上から下、左から右!

 着任したときはもうコースが始まって3か月近くたっていたのに、まだひらがな・カタカナが怪しい。それからひと月たってもさまで改善しないので、業を煮やして、ひらがな・カタカナテストをすると宣言した。「半分できないようならサヨナラだよ!」と脅したが、それはもちろん冗談のつもりのハッパだったのだけども、結果は半分以下がぞろぞろいて、零点そのものもいればそれに近いのも何人もいるありさま。自分の名前すらカタカナで書けないのもいる。困ってしまった。

 仕事もしていれば家庭もあって、子どもの世話もしなければならない。勉強の時間がないというのは理解するけれど、こちらの理解とは関係なく、最終的に絶対に合格しなければならない公的試験がある。しかし4か月もたってこれでは、とても合格の見込みはない。読み書きは求めない、話して聞くことさえできればいいというニーズの人も世間にはいるけども、ここの場合は日本へ行って働くこと、留学することが目標なのだから、これではとうてい無理である。ネジをきびしく巻かなければならない。むずかしいタスクを背負ってしまった。

 

 外国語を習得するのはそれでなくてもむずかしい。まったく異なる異様な文字体系を習得するのはもっとむずかしいかもしれない。だから、初めに適切な指導がされないと、「無法地帯」が現出することとなる。字には書き方がある。書き方の指導がなおざりだと、学習者は形をなぞるだけになってしまう。いうなれば、彼らは字を書かず、「絵」を描いているのだ。

 何ごとにもルールがあるし、そのルールには訳がある。

 上から下、左から右へと書く。これが大原則で、例外はあるがごく少ない。ひらがな・カタカナ・漢字を通じてこの原則である。それにはもちろん理由がある。

大多数が右利きのこの世界で、右手で書くなら左から右に線を引くのは自然だ。

 日本語は(その手本である漢文も)本来縦書きするものである。だから上から下へ書く。もともと縦書きだった日本語だが、今では縦にも横にも書く。横にしか書けないアルファベットと違い、それは日本語の長所であるけれども、外国人学習者のための日本語教材はすべて横書きだから、外国人は縦書き日本語を知らずに学ぶ。ここにひとつの落とし穴がある。

 漢字からまずカタカナが、それからひらがなができた。しかし外国人はひらがな・カタカナ・漢字と逆に習う。系統発生に逆行するわけだ。「無法」のよってくる下地はここにもある(その点中国人は、多少の癖字はあるけれども、文字の根幹をゆるがす「無法」はないし、書の国だけあって達筆の人も多い)。

 うまいに越したことはないが、(かく言う筆者自身を始め)日本人にも字の下手な人はごまんといるから(特に医者には悪筆が多い印象がある)、字の巧拙は問題ではないけれども、上手下手以前に、ほかの字と間違えられないように書かねばならない。これが最低ラインなのだが、それ以下が多いのだ。

 もっとも典型的なのはカタカナの「シ」と「ツ」、「ソ」と「ン」である。「パソコン」を「パンコン」「パソコソ」、「シャツ」を「シャシ」「ツャツ」、ごていねいに「ツャシ」と書かれては困る。カタカナ「シ」「ツ」もひらがな「し」「つ」と同じ、つまり最終的に上へはね上げる・下へ書き下ろすのだし、二つの点は「シ」では左に上下に、「ツ」では上に左右に並ぶのは、ひらがなの入りの線がそれぞれ上から下・左から右に引かれるのとパラレルなのだが。

 「そ」はひと筆で書くのでなく、ふた筆で、つまり最初の点を打ち下ろしてからあとの部分を書くように指導するのがいいと思う。こうすれば、ひらがなの上の部分がカタカナ「ソ」だと教えられる。共通の親字である漢字「曽」から、くずして早く書いてひらがな「そ」、上の部分だけ取り出してカタカナ「ソ」ができた経路も示せる。

 「ホ」が「木」となるのも普通によくある。もともと「木」からできた文字(「保」の右下部分を取り出して)であるのだけど、混同しないようにしなければならない。

 そのほかよく間違えるものには、「あ」と「お」。ひらがなであるべき「か」が「カ」に、カタカナであるべき「カ」が「か」になる。「ほ」の右縦線が上に突き出る。そうすると「しま」になってしまう。「い」が倒れて「こ」、右側が長すぎて「り」。「て」の下部が長く伸びて「こ」に、「や」の右上の線が右に外れて「か」に見える。「わ」がどう見ても「B」だというのもある、等々。

 これらは最終的な形の問題だが、それ以前の深いところで、書き順と筆画をめぐる問題がある。書き順は日本の小学校が指導するほど熱心になる必要はないのだが(この「必」の書き順や「右」「左」に拘泥するのは行き過ぎというものだ)、ただし、急いで書いた手書き文字はくずし字続け字になるのだけども、その際書き順にそってくずしたり続けたりするわけで、間違った書き順だとそれが読めなくなる。「け」を縦縦横と書いていては、縦横縦と続け字で書いたものは読めない。正しい書き順にそわないくずし字をする日本人もいるけれども、手書きのくずし字続け字を読みこなすためにも、ここは注意しなければならない。

 そして画数の問題。「ク」と「ワ」は形の問題として間違えやすいということのほかに、ともに一画で書くことがよくあり(つまり左部分を下から上に書いている。「ウ」でもそう)、逆に「ク」を三画にして「ケ」と見まがうこともある。「上から下・左から右」の原則を破ると、「コ」「ヨ」を一画・二画で書くということも起こる。つまり右から左へ線を引いているのだ。「山」を二画(右縦線を下から上へ)もよくある。もっとも頻出するのが、三画の「口」を一筆書きで一画、上向き下向きのかぎ二つで二画、縦縦横横と四画とするものだ(四画の場合は、クロスした部分がはみ出ていれば「井」である)。

 画数を正しく認識していないと、漢字字典をひくとき困る。もともと漢字は困った存在で、辞書を調べるときには画数を知っていないと戸惑うことになるだろう。彼らが漢字字典をひかねばならない事態に陥ることはまずないだろうが、それでも、どんなにその可能性が低くとも、そんじょそこらの日本人教師などひれふさねばならないようなすばらしい日本語の使い手、達人がその中から現われることを前提に、彼らに対するべきである。

 要するに、絵を描くようにではなく、正しく(ある程度正しく)字を書く必要があるのは、そうすると1.きれいな字が書ける、2.手書きのくずし字続け字が読める、3.漢字字典が引ける、の三つのメリットがあるからで、逆にそれを欠くとこの三つを失う。結局、形が合っていればそれでいいということはないので、書き方のルールの最低限は教えられなければならない。

 今は筆順アプリなどもたくさんあって、家で書き方の練習はできるはずなのだが、よほど熱心な学習者以外はなかなかするものでなく、授業によるところがなお大きい。

 

 結局、系統発生の原点に立ち返ることが必要なのだろう。日本語は本来こう書くのだと縦書き小説本などを見せる。後ろから前へページをめくるのかと驚嘆する者もいよう。もちろん日本語としては前から後ろへなのだが。教師が口述した文を書き取り練習させ、それを板書させる。おかしな字はその際に正す。そしてときどきは縦書きに板書させる。

 筆を使って教える時間も作るべきだ。水書道セットという水で字が書け、水が乾くと消えるというすぐれた教具があり、これだと墨で手や服を汚すことがないから、日本語教育施設には標準装備するようにしたい。

 縦書き原稿用紙も活用したいもののひとつで、縦書き練習のほかにも、日本語は分かち書きせずベタ書きをすることを示せる。だからカタカナの名前の場合、名前と苗字の間に中点を打つ必要があるわけだ。音の長さ、拍を理解させるさせる一助にもなる。拗音(「きゃ」「しょ」など)以外は一拍一マスであるから、つまり発音のむずかしくない日本語の中で例外的にむずかしい特殊拍、長音(長い音「ー」など)・促音(「っ」)・撥音「ん」)も、それ自体一拍の長さであることが視覚的に見て取れ、指導の側面補助になるだろう。

 

 同じような間違え方をするということは、その誤りにもわけがある、そのような誤りに導く日本語の側からの「罠」があるのだろうと考えられ、その点は考慮しなければならないが、しかし誤りは誤りだ。最初にしっかり教えなければならない。特に文字についてはそうである。定着してしまったものをあとから直すのはたいへんだから。