日本人肉食民族説

少し前の日本人は、自分たちは「農耕民族」であり、欧米の「狩猟民族」とは人種が違うのだ、ということをよく言っていた。それは、おとなしく、やさしく、和を尊び、集団主義であるという含意で、攻撃的で個人主義的な欧米人とみずからを対比するためであって、多少卑屈で、多少誇りをもった言明だった。しつこい肉食を好む欧米人に対し、米と野菜を愛し淡白であるわれわれ、というニュアンスも入っていた。
それがよく言われていたのは、ほかにも、「日本語は論理的でない」などという、ちょっと考えたら誰にでも誤りだとわかる奇怪な説が何の疑いもなく口に出されていた時代である。「日本人は非宗教的」とも主張されていた。
初め2つの誤った自己認識は正されたが、3番目は残念ながら今なお大手を振ってまかり通っている。そう信じている半端に教育を受け社会を牛耳っている人たちが宗教性の抑圧を続けているため、行き場のない宗教性が新興宗教となって噴出するのだ。それを見た「非宗教的」論者たちは、「宗教の恐ろしさ」についてさらなるプロパガンダを行ない、彼らは「洗脳」されているのだと主張する。バカも休み休み言え、あんたらが「カネ」や「グローバルスタンダード」に洗脳されているんだろう。−あ、すみません、ちょっと取り乱しました。宗教性は人間性の深いところに関わっており、宗教的でない人間などおらず、ただその現われが様々で、日本人の場合一神教信者のような現われ方をしないというだけだ。「宗教的」と「一神教的」をとりちがえ、一神教的なものが高等で、そうでないのは下等と無意識に考える欧米に毒された人たちとその言説には、深い嫌悪を覚える。


だが、そんな話ではなかった。肉食についてだった。
前にも書いたように、これまでも、そうでありたいと思いつつ決してそうではない「なんちゃってヴェジタリアン」だったが、ヴェジタリアンの本場インドへ行くと、菜食主義であるのは何の努力も必要としないことである。ヴェジ(菜食者)もノンヴェジ(非菜食者)も交じっているような場で一律に食事が供される場合は、当然のようにヴェジの食べ物が出る。すばらしい。
孤児院の2階に下宿しているのだが、そこはガンジー主義の団体がやっているので、子どもたちは当然ヴェジタリアンとして育てられる。だから私も、というわけで、この際ヴェジタリアンになることにした(このあたりは、学生がラマザンをしているので自分も昼食を抜くのと同じ、単純な思考方法だ)。とはいえ、卵は食べるし、さばくことができるところから、海産物も食べる(「K式菜食主義」。本当はさばけないが、習えばすぐ習得するだろうという見込みで)。自称して、「ベンガルのヴェジタリアン」である。
インドにおけるヴェジタリアンの比率は、31パーセントとも言われ(Wikipedia)、4割という数字も聞いたこともある。これもすごい。だが、ヴェジタリアンであるのは贅沢なことだ。貧しい人はノンヴェジにしかなれない。食べられるものは何でも食べなければ生きていけないのだから。だから、ヴェジになることによって、擬似的擬態的に社会階層を上がることもできるのかもしれない。


さて、そうして自分が「ヴェジ」の一種(きわめていいかげんな)となり、そのことを公言するようになると、わが同胞が気になる。ヤソやムスリムや中国人ほどでなくとも、四つ足は長く口にせず、野菜好きではむしろインド人にもまさり、青物をとることに心を砕く日本人も、純正ノンヴェジ民族である。魚は好んで食べ、正月や葬儀のあとの忌明けにはかならず魚ないし肉を食べなければならなかったのだから。だからノンヴェジなのはいいんだけども。


辛島貴子「私たちのインド」(中公文庫、1983)は、南インドマドラス(チェンナイ)やマイソールに滞在した日々の経験を記したたいへんおもしろい本である。1969-71年の滞在だから、かなり古い。主婦であるから、炊事が毎日の仕事で、したがって食材を買い求めなければならない。それは(当時のことだから)市場で調達する。市場には基本的に何でもある。少し外れでは羊や鶏肉、魚も売っていて、容易に手に入る。それで十分ではないかと私などは思うのだが、辛島さんはそう思わない。豚肉も手に入れたい。
そして、豚肉も買えるのである。少し(それとも大いに?)努力すれば。マイソールにも多いムスリムは食べないが、キリスト教徒(隣のケララ州にはけっこういる)も食べるし、ヒンドゥー教徒にはタブーでない。わけてもクールグ族は好物にしている。だが、その肉を売っているところときたら。「そこはまた格別に凄惨なところであった。市の東のはずれにある、下層民の居住区に近い原っぱの大きな木の下で、毎週日曜日の夜明け頃に、三、四頭の豚が屠られるのである。草原には血がとび散り、犬がワンワンほえながら遠まきに様子をうかがい、頭上には残りものにありつこうとおびただしい数の烏が群がっていて、早朝スクーターをとばしてゆくと、その辺りとおぼしき原っぱの上空には、それらが真黒に群がってカーカーと気味の悪い鳴き声をたてているのが、遠くからも認められるほどであった」。
「ココナッツの葉で編んだ汚れたむしろの上には、豚が生々しく切り開かれ、肉や臓物も注文に応じて切り分けてくれる。かれらは専門の肉屋ではないのでさばき方も知らず、ただ大きなナタのようなもので、毛の生えた皮も骨もいっしょくたにしてガンガンとぶった切るだけである」(p.117)。すごい。そこへ通うのもまたすごい。
ヒンドゥー教徒の決して食べない牛肉となると、一段と苦労する。ムスリムキリスト教徒は食べるので、もちろん売ってはいて、肉屋(ムスリムの)があるのだけども。そこの主人は片足がつけ根からない。「昔、牛を殺しているところをみつけられ、警官に追われて高い屋根の上から飛び降りた時に、メチャクチャに骨折して切ってしまったのだということであった」(p.120)。
「インド人のいわゆる低カーストの人々の居住している地域というのも汚いが、ムスリムの地区もそれに劣らない。貧しい人々と牛と水牛と犬と猫と烏がいたるところに汚れをつみ重ね、異様な臭気をみなぎらせている。
肉屋は三坪ぐらいの土間に梁を一本わたし、そこから釣針のような鉤をたくさんぶらさげて、肉だの舌だの肺臓や肝臓をぎっしりとひっかけて商売をしている。ここの臭いたるや特別にものすごく、無数の蝿がぶんぶん飛んでいて口の中にまで入りそうである。台の上ではいつも片目のつぶれた真黒な猫が、異様に大きな図体で寝そべっていた」(p.123)。そして彼女はこの肉屋と懇意になる。主婦恐るべし。


それが魚を手に入れるための苦労なら激しく共感するのだが、豚肉や牛肉の話だと、感情移入はいたしかねる。そうまでして豚や牛が食いたいか? 魚が食えて、プラス鶏が食えりゃ(羊だって食べたければ食べられるのだし)、十分じゃないの? ちょっと理解の外である。だが、私の理解より事実のほうが広く、深い。いつものことながら。
牛や豚を食べるのが文化の一部である欧米のヤソ教徒や中国人ならわかるが(両者を一言でくくれば、「豚食いども」)、日本人がそこまでするのは驚きで、現代の日本人はまぎれもない「肉食民族」であると認識させられる。
それに、そんな苦労をしてくれたおかげで、肉をめぐるインドの生活風景を知ることができたのはありがたい。なければないでかまわないと考える人の世界は小さくなる、ということですね。なければさがしだす、秀吉的人物によって世界は広がるのだ。そして、主婦によっても。たぶん。