スピーチコンテストさまざま

 さまざまな国でスピーチコンテストが行なわれている。参加者たちのスピーチにはその国の習慣伝統や課題問題が現われていて、なかなかに考えさせられるものがいくつもある。また、そのやりかたには国情が映し出されていて、その点もおもしろい。

 トルコの大会では、出場者の大学名を言わないし、教えない。所属大学名で審査員に予断を与えないためであろう。これがインドになると、出場者の名前自体を伝えない。名前でカーストがわかるからだという。それはたしかに予断を与えるだろうとは思うが、ところ変われば品変わるとは言うものの、そうまでしなければならないかと一驚する。公平性を担保するため、いろいろなことをやっているわけだ。

 ネパールも名前で民族・カーストがわかる国であるが、名前は堂々と名乗る。インドの事情を知っている者としてはほっとする。個性がきらりと輝くべき大会で、名無しの権兵衛さんばかりではやはり異様だから。ネパールにも被差別カーストはあるのだが、民族やカーストによる差別は概して少ないようだ。ネパールはインドの目指すべき未来でもあろうか(スピーチコンテストに被差別カーストの学習者は出ないというのが前提だとしたら、問題なしとはしないけれども)。

 中国では、ふつうの準備してきたスピーチのほかに、そのあとで即興スピーチをさせられる。用意したスピーチは、勘ぐれば本人が書いたものか確証はなく(今はYouTubeで過去のすぐれたスピーチを見ることができるので、そこからアイディアをもらうだけならともかく、剽窃も行なわれている疑いはある)、それでなくても教師の手は多かれ少なかれ入り、間違いはしっかり直されているし、何度も何度も練習して練り上げられたものである。だから、そんなスピーチがよくできたからといって、本人の日本語力が高いかどうかはそれを聞いただけではわからない。別に試験ではないけれど、賞状も渡すし入賞商品なども用意しているのだから、ある程度以上の日本語力はあると示されなければならず、そのためにスピーチのあとで質問をしたりするわけだ。その受け答えも審査の対象となる。

 そういう質疑応答はけっこうなことだと思うのだが、即興スピーチには驚く。たしかに、その場でテーマを渡されスピーチをすることにすれば、出場者の日本語力は歴然とわかる。だが、それでは口頭試験である。科挙である。試験試験で絞ってきた何世紀にも渡る伝統を見せつけられる思いがした。

 能力査定偏重のこのやりかたでは、出場者は互いに隔離される。いくつか用意されたテーマのうちからひとつを引いて即興でスピーチをまとめるのだから、前の人のスピーチを聞くわけにはいかない。それでは後からスピーチする者が有利になってしまうから。スピーチコンテストは交流の場でもあるのだが、ほかの出場者のスピーチが聞けないのでは、まったく口頭試験会場になってしまう。出場者の数だけ異なったテーマが用意されていれば隔離もいらないが、それはそれでやりすぎだろう。

 今年のネパールのスピーチコンテストは、去年に引き続きオンラインで開催された。もはやロックダウンは解け、さまざまな催しが行なわれている状態だから、リアル大会ができたはずであるけれど、準備段階では実施予定日にコロナの状況がどうなっているかはわからないので、そうなるのもいたしかたない。

 やむをえない代替手段であるにとどまらず、オンライン大会にもメリットはある。発表順は出来にも審査にも影響する。最初の弁士はどうしても不利であるし、スピーチというのは話すそばから宙に消えるものであり、一定の基準ですべてを公平に審査できるかどうかは疑問だ。発表順の影響はほとんどないし、ビデオを見るなら審査が入念にできる。また参加者が多くの人を前にして過度に緊張することもない。しかるべき審査員は一般に忙しいであろう人だから、そういう人たちを特定の時と所に集めるのはけっこうな負担で、その努力がいらないのもありがたいだろう。

 だが、スピーチは芝居と同じである。客席の反応が芝居の命だ。スピーチも、ユーモアに富み聴衆の笑いで盛り上がるタイプのスピーチは、オンラインではみじめなことになってしまう。感情に訴えるタイプのスピーチも不利である。幸いと言うか何と言うか、今回はそういうものはほとんどなかったけれど、オンラインではやはりスピーチの影を見せられただけだとは言える。

 また、大会の必然として、審査休憩というものがある。審査員が集まって審査集計し賞状その他を用意するためにステージが空白となる時間で、それを埋めるために、スピーチする以外の学習者が舞台で歌や踊り、寸劇などを披露することがよくある。スピーチはしたくないが、そういうものならやってみたい学生に発表のいい機会を提供することにもなる。スピーチコンテストの祝祭的な性格がより明確に示される。そういう祝祭性が削がれた痩せさばらえた催しとなったことは確かである。中止よりはもちろんずっといいにしても。

 ともかく、オンライン大会がどういうものであるかを知ったという意味ではおもしろくはあったが、来年はぜひリアル大会にしてほしいものだ。