漢字を検索する

 与えられた課題は「外国語教育における革新的アプローチ」だが、私の話は革新というより退嬰かもしれない。このIT時代、もはや紙の辞書の需要は薄れているであろうこの時代に、紙の辞書を作ろうというのだから。

 

 日本語は世界でもっともむずかしい書記体系を有していると言われ、実際そのとおりである。ひらがなとカタカナという固有文字のほかに、漢字も使うし、数字はアラビア数字で(数字にも漢字がある。漢数字)、適宜アルファベットも用いる。漢字は本来中国の文字であるから、当然中国語でも使われるが、中国語は漢字だけでひらがなのようなものと混用されることはないし、日本の漢字の場合、ひとつの字に音読みや訓読みのいくつもの読み方があることも混迷をさらに深くする。

 3つあるその文字も、もとは漢字である。ひらがな・カタカナは漢字からできた。表意文字の漢字を表音文字にしたのがかなで、漢字をくずして書いたものがひらがな、漢字の一部をとったものがカタカナである。

 本来それほどむずかしくない日本語をむずかしくしているのは疑いなくこの書記体系、なかんずく漢字である。文法では敬語もややむずかしいが、漢字こそ、ゲームで最後の最大の敵として主人公に立ちはだかる「ラスボス(final boss)」だと言っていいかもしれない。

 「消しゴム」(eraser)という単語には短い4文字の中にひらがな・カタカナ・漢字の3つが惜しげもなく使われている。「アリは銀行(ginkou)へ行(i)った」(Ali went to the bank.)という簡単な文にもこの3つが用いられ、しかも「行」の字は「コウ」「い(く)」と音訓ふたつの読みがなされる。

 そんなむずかしい漢字をなぜ廃止しないのか。ひらがなだけで書くか、アルファベット(ローマ字)だけで書くことにしないかと外国人はいぶかしむかもしれないが、漢字は便利なのである。漢字を覚えるのには、外国人日本語学習者だけでなく日本人の子供も非常に苦労するのだけども、その苦労に見合うだけの便利さがある。まず1000ぐらい習得してみるといい。そうすれば漢字の便利さに気づくだろう。ただ、それまでがたいへんなのだが。

 漢字の最大の特徴でありメリットであるのは(それは同時に最大のデメリットでもあるのだが)、文字に形・音・義(意味)の3つがあることだ。アルファベットのような単音文字の場合、文字には形と音しかない。「e」はこの形で、「エ」という音である。「エ」と発音する漢字には、絵(picture)・恵(grace)・会(meeting)・依(depend)… など形の異なる字がたくさんあって、それぞれ意味を担い、その意味は字ごとに違う。形として「e」に似ている「巳」の字は、「シ」「ミ」と読み「snake」の意味である。

 アルファベットにもそういう「漢字的特徴」を持つものがある。それは数字だ。「5」という形の文字は、英語なら「five」、ロシア語では「pyat’」、ウズベク語では「besh」、日本語では「ご」という音であり、その意味である。それを考えるといい。

 日本語の場合、そのうえひとつの漢字に音読みと訓読みがあるのが状況をさらにむずかしくしている。ある漢字、たとえば「作」makeを中国語では「zuo」と読み、日本語で「サ/サク」と言うのはそれが日本語によって少し変化したもので、これが音読みである。しかしこれはまた「つく(る)」とも読まれる。日本語の意味による「翻訳」と考えればよく、これが訓読みだ。

 このように意味をもつ漢字(表意文字)と、音はあるが意味をもたない文字(表音文字。音節文字である)であるひらがな・カタカナを混用すると、意味は漢字が担い、ひらがなは文法要素、格関係や動詞・形容詞の活用、助動詞を示し、カタカナはそれが外来語や外国の固有名詞であることを示す、というように役割分担をする。このようであると、漢字を多く知る人には文章が把握しやすくなるのだ。これは大きなメリットである。

 さらに、文字に意味があるため、専門用語も理解がしやすい。たとえば、英語の母語話者でもどのくらいの人が「pectoralis major」ということばを知っているだろうか。これは漢字で書けば「大胸筋」で、「筋」は「muscle」、「胸」は「breast」、「大」は「big」であるから、何であるか一目瞭然だ。あるいは「limnology」、漢字で「陸水学」。「陸」は「land」、「水」は「water」、「学」は「science」なので、だいたいどんな学問か想像がつく。英語では、「-logy」だから「学問」なんだろうが、それ以上はわからないだろう。加えて、「陸」の字は「上陸(landing)」「着陸(landing of airplanes)」「離陸(takeoff)」「大陸(continent)」「陸軍(army)」「陸橋(overpass)」などでも用いられる。「陸軍」に対し「海軍(navy)」「空軍(air force)」という語もでき、不統一な英語の対応語に対し、整然として意味明瞭な体系を提供する。漢字はプロダクティブproductiveなのである。

 反面、同音異義語が多くなるという看過しがたい欠点もあるのだが、そのことが逆に漢字廃止をむずかしくする。漢字をやめて、かななりローマ字なりの表音文字だけでかくとすれば、同音異義語が区別できなくなってしまうのだ。聞いてはわからない。しかしどんな字か見ればわかる。盲人にはきわめてやさしくない文字であり言語であることは言わなければならない。

 日本語の語彙は、和語・漢語・外来語からなる(日本古来の語である和語に対し、漢語も本来「外来語」ではあるのだが、漢字で書くことのない外来語を別立てにする)。日本語の語彙に占める漢語の割合は47.5%で、和語は36.7%(異なり語数で。延べ語数ではそれぞれ41.3%・53.9%)。乗っ取られていると言ってもいいぐらいの大きな比率で、これをなくすのはもうほとんど不可能だ。うまくつきあっていくしかない。

 

 漢字の構成法には象形・指事・会意・形声の4つがある。象形・指事は要するに絵文字で、象形は形のあるもの、指事は形のないものを表わす。象形はたとえば「子」(child)や「鳥」(bird)、指事は「上」(top/above)・「下」(down/under)のようなものである。

 会意と形声は2つ以上の要素の組み合わせによる二次的生成で、会意字は意味と意味、形声字は意味と音の組み合わせである。「人(man)+木(tree)」(人が木の陰にいる)で「休」(rest)、「宀(house)+女(woman)」(女が家の中にいる)で「安」(safe)のようなものが会意、形声は「机」(desk:「木(tree)」が意味、「几(キ)」が音)・「時」(time:「日(day)」が意味、「寺(ジ)」が音)のようなものである。

 中国でなく日本で作られた漢字(国字:「働(人man+動move=はたら(く)work)」など)、日本で作られた英語(和製英語:「ベッドタウン(bed+town=suburb)」など)が会意の手法によっているように、2つの要素の組み合わせの方法として会意は非常におもしろい。会意文字はしかし少なく、漢字の90%以上(常用漢字の60%以上)は形声の方法による。ひとつが意味、もうひとつが音を担うのである。意味を示す部分を意符、音を示す部分を音符と言い、意符を「部首」として、漢字検索のしるべとする。

 5万とも10万とも言われる無数にある漢字をどう検索するかは古来人の悩むところで、漢字索引には、ふつう音訓索引・部首索引・総画索引の3つがある。このうちもっとも使いやすいのは音訓索引で、音にせよ訓にせよ読み方がわかっていればこの索引で目指す漢字に到達できる。しかし、字があってその読み方を知りたい場合にはこれは使えない(このことは英語にも言えて、見えない聞こえない話せないヘレン・ケラーを教えたサリバン先生は、自身も目があまりよくなくて、単語の綴りに自信がなかった。しかし教えなければならないので、夜辞書を引いてスペルを確認しようとするのだが、「綴りがわからないから辞書を引くのに、その綴りがわかっていなければ辞書が引けないのはどういうこと!」と辞書を投げ捨てて嘆く。「イナフ」なら「inaf」であろうに、「enough」と書く英語は決して漢字を嗤えない)。

 総画索引はよほどのことがない限り使わない。部首索引がもっともオーソドックスであるが、しかし「開」(open)は「門」(gate)が部首、「聞」(hear)は「耳」(ear)が部首というように、似た形でありながら異なる部首であるのには困ってしまう。そのため、どの構成要素からも検索できる、いわば意符音符索引というものを採用する辞書もある。

 それをさらに進め、細分した要素索引を作っている。たとえば前に挙げた「安」「時」は、それぞれ部首である「宀」や「日」のほかに「女」「寺」でも引けるし、「寺」は「寸」(手の形)でも引ける。ただし、「寺」の上の部分(「土」)はもと「止」(足の形)だったので、「止」のほうに出る、という一見不整合に見える不都合はあるが、字源優先とした。索引には、各要素の配列をどうするかという根本的な問題がある。画数によるという「無機的」方法がもっとも簡便で統一的だが、同じ画数にあまりに多数の要素が並んでしまい、そこでの配列がまた問題になる。ここでも字源による「有機的」な分類と配列を試みた。各要素を、人(ひと・女/子ども)・身体(手・足・頭・体)・自然(天・地・植物・動物)・文化(衣食住・交通・武器・器具・信仰)・記号/その他に分けて並べた。だから「寸」は手の項、「止」は足の項に出るわけだ。面倒だが、慣れれば使いやすいと思う(初めむずかしく、習い覚えていくうちに便利になる漢字そのものと同じである)。字源を知る助けにもなる。字源を知ることは、漢字を習得する上で大きな助けとなるはずだ。この辞書にはもちろん音訓索引・総画索引も備わっていて、この要素索引は部首索引としても使える。ほかの索引を使いつつ、この要素索引に「読む辞書」のように親しんでいけば、必ずや漢字習得に効果があると信じるが、どうであろうか。ぜひ完成させたいと思っている。