イスラム暦とイベントと

イスラム教徒が人口の99パーセントを占めるトルコでも、暦は太陽暦を使う。しかし宗教的慣習的な祭日はイスラム暦によっていて、これは太陰暦である。われわれの旧暦は太陰太陽暦で、基本は月の満ち欠けによる太陰暦だが、閏月を設けて太陽暦から離れないようにしている。だから、たとえば旧正月太陽暦上では常に前後に移動するが、その幅はひと月ほどだ。キリスト教の移動祭日の復活祭も同じ。しかし純粋な太陰暦であるイスラム暦は、太陽暦に対して常に前進を続ける。すると祭日も移動する。
イスラム祭事暦の二大祭日は断食明けのシェケルバイラムと犠牲祭クルバンバイラムで、このときはもちろん誰も学校に来ない。だから学期の始まりや試験期間はこれを避けて設定されなければならず、毎年あるいは大きくあるいは小さく影響を受ける。太陽暦太陰暦のはざまに立っていちばん割を食っているのが学校暦で(近代イスラム国家の縮図?)、前に後ろに常に揺れ動く(右に左にではないけれど)。敵の小刻みな動きに対し、軽やかなステップを踏んでこなしていかなければならないのだが、なかなかそうもいかず、しばしば足がもつれてしまう。


2010年は「トルコにおける日本年」であった。そのおかげで公演や文化紹介の行事がたくさんあってよかったが、この「日本年」で弁論大会はたいへんだった。賞品は例年よりずっとよくて、それはけっこうだったのだけど。
いつもはテーマが自由なイスタンブール大会でも、今年に限ってはテーマが設定された(「日本」)。この大会は毎年締め切りが試験期間から試験後の休暇中に置かれるので、自衛のために試験が始まるまでに書いておかせることにした。そして、希望者がみんな書いてきたあとで大会要項の発表があり、テーマを課されることを知る。あわてふためいて課題に沿った書き換え書き足しをすることになった。
アンカラ大会も、日本年の行事の都合上、例年よりひと月近く早くなった。
この大学では、作文の授業は2年次からである。学期は9月半ばに始まるが(今年は9月20日から)、最初の週は学生が半分も出てこないので、授業を始められるのは翌週からとなる。すると、10月1日なんていう締め切り設定だと、2年生はスピーチの作文を書く時点でまだ作文の授業が始まっていない。原稿用紙の使い方も知らない。いつもの年のように11月半ばなら、2年生も作文の授業でもういくつか書いて慣れているからいいのだが(ただし、この日取りだと中間試験にかかるという別の困惑もある。困った国である。試験が多すぎるんだよ)。
課題は、初級の部も中上級の部も「日本とトルコの将来」であった。こんな懸賞論文のようなテーマを与えられて、半径5メートルのことしか書けないうちの学生は四苦八苦した。中上級者にはこのくらいの題を課されてもしかたがない、というか、このくらい書けなくてはいけないが(しかし実際にはなかなか書けないが)、初級の学生(「みんなの日本語」?が終わった程度)の学生にはむずかしすぎる。授業では「わたしの部屋に机があります。机の横に本棚があります」なんてのをやってるんだもの。こんなテーマで文章を書くには、語彙も文法も決定的に不足している。
しかし、ぜひ出場してスピーチしたいというけなげな学生は一定数かならずいる(その「けなげさ」は優勝して日本へ行きたいという高望みに支えられているのだが)。だが、実際問題として書けないのだ。だからトルコ語で作文して、それを訳そうとする。もちろん翻訳する力もないので(だいたい翻訳は作文よりずっとむずかしい)、徹夜して辞書を引きまくった上で、とうてい日本語でないもの、破壊された暗号文みたいなものを書いてくる。期日が11月なら、そしてテーマがやさしければ、初めから日本語で書けただろうに。実に気の毒だ。素直でまじめな学生ほどそんないとおしいことをする。なのに教師は、その暗号文を破棄して、新たに別の作文を書かせる、という無慈悲で応じる。彼女は朝の5時までかかって何とか書いてくる。書かせるほうも気の毒に思っているのだが、しかたがない。締め切りがあるのだ。だが、その愚直な努力は決して無駄にならないと信じる。えらそうに教壇で教師面をしていても、実はできるのは信じることだけからそうするわけだけど、そしたら大会で3位入賞した。よかった。報いはこんなに直近でなくてもいいのだけども、早ければ早いほどわかりやすくもある。実社会でもこんなふうに努力がいつも実を結んでくれればいいのだが。


その年の行事日程におかまいなく、年は来たり、年は去る。年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。どんな苦労も、乗り越えてしまったあとではいい思い出の語り草だ。後の世の思い出となるべき苦労を、きょうも重ねるのみ。