ボルネオだより/「今は冬ですか?」

 8月に授業で生徒に「今は夏ですか」と聞かれて、さすが季節のない国、そんな温帯では当たり前のことを質問するのかとおもしろがっていたら、その数日後には「今は冬ですか」と聞かれて仰天した。乾季と雨季という季節はあるものの、気温自体はほとんど変わらないここの生活では、外国に行ったことがないか行っても近隣熱帯諸国で温帯を知らない者なら、「春」だの「冬」だのといっても、それは空気の振動、線ののたくり以外のものではない。8月はもちろん夏なので、最初の質問はそんな疑問を持たれること自体が意外だったわけだ。あとの質問については、冬かとはいったい全体どこをどうしたらそんな考えに至るのかと思われるかもしれないが、なに、ここはほぼ赤道直下だ。南すれば日本より近いところにオーストラリアがあって、そこではたしかに冬であるから、一見の印象より道理のある質問であって、北半球温帯人の先入観を捨てよと赤道付近熱帯人や南半球温帯人が教えてくれたと考えるべきだ。
 また、ここの生徒はセーターを知らない。日本の教科書にはもちろん「セーター」という単語が出てくる。念のためにと思って、セーターをもっているかと聞いてみたら、セーターが何かがわからない。ジャケットと混同していたりする。つまりもっていないのだが、必要ないのだもの、もっているはずがない。これは牧羊する欧米の冬の衣料で、冬のある日本でも江戸時代の人は知らなかったはずであり、杉田玄白らが額を寄せて「セエタアとは何のことでござろうか」と熟考検討しているさまが想像できる。

 今の世界は欧米人の世界観に覆われている。彼らは温帯人だから同じ温帯のわれわれにはよくわかることも多いが、それでもかなりの点で食い違う(今は欧米式に慣れてしまったとはいえ)。まして熱帯や寒帯の人間の世界観とは多くの点で非常に相違しているにもかかわらず、われわれはそれに無知であることを熱帯に暮らして思い知らされた。ツンドラや、熱地でも砂漠性の気候の土地なら人口も希薄だ。しかし熱帯は人口はかなり多いのだ。無知であっていいはずがないと大いに反省されられた。
 マレー人やダヤクと総称される先住民の家は高床式で、入るとき靴を脱ぐところなど、日本もそうであるから親近感がある。けれどロングハウスと言われる先住民の長屋は、長さもものすごく長いが、高さもすごい。この高床は高温多湿が理由ではない。それは理由の一部分で、高温多湿なら華南もそうだし、ここボルネオなどはもっとそうだが、漢族はそういうところでも土間式の家に住む。
 日本よりずいぶん脚の高いここの高床住宅を見ていて気づいたのは、下を水が流れていい造りなのだということだ。雨が多い土地で、増水氾濫しても大丈夫なようにできている。もっと言えば、水上住居が原型なのではないか。水上集落は今では特異な形式のように思われているが、この気候帯では実に合理的だと思う。水が汚れを流してくれるから、衛生的でもある。
 交通のためにも便利である。車というものは道がないと使えない。ある程度平坦でないといけないし、広くないといけない。道は維持されなければならないが、それが多雨地域ではむずかしい。すぐに草木が茂るから。車は乾燥地帯の交通手段なのである。
 車というやつは、山坂多くて狭い日本のようなところでは使いようがない。牛車はあったし大八車もあるが、膝栗毛や駕籠のような人力こそが環境に対して正解で、近代日本における車の発達の最初のページが人力車によって書かれるのはゆえないことではない。
 車の敵は数多い。沼沢地。砂地。坂。内燃機関が発達するまでは坂は車にとって障壁だった。泥濘。雪解けや雨季のひどい泥は大きな障害で、19世紀ロシア文学を読んだ人なら、泥にはまって車軸が折れ、立ち往生した馬車の横で御者が口汚く罵っている場面はおなじみだ。逆にロシアでは厳冬期こそが旅行に最適のシーズンで、橇で軽快に走ることができる。橇はいわば陸地の舟のようなものだろう。
 多雨地域は草木繁茂し、陸上交通が不便である一方で、水が豊富で河川が四通八達しているので、舟による交通は便利というよりまったく自然で合理的だ。海については言わずもがな。南船北馬は理の当然。そもそも舟は車よりはるかに古い交通手段である。マレー人種はマダガスカルまでも船で行く人たちだった。このあたりの「道」は川だったのであり、水辺に家を建てるのは交通の便でもあるわけだ。内燃機関発明以前は、車行はこの地球上のわずかな部分で行なわれているに過ぎず、あとの大部分は舟か馬か人の足が交通を担っていた。その風景を水上集落を見ながら思い出すといいし、下に水はあまりなくても、高床式住居を見ながらも思い浮かべるといい。高床の下の細流から人類史を思ってもいいんじゃないか?
 水に親しいということは、魚をよく食べるということだ。中国人は豚を好むものの、豚を食べないマレー人にとって肉とはほとんど鶏肉のことだから、そりゃあ魚肉をせっせと食べるに決まっている。市場を見ても魚が多く、肉は少ない。魚醤を造る人たちなのだ。
 オーストラリア旅行の印象として牛や羊を見たことをまっさきに挙げるマレーシア人の話を聞いて、北海道へ初めて行った本州人の感想に似ているなと思うと同時に、ウォーレス線とは別の線がここに引けることがわかった。世界はいろいろなところから見えてくる。