午後のほうにしようと思う。
そのあとで、夢想した。復活祭の兎を探しに、姉と年若い弟がひっそりやっている静かな菓子店に闖入してくる少女のことを。嵐のようにやってきて、嵐のように去っていったその女の子と弟は、奇妙な旅に出る。無謀な革命を掘り出しに。それはすべての敷石の下に埋もれている。
教会があった。中に石彫りの聖者像があった。あ、それはこの教会だったか? 対岸の教会じゃなかったか? まあいい、この教会にしておこう。人の騒がしい思いを静かにさせる石像だった。ああ、違った、やはり対岸だった。聖者像の前でこそ澄んでゆく思いは、その前を離れるとあちこちするばかりだ。
そこにはヴェネチアがあった。海に浮かんでいた。港をライオンの像が守っていた。それは陸地と築堤でつながっていて、汽車はあれよあれよのうちに海へ突っこんでいくのだった。まじまじと見開いた眼に、水の中に沈まず進む列車が、空から見ているようにありありと見えた。
そのヴェネチアでなく、コンスタンチノープルのほうにも小ヴェネチアがあった。埋立地が。そこにテントを立ててサーカスの興行があった。夕暮れどき、開演を待つひとときに、テントの中でキャッキャとはしゃぐはずの女の子たちが、手をつないでロンドを踊っていた。楽しそうな顔が、たそがれ時の薄い光の中で切なそうにも見えた。そればかり覚えていて、肝心のサーカスの出し物を覚えていないのはどういうわけか? いや、覚えている。覚えているが、それはおもしろかったということだけだ。そして、やはりちょっと切なかったということと。
町の近くには、花の島があった。北国から来た伯爵がその持ち主だった。伯爵のずっと前の先祖が三十年戦争のとき分捕ったらしい。花を愛する老年の伯爵の妻は、伯爵よりずっと若かった。子供が生めるほどに。
町の対岸へ船が通っていた。そこには女流詩人の住んでいた城があった。その肖像画を見れば、美しい人だったことがわかる。ブナの木がどうこうというふしぎにアルカイックな話を書いた人だ。北方の堀に囲まれた城に住む貴族の娘で、生涯独身で、古城に住む文献学者に嫁いだ姉のもとで暮らした。姉もかなり歳がいってから結婚した。夫は、学者の常として、家庭よりもまず書斎を愛する人だったのだろうと想像する。きっと、いくぶん退屈な人だったに違いない。よい夫は退屈に決まっているから。よい妻が退屈なように。よい退屈な妻は、よい退屈な夫を退屈なやりかたで愛し、退屈が発酵して幸福となるまで、日々が一日一日とくりかえされる。時折のささいな事件に邪魔されながら。詩人のほうは、その退屈のお裾分けをもらって、その退屈に彼女の分の寄与をした。彼女の生涯にことさらに悲劇的なところはないのに、どうしたわけか悲劇的に感じてしまう。美しさは、高さと同じく悲劇とも親和性がある。悲劇によって美しさはさらに美しさを増す。人びとは、高さや悲劇によって深められた美しさを愛す。事実がなければ捏造してしまうほどに。そして古城は、彼女と違うありかたで美しかった。
そこには工業都市があった。そこでは伯爵が飛行船を作った。紙飛行機と飛行機はどちらが先にあったんだろう? 止まったら落ちてしまう飛行機というのは、無理無体な乗り物だ。車は道の真ん中で止まっても車だし、船は海の真ん中で止まっても船だが、飛行機は空の真ん中で止まったら、飛行機じゃなくて残骸だ。飛行船は空の真ん中で止まっても飛行船のままである。だから飛行船のほうがかしこい。この湖のほとりに生まれた伯爵はきっと、船をたくさん見すぎたのだろう。空を駆けることを考える人たちのふたつの衝動のうち、速く行くより高く昇ることのほうを、船を見すぎた伯爵はとったのだ。
海の上に舞台のある町では、夏になるとそこでオペラをやった。オペラなら、あちこちの町の人や村人が自分たちの村や町でときどきやっていた。終わったあと、出演した村の芝居好きののど自慢たちは、行きつけの酒場で大笑いしながらビールのジョッキを傾けていたにちがいないと考えると、それはオペラよりもっと楽しく思えた。
その湖から山手に入ると、世界一小さな国があった。ほんとうに世界一小さいのかどうか知らない。つまらない厳密さにわずらわされまい。それはたしかに小さかった。しかし名前は長かった。その長さで小ささの埋め合わせをしたいかのように。それは中世の生き残りの切れっぱしだった。だから愛らしかった。たとえ見るべきものがそこになくとも。
コンスタンチノープルは地中海と黒海を分ける。黒海に浮かぶなだらかでしまりのないクリミア半島には、古い修道院があった。それは古くてくすんでいて、人が失った別の時間が沁みこんだ壁をもっていた。中世研究という算盤に遠い学問をする学者たちの歓びの源となっていた。そして学者は中世の算盤について本を書いた。バベルの塔についても、5巻ものうずたかい書物を。南のほうには別の有名な修道院があって、そこはバロックによる化粧がほどこされて、人から遠いものを人近くしていた。しすぎていたかもしれない。赤い花がその様式の黄色によく映えていた。映えすぎていたかもしれない。
黒海には、ジブラルタルがあった。そこに滝があった。滝は汽車から見えた。瀑布である。ジブラルタルにはそんなものがなければならないと人に確信させるような。歓声をあげる行楽客のかたわらで、そのすぐそばには水の怪物がいて、水の乙女もいて、ときどき人をたぶらかしたり水中に引きずり込んだりしていたはずだが、記録に残されていない。人間の記録はずさんになりがちだ。
その海のほとりから、アルプスを横切る鉄道が走っていた。山腹をがしがしと登る汽車の窓から、向かいの山塊が圧倒的な量感で眼に迫った。
もっとなだらかな方向へも鉄路は続いた。そこには、神の九柱戯場と呼ばれる、にょっきりそびえる山がいくつも並んでいた。焦点の深い眼で見れば、神々が遊んでいるところさえ見えるのだろう。その神はもちろん異教の古い神だ。
町には渡し舟もかつてあったのだが、そのころはもうなかった。ほかの町にそれはあった。綱を両岸に張り、何も動力を使わずに流れの力で渡るのだった。それは知恵の目に見える形だった。
水は霧としても、靄としても、その地方を浸していた。夕方アルプスの山手のほうから降りてくると、海とそのまわりは霧の中に沈んでいるのだった。靄は、水面にも、街角にも、ことばにも、考えにも入りこんできた。町を印象付ける赤い屋根瓦も白っぽかったような気がする。水気が作用するのか、夕暮れ時は紫色だった。中空に浮かぶ柔らかい赤の粒子が紫に変わりながら、日は暮れていった。
住んでいた屋根裏部屋は細長くて、壁の一方は垂直で一方は対角線をなしていたので、首をななめにかしげながら暮らしていた。夏はめっぽう暑く、冬は天窓から落ちてくる雪を真下から見ることができた。雪を下から見て喜ぶのは子供かばか者にちがいないと思うが、ともかく、ガラスは偉大な発明である。夏には下の住人たちよりわずかに早く夜が明けた。
その近くに川があった。川のこちら側はずっと葦の原だった。対岸に恋しい女の子が住んでいた。散歩に来ると、どのへんとも知らぬまま、そうかと思えるあたりをぼんやり眺めて、その子のことを思った。それだけ。思うことは思わないことより簡単だ。そのときは実はあまり簡単じゃなかったけれども、今から見るとなんて簡単だったんだろうと思う。時はすべてをたやすくする。問題は問題を見たがる人の頭の中にしかないのかもしれない。
エッフェル塔が目印の店があった。女性が裸になる店だった。裸になるのが仕事の女性は、彼女のポスターをくれた。
町の南に国境というものがあった。町の中に。通りを行くと、検問所があった。国境を越えて通勤通学する人も多かった。町の人は2種類のお金を財布に入れて、安いほうの側で買い物した。ある検問所は夜閉まった。しかし車道に車止めが置いてあるだけだったので、通っていったら捕まった。
国境の南側もひと続きの町で、郊外区であるはずだったが、そこは独立の町だった。そこには高名な精神病理学者がやっている高名な精神病院があった。入院費用が高いのだろう、入院患者は金持ちだった。山のサナトリウムより、こちらのほうが小説にはいいような気がしたが、たぶんまだ誰も書いていないのだろう。それとも、書いたけど忘れ去られたのか。
農家の納屋を改造した劇場があった。そこでアルゼンチン人の役者兼演出家が、名家の崩壊や吸血鬼の芝居をひどく批評的に愉快に演じていた。
そこにはトルコ人がいた。昼日中から彼らの店で得体の知れない盤上遊戯をしていた。土地のことばで道を聞いたら、身ぶり手ぶりで親切に教えてくれた。
鉄路が海をぐるりと取り囲んでいたが、その鉄道はなかなか車窓から海を見せてくれなかった。湖の北では無用に広い駅舎は、南では小さかった。駅のそばにきっとある郵便局も。小さくて、しっかりしていた。かならず待合室があり、窓は二重窓だった。洗手間は、古びの疲れはあっても、清潔だった。石炭酸の匂いがした。列車は腰が高く、冬には暑すぎるほどだった。
その地では時間を盗む。正確には、春に1時間盗んで、秋に1時間返す。なぜそんな詐欺まがいのことをするのだろう? 返さなければならないのなら、奪わなければいいじゃないか。それともイスラム教徒の暦のように、奪いっぱなしで年々進んでいくほうが、よっぽどいさぎよいのじゃないか? 待ち合わせの場所に5分前に来たのに、人を待たせて何をしていたのかとなじられた。そして性こりもなく翌年も同じことをくりかえした。
日曜日ごとに町が死んだ。店のほとんどが閉まってしまう。開いている店を探すのに苦労したが、そういう生活の律しかたはきらいではなかった。モーター休戦ということも考えた。日曜日にはすべてのモーターを止めてしまおうという。中世にもどってしまおうという。
降誕祭のときはさらにひどかった。それは家族の祭りで、外の仕事はほとんどすべて停止した。暖かい家の中に生活は篭ってしまう。寒い外の通りの、降り積もった雪がところどころ氷となっているその中をとぼとぼ歩く異国の寄留者は、光こぼれる窓から暖かい中のようすをうかがうだけだった。中に入っても、何か特別なことがあったわけではない。だが、中に入れないことは、中に入ることを聖化する。中に入れぬ者は、中に入れないまま憧れをつのらせる。
カーニバルには、人々は外へ出た。魔女が跳梁した。仮面の者どもが闊歩した。狐の尻尾や豚の膀胱がふりまわされた。便利さや効率がことさらに無視され、狼藉が歓迎された。人の首をほいほいちょんぎってしまいそうな、酷薄さとは異なる残酷さとともに、限りない優しさ、ほかのときには無分別であるような優しさも奥にあった。人々は笑う準備ができていて、笑うために笑った。その笑いは貧血症ではなかった。
水が遍在していた。大気は乾燥していたはずで、それは洗濯物の乾きがいいことからわかる。にもかかわらず、水は遍満していた。雨として雪として露として雲として、すべての雨かんむりとさんずいのことばとして、野原の草として森の木として、蛇として小鳥として、屋根裏部屋でいれるコーヒーのカップから立つ湯気として。光も水であった。光源を直視できない人間たちは、地平線や水平線の上に昇ったり落ちたりする際の、浮遊する薄い水滴にやわらげられた赤い朝日や夕日としてしか光を見ない。あるいは水面に照り映える輝きとしてしか。人のからだの6割と同じく、水でないものはなかった。
ああ、そうだった、小さかった。大きくなんかなかった。何もかも小さかった。でも、どこかしら大きかった。
そこからは異国である土地にいて、しかとせぬ思い出だけで文を書く。思い出は船のように揺れている。ゆらり、ざぶん、ゆうらり、ざあぶうん。そうだったろうか? そうじゃなかったろうか? そうじゃなかったかもしれないが、そうであってもいいんじゃないか?