獣種差別

ソウル五輪のときよりはずっと静かだったようだが、平昌五輪に際してもやはり犬肉が問題になった。だが、人を食いはすまいし、何を食べようがかまわないではないか。日本人として犬を食べるのは趣味のよいことだとは思わないが、そんな悪食の連中はバカにしてからかっていればいいだけだ。イギリス人がフランス人を「蛙食い」と呼ぶように。目くじら立てるようなことではない。それは日本人がクジラやイルカを食べるのにとやかく言われたくないのとまったく同じだ。


何を食べて、何を食べないか。それは文化によって決まるが、文化における最大の決定要素である宗教の占める役割がここでも大きく、宗教によって決まることが多い。イスラム教、ユダヤ教では豚を食べないし、ヒンドゥー教では牛を食べない。ブラーミンは肉自体を食べない。仏教僧侶も菜食である。仏教の影響を受けた近代以前の日本では原則四つ足を食べなかった。人間のために労役をしてくれ、暑い日差しのもと野良へ行く牛のために、傘をさしてやっている光景は幕末明治期の欧米訪問者の書き記すところであり、そのような牛を食べることは百姓には考えられなかった。イザベラ・バードは「奥地」旅行中何としても肉が食べたくて、当時の日本の田舎で唯一手に入る鶏を買ったが、食べるためと知って取り戻しに来た農婦もいたのだ。四つ足は食べず、足のない魚を食べて動物性蛋白質を摂っていたいた日本人が、同様に足のないクジラを食べてどこがいけない?
欧米と中国はさまざまな点で似ている。大酒飲みの豚喰らいで、紙で尻を拭くなど。逆にイスラムとインドは、肉の禁忌や酒を飲まないこと、水で事後処理することなど、共通点がいくつもある。本当に何でも食う中国人には一籌を輸するが、欧米人も基本的に何でも食べる人種だ。では、彼らは何の肉を食べ、何の肉を食べないかを考えてみよう。
肉食獣を食べない。
海棲哺乳類を食べない。
霊長類を食べない。それは彼らの居住地(北辺寒冷地である)にいないことが大きな要因だが、霊長類は(海棲哺乳類も)知能が高いことも一因だろう。
虫や蛇を食べない。ただし蛙やカタツムリは食べる(ワニも)。
そして、草食獣を食べる。
肉食獣を食べないこと自体は合理的である。捕獲がむずかしい上に、危険である。食物連鎖の頂点だから、数が少ない。数が多く、捕獲や飼育が容易であるものを食べるほうがいいに決まっている。
だから、肉食獣の獲物である草食獣を食べるのも合理的であるけれど、思うに、彼ら自身おそらく自分を肉食獣の同類と見ている。仲間だから食べない。同類のシンパシーだ。
肉食獣の例外は犬と猫である。犬猫の捕獲や飼育は容易だ。数も多く、いま先進国と言われる国でも昔は野良犬がうろうろしていたし、現実に人間の子供には食い殺される危険があった。それを捕って食べるのは合理的なはずだ。猫(野良猫は今も多い)は肉量が少ないが、同様に少ないハトやウサギは食べているではないか。
彼らを食べないのは、ペットだからというより、彼らが肉食獣だからだろうと思う。肉食獣は食物連鎖上の高位であり、狩りをするのだから知能も高い。この点がポイントだ。要するに、欧米人は彼ら独特の認識による「高等生物」を食べないのだ。それは「獣種差別」であって、その「獣種差別」は人種差別とも表裏一体である。
牛や豚を食べなかった江戸時代の日本人を見下し、あたかもそれを食べることや獣の乳を飲むことが文明人の要件であるかのように押しつけ、昔からずっと食べてきたクジラを捕ろうとすれば根拠のない非難をする。価値観の強要だ。そしてそれが行動に現れると、好戦的戦闘的なシーシェパードのような形となる。第二次大戦以後先進国(つまり欧米)において戦争は現実的な対立解決法として取りえなくなっているので、彼らの野蛮な戦闘意欲がそのような形で現われているのだろう。人種差別が一向になくならない一方でそんな不埒なことをしているのだから、おそらく犬やクジラは有色人種より高等だとさえ無意識のうちに思っているのだ。
彼らとは違う基準で食べるもの・食べないものを分けているという簡単で筋の通った理由をことさらに無視するのは、一言で言って傲岸不遜である。捕鯨反対を唱える日本人や犬食反対を掲げる韓国人もいるのだが、洗脳ということばはイスラム過激派についてでなく彼らについて言われるべきである。


人間は何を食べてもいいのである。イモムシでも、ヘビでも。文化によって何を食べ、何を食べないかは異なる。それだけのことだ。人類に普遍的な基準は存在しない。
あえてルールを考えれば、1.人間を食べてはいけない。
なぜかと問い詰められればしかとした答えはできかねるが(食人種というのもあったし、共食いをする生物はいろいろある)、やはりこれはまずいだろうし、大方の人類の賛同を得られるだろう。
2.絶滅の恐れがあるものは捕らない・食べない。
これも理性的な規定で、反対する人はいまい。本当に絶滅が危惧される鯨種を食べようと思う日本人はいないだろう。タスマニア人を絶滅させた前科者がうろうろしているから、必要なルールである。
普遍ルールの3は、殺したものは食え、食わないものは殺すな。
娯楽のための狩りをし、趣味の殺生をする白人ハンターは許しがたい。しかも卑怯な飛び道具を使って。丸腰の若年個体を無差別に銃撃するスクールシューティングはその延長だ。捕鯨よりも犬肉よりも、まずこれを何とかしろ。殺したあと食うならこのルールには抵触しないが、ルール1に反する。やはりだめである。
「獣種差別」(それは人種差別の異なった地平への現われだ)をする白人にだまされてはいけない。普遍ルールを守ってさえいれば、あれこれ言われる筋合いはないのだ。
(6月4日、避難中のSeeSaaブログ sekiyoushousoku.seesaa.net に掲載したものを再掲)