漢字は世界*への扉(*ただし東方の)

インドと中国の違いはたくさんあるが、英語の通用度もそのひとつだ。バンガロールは異常に英語の通じる町で、それ以外のインドでは人々は実はそれほど英語を解さない。何割のインド人が英語が話せるのかわからないけれども、2割という説があり、実際そのくらいではないかと思う。しかしそれもすごいことで、5人に1人は話すわけだから、英語ができればインドではだいたい困らない。しかし中国では通じない。日本へ行ったインド人は英語の通じなさかげんに驚いたと思うが、たぶん日本より通じないと思う(中国人には別の意見があるかもしれない)。
しかしながら、私は中国語ができない。知っている中国語は「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」「すみません」「いくら?」の5つだけ。だから生活には不自由するが、しかしひどくは困らない。なぜか。漢字を知っているからだ。看板や掲示などがすべて漢字だ。中国語を話されるとさっぱりわからないが、書いてあればわかる。正確にはわからないが、だいたいこんなことだろうと想像がつく。逆に、漢字を知らない人が中国の(あるいは日本の)町を歩くのはどんな気持ちなのか聞いてみたい。
簡単な質問なら「筆談」をすればいい。質問を紙に書いて、答えをそれに書いてもらう。こういうおもしろいコミュニケーションができるのは、漢字は字のひとつひとつに意味があるからだ。それが漢字のむずかしさでもあるが、同時に便利さともなる。漢字を知っている人間同士の間では。聾者が声を出さず手話で会話するのも不思議なコミュニケーションだけども、筆談もそれに劣らぬユニークさだ。


「三国一の花婿」(かなり骨董品な言い方だが)などと、昔の日本では本朝(日本)・震旦(中国)・天竺(インド)と世界を3つに分けていた。明治以後は「和漢洋」という言い方になり、やはり三分する。日本人にとって日本がひとつの世界なのはいいとして、要は、世界を中国とそれ以外に分けているということだ。そして、それにはたしかな理由がある。つまり、漢字圏とそれ以外、という分け方なのである。現在の世界で、新聞が発行されるようなレベルで用いられている文字は27ほどあるらしい。そのうち表意文字は漢字だけ。あとは全部表音文字で、そのほとんどが音素文字(アルファベット)である。子音文字であるアラビア文字ヘブライ文字も、アブギダと言われる音節文字に近い形のインド系諸文字もアルファベットであり(ハングルはまた別の形で音素文字と音節文字の中間にある)、要するに漢字圏以外の地域はすべてアルファベット圏であるわけだ。さらに、日本は独特な音節文字を有していて、音節文字自体が今日の世界にほとんどない上、それを表意文字と組み合わせて用いるやり方において独自であって、ひとつの文明とするのもあながち間違いではない。この点で意味のある世界の三分法なのである。「和漢洋」は言語学的・文字論的に、そして文明論的に正しい三区分だ。
ラテンアルファベット(ローマ字)は世界でもっとも普及した文字だが、母語ラテン文字を使っている人の数は実はそれほど多くない。正確な統計はないが(ラテン文字圏は、ヨーロッパ、新大陸およびブラックアフリカといくつかのアジア諸国であるが、旧植民地地域が主体だから、文盲が多いのだ)、漢字圏の人口13億よりいくらか多い程度だろうと思われる。つまり逆に言えば、漢字文明圏は人口においてラテン文字以外の諸文字を圧倒する世界の一方の雄なのであって(世界第3の文字はアラビア文字だが、人口は4億に足りない)、中国が経済的に発展している現在、経済力においても一大勢力圏となっているのである。


日本語学習者が漢字を勉強するのは、もちろん日本語学習のひとつのパートとしてだが、その学習がもたらすものはただ日本語の読み書きにとどまらないということを学習者も教師も意識すれば、学習はいっそう効果的にもなるだろうし、意欲を高めることにもなるだろう。
具体的には、漢字講座を開く場合、次のことに留意するのが望ましい。


1.中国語の文法の概略について基礎的な知識を与える。
日本語の語彙の半分近くは漢語であり、漢語は日本語でなく中国語の文法に従って構成されている。つまり、和語の「人殺し」は漢語では「殺人」、「要(い)らない」は「不要」である。そういうことを理解し、ただ受動的にでなくプロダクティブに漢字漢語と向き合うために、中国語文法の基本的な項目の知識があると有益だと思う。たとえば次のような諸点である。

中国語は日本語と全然異なり、英語に近いということ:
・SVO文型であり、SOV文型の日本語(やカンナダ語)とはまったく語順が違う。
・語順が決まっていて、語順によって意味が異なる。
・前置詞を用いる。
・ひとつのことばがさまざまな品詞でありうる。
・否定詞が否定されるものの前に来る。また、さまざまな否定詞がある。
動詞・形容詞の前につく否定詞 不(しない)、未(まだ〜ない)
名詞の前につく否定詞 非(ではない)
存在を打ち消す否定詞 無(ない)
しかし日本語と似ている点もあること:
・修飾語が被修飾語の前に来る。
・主語や目的語の省略がよく行なわれる。
・副詞は動詞・形容詞の前に来る。
・平叙文も疑問文も語順は同じ。
・単数・複数があいまい。
・助数詞が多い。

日本語と同じ膠着語であるカンナダ語タミル語などのドラヴィダ語を母語とし、それとまったく違う文法体系の英語もできる学習者にとって、日本語と中国語の関係、文法的にまったく異なるふたつのことばが文字でつながる関係を知ることは、知的な刺激にもなるだろう。


2.漢字の構成原理を教える際に、中国の字体も考慮に入れて、より大きなパースペクティブで漢字の構成法を示す。
中国大陸では現在「簡体字」が用いられている。台湾・香港は正字体(繁体字旧字体)で、日本は新字体を採用する。つまり、現在の漢字世界には3つの字体があるわけだ。これは面倒な話である。日本人にとっても(あるいは中国人にとっても)面倒なのだから,非漢字圏の日本語学習者にとっては迷惑なことだ。
新字体簡体字も略字である。字源は正字の成り立ちを示すものだから、字源を教えるときには、正字から略字がどうできてきたかも言及する必要がある。略字の作り方には規則があり、それは漢字の構成法や書記法に則ったものである。日本の新字体は、おおよそ次の5つの方法で作られている(点をはぶくなどの細かい改変を除き)。
1)草書体による簡略化 「壽>寿」など
2)一部に略形を使う(1とも関連) 「弗・黄>厶(佛>仏、廣>広)」など
3)一部を同音・類音別字で代替 「睪>尺(驛>駅)」など
4)一部を省略 「壓>圧」など
5)全部を別字で代替
a)同音の別字で代替 「臺(タイ)>台(タイ)」など
b)同音でない別字で代替 「「體(タイ)>体(ホン)」など
漢字の構成法を教えるとき、これらのことも示すとよいだろう。中国の簡体字も、結果として日本の新字体と字形が異なっていることはあるが、作り方の原則は共通なのだから、それをわきまえておけば、簡体字の理解につながる。


つまり、キーワードは「体系性」と「視野の広さ」である。
せっかくむずかしい漢字を習うのだから、その成果が日本だけにとどまるのではもったいない。中国をも視野に入れて、モチベーション高く学習できるようにしたほうがどれだけよいかわからない。実用のためには漢字だけでなく中国語自体を学ばなければならないが、漢字の知識は中国語学習の助けになるし、中国語を知らなくても中国の旅行には大いに役に立つ。漢字文明圏というおもしろい文明へのアクセスになる。これからの漢字講座は、ぜひこれらのことを踏まえて行なってほしいと思う。