実証坊を実証する

補陀落渡海についての本を読むと、明恵上人の後継者である「実勝上人」が補陀落渡海をしたと伝える文書があるそうだ。明恵の一族の系図には「実証上人弁海」という名があり、この人も補陀落山に渡ったと注記があるから、ふつうに考えればこの二者は同一人であろう。しかし字がちがう。どちらかが誤記である(つまり両者は同一人)、両方とも正しい(つまり両者は別人)というふたつの可能性があり(両方とも誤記であり、かつ両者は別人、また同一人ということも理論的には考えられるけれど、そこまで言い出したらきりがないので除外する)、「高い蓋然性」以上のものを求めるなら、厳密な論証を行なわねばならないが、中世のような史料に乏しい時代ではそれはむずかしい。
なお、両方とも正しく、かつ同一人ということもありうるはずである。戸籍名イコール本名(表記を含めて)が当たり前になった現代を離れれば、明治以前はもちろん、明治以後もしばらくは、何が本名であるかは、本人がそれを自分の名と認めたものである、としか定義できない(「民族」の定義と似ている)。本名の表記は複数あってよく、どれかひとつを採らねばならないとすれば、それは戸籍名ではなく、むしろ墓石に刻まれた名であろう。家族がこれが故人の名であると認めたものだから。だが、文字階級である僧侶の場合は、この字と決まった字があるはずだから、同一人多種表記の可能性は排除してよい(しかし何かの事情で読みは変えずに字を変えることもあるかもしれないから、これとて絶対ではない)。
結局、さいわいにして「実勝房弁海」が南山渡海したと書く第三の史料があるので、両者は同一人、かつ「実勝」のほうが正しいとわかる。同音異字の大海にたゆたうわれわれは、こういう助けの手がどこからか出てこないと、断定が下せず中有に迷う定めである。みごと補陀落へ渡りおおせた僧の名を羨望をもって眺めながら、そんなことを考える。


多種の表記は、民衆レベルでは許容されるが、文字階級ではそうではない。そして国民皆文の現代では、本名はひとつしかなく、その表記もひとつである。「ジッショウ」でありさえすれば「勝」でも「証」でもかまわない、とは言えない。「実勝」が正しい。だがその一方で、誤記は絶えない。おそらくほんとんどの日本国民が自分の名前の字を誤記された経験があると思うが、そのとき人格を傷つけられたような気がかすかにもしたはずだ。本人が気を悪くするくらいならまだいいので、字がちがっていたら役所で受け取れるものも受け取れなくなってしまう。「これはあなたではない」という理由で。「字がちがいます」。だから困るのである。考えてみるといい、「やすひろ」なんてよくある名前でも、漢字で書く場合、「やす」は「康」「靖」「泰」「安」「保」「恭」など、「ひろ」には「宏」「博」「弘」「寛」「浩」「広」「洋」「裕」「大」「紘」「比呂」などがあり、これらの順列組み合わせの数だけ表記の種類がある。それを正しく書かなければならないのだからねえ。まちがえると怒られるし。日本人の日常って、水面下でかなりばたばた足を動かしているわけだ。
それでも、「ジッショウ」も「やすひろ」も常識的な漢字の知識の範囲内だからまだいい。最近の親のつける名前、あれは半端じゃなく困るよ。「星凛」で「あかり」、「一二三」で「わるつ」だそうだ。わが子にそんな名前をつける親は、国語の成績が悪かったのではないかと疑っている。名前は第一に社会のもの、第二に本人のもの。読んでももらえず、書いてももらえなくてどうする。私は女の子にイシだのクマだのという名を平気でつけていた時代をこよなく愛する者である。


現代のナルシシズムっぽいことさらなムリ読みを除いても、地名人名には難読名が多い。皇太子の「徳仁」のように字訓がむずかしい場合もあるが、多くは当て字や熟字訓でとまどう。
「温泉津」を「ゆのつ」というのは、難読というほどではないが、初めての人はまず読めない。「湯ノ津」と書いてくる人がいるが、それは「正しいけれどまちがっている」例(あるいは「まちがっているけれど正しい」例)である。語義からはそうなので、字の当て方の問題だ。
苗字では、「目」と書いて「さがん」というのを知っている。「眼」の字の左だからだとまことしやかに説く者があったが、本当のところは、律令官制の「かみ・すけ・じょう・さかん」の「さかん」に「目」の字を当てることがあるので、そこからの由来であろう。
島根県の最難読地名は、何と言っても「十六島」である。これで「うっぷるい」。難読ではなく不可読地名だ。金関丈夫説によると、音のほうは「巨岩」などという意味の朝鮮語由来、字のほうはそこに十六善神が現われたという伝説に基づき、もともと別個の無関係なものふたつが結びついてこういう地名表記が生まれたという。「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読む苗字があるそうだ。鷹がいないから小鳥が遊ぶ。こういうのも読めないが、聞けばなるほどと思う。十六島のほうは、読みと文字をつなぐべきものがまったく見えない。こんなことをしてよければ、どんなことだってしていい。漢字表記の極北である。
東南アジアあたりに「島」を「ルイ」、「十」を「ウー」などと言う民族がいたとしたら、彼らはむかし出雲地方に住んでいたのだなどという説を立てられかねない。そして「古代出雲の謎は解けた!」「日本民族の源流は××だった!」なんて本が続々と現われる。無謀な漢字表記ひとつがもとで。いや、ありそうな話で、とても笑えません。
(文章というのは恐ろしいもので、著者の意図とはまるではずれた読み取られ方をすることがよくあるし、まったく正反対の意図に読まれてしまうことも少なくない。息子に「ルイ」という名をつけるつもりの若い親がこれを読んで、よし、「島」と書いて「ルイ」にしようと思うなんてこともありうる。思わないでね。)


文字は読むためのものである。その文字が読めないことが日常茶飯。驚くよね。それがむずかしい知らない字なら是非もないが、その字自体は熟知していて(上に挙げた難読名なんて、文字自体は小学生でも知っている)、かつ読めない。外国人は「何なんだ、それ?」と思うでしょう。日本の固有名詞は日本人にとっても実にやっかいな問題なのだが、日本人のしていることで日本人が苦しむのは自業自得だからいいのである。日本語を学ぶ外国人の前にも同じ混乱が広がっているわけで、乏しい知識や経験でこの恐るべき無秩序と向かい合わねばならない外国人には同情を禁じ得ない。
わからなかったら音で読んでおけというのが困ったときの戦略だ。特に人名などはそうで、「惟謙」なんてのが出てきたら「イケン」と言っておけばいい。日本人からして、「上田万年」は「かずとし」と読むらしいが、みんな「マンネン」としか言わない。まあ、そのためには音読みがしっかりできてなくちゃいけないんだが。


しかしながら、そうは言っても難読地名人名は一部分で、ほとんどは多少説明すればわかる読みであり表記である。
電話で自分の名前を漢字でどう書くかを説明する、というのは日本人なら誰でもふつうにやっている。まちがいなく伝わるように、社会人たるものよく考えた言い方をそれぞれ工夫しているはず。その説明をテープに吹き込んで学生に聞かせ、字を書かせる、なんて練習をすることがある。そのときの説明法にはだいたい3つがある。
音は訓で、訓は音で説明する。たとえば「貢司」という名前の場合だったら、「みつぐ・つかさ」です、というように。「真理」なら「シンリ」。
あるいは熟語で説明する。「貢」は「ネングのグ、コウケンのコウ」です。ただし漢語には同音語が多いので、聞いてすぐ文字が浮かぶ熟語をよく考えて選ばなければならない。ふたつの熟語を重ねたり、三字四字の長い熟語で示したりもする。
分解しても説明できる。「カタカナのエの下にカイガラのカイ」というふうに。「工」が音符(コウ)、「貝」が意符[部首](貨幣の意)の形声字であるわけだ。
これらは漢字というものの性質、つまり、字音と字訓があること、他の漢字と結合して熟語を数多く作り出すこと(生産性が高いこと)、組み合わせてできた字(会意・形声字)が多いことを利用しているので、この練習を通じてこれらの特性を確認することができるだろう。どの切り口からも漢字の特質は現われ出てくるのである。


固有名詞という名の日本語の無法地帯も、結局は漢字の問題である。漢字、漢字、漢字。借り物の仮面のはずが、もう顔からはずせなくなった肉付の面だ。総理の読みちがいをきっかけに漢字についていろいろ考えるんだが、いっかな種は尽きない。この国、漢字屋さんになったら食いっぱぐれはないね。