ネパールに「日本語熱」はあるのか

カトマンドゥには市営バスがない。バスはすべて個人経営のようだ。会社組織であっても、給料は歩合制に違いない。きれいなバスはなくはないがないに近く、汚い小型バスとやや汚い小型バスばかり走っていて(さらに小さい乗合自動車とさらにさらに小さい三輪乗合自動車もある)、そのバスには車掌と呼ぶにはためらわれる薄汚い格好でゾウリ履きの男が乗っている。集金係の助手である。子供のこともあり、女であることもまれにはある。大きな荷物は屋根の上に載せるのだが、ましらのごとく梯子をするすると登って、客の荷物の上げ下ろしをしてやる。行き先を連呼して客を威勢よく呼び込むのが主な仕事で、停留所で降りてバスが動き出すまで呼び込みをし、走り始めたバスにひらりと飛び乗るのはなかなかいなせなものだ。バスはだいたいいつも込んでいて、たまにすいているのに乗れても喜ぶことはできない。すいていれば客引きのためバス停に長く停まるのだから。客の数と稼ぎが直結しているのだろう。
外国人にとっては便利とは言いかねる乗り物だが(表示がネパール文字だから読めないのだ。数字が書いてあっても、これもインド数字だからわからない。結局客引きの兄ちゃんに行きたい場所を言って、乗れと手真似されたら乗るということになる)、ネパール人にとっては便利なのかもしれない。いずれにせよ、必要によってできた事業形態である。公共セクターとしてバス事業をすれば金がかかるし、赤字になる恐れもあろう。民間にゆだねれば、競争と工夫によって最適の形態を見つけ出す。快適とは言いがたくても、カトマンドゥの状況に対しては今のところこれが最適ではあるのだと思う。


日本語学校もこれと同じである。
ネパールは、異常な数の留学生を送り出し、国内では異常な数の「日本語学校」で生徒が日本語を学んでいる。驚くべき「日本語熱」があるように見える。
日本への留学を仲介する業者が500以上ある。正確な数は誰も知らない。日本専門の業者もあるし、いくつかの留学先のひとつとして日本を扱う業者もある。
この国の「日本語学校」というのは、仲介業者が設けている日本語を教えるクラスのことである。留学ビジネスが本業で、日本語学級はそれに付随するサービスなのだ。
1日1時間ほど、無料、随時入学可が特徴である。授業料を取るところもあるが、たいていは無料で教える。そこでもうけようと思っていなくて、留学仲介によって得られる収入によって会社は運営されている。授業料を取るといっても、手続きがすべて成功裏に終わってビザが取れてから、授業料もいわば成功報酬の一部として徴収するという「良心的」な業者もある。留学できなかった者は無料になるわけだ。
生徒はできるだけ早く日本へ行くのが望みだから、3か月とか6か月ぐらいしか学校に来ない。長くても1年未満がところだ。
日本語を教える大学が1つ、仲介業もしているが、語学学校と言えるものが1つ。それ以外はすべて「留学業者学校」である。


教師の数もしたがって多いわけだが(学校の数を考えれば1000人もいるかもしれない)、N5程度で教えている教師が多いと聞く。それ以下の人もおそらくいるだろう。
教師の数が多いのだから当然だが、JALTAN(国際言語大学の中に事務局がある)という教師会もある。だが、この「教師会」に教師は加入できない。学校単位での加入になるのだ。学校として加入を希望しても、申請書をはじめいくつもの書類を提出した上で、審査がある。その審査には5年かかるなどというとんでもないことを言われる。
これにはもちろん「日本語学校」やそこで働く教師が無数にいるという上記のようなネパールの特殊事情もあるので、資格審査なしに受け入れることができないのは理解できる。しかし、教師が非加盟の学校にかわってしまったらメンバーでなくなるということだから、「教師会」と言えるのかという疑問はつきまとう。かつ、審査に5年もかかるというのはまったくありえないことで、新規参入を認めない利権団体ともなっているのだろう。JLPTの実施、弁論大会やカラオケ大会の開催、デリーの交流基金の専門家が来て行なうセミナーの受け入れ(デリーの基金からの通知には参加無料とあるが、JALTANは1500ルピーの参加費を取る)などの活動をしているが、その一方で大使館や交流基金の援助は独占されているのだろう。なお、昨年まで弁論大会やセミナーへの参加は加盟校の教師学生に限定されていたが、今年から誰でも参加できることになったそうだ。といっても広報をしていないので、「部外」からの参加はほとんどない。
この「ネパール日本語教師会」のほかに、「ネパール日本語学校会」JALSANという団体もある。JALTANに加盟できない学校がいくつか集まって独自に自分たちの組織を作ったわけだ。これも弁論大会などを催している。教師会も他国に見られない独特なありかたをしている。


留学仲介会社の経営者は、日本留学の経験者で帰国後この仕事を始めた者もいるし、当人は日本と関係なく、ただ商売としてやる者もいる。
留学先としての日本はセカンドチョイスである。オーストラリアやアメリカに行きたい者が多い。英語はすでに知っている。日本語はゼロから始めなければならないのだから、本当に学びたいなら英語圏への留学を目指すほうが自然だ。オーストラリアなどでは卒業後働くのも永住権を取るのもむずかしくないと聞く。ただ、それにはある英語試験の成績が60%以上でなければならないし(それはとても高い水準らしい)、学費も高い。留学でなく働くためには、湾岸諸国やマレーシア、韓国などへ行く。
国内に仕事がないので外国へ行くことになるのだ。ネパールには進出企業がない。港がなく、輸送インフラがきわめて貧弱だから、いくら人件費が安くても製造業は進出できない。観光業ぐらいしかよい働き口がない。そのため、留学をして帰国しても、日本語を生かす道がない。日本語力を生かす道は、「日本語業」(留学仲介業とか教師とか)か観光業となる。「日本語業」につく者は、つまり後進が払う金の中間搾取によって生活をするわけで、無限ループの構造になっているし、おそらくは先細りなのではないかと懸念されるが、しかたがない。それしかないのだから。
セカンドチョイスということは、英語力の低い者が日本語学校に来るということだ。インドと同じく英語で教育を受けているはずなのに、生徒の英語が下手なのに驚くことがある。インドですら英語が話せる者は人口の2割、流暢に話せる者は4%だというから、イギリス植民地でなかったネパールではさらに低かろう。田舎から来た生徒が多いのも一因である。田舎はやはり英語教育のレベルが低いので。
これらの「日本語学校」の経営は、仲介手数料と日本の学校からの報奨金によって成り立っている。だから何としても「顧客」を日本へ行かせたい。そこに歪みが出る。
語学センスがない者も、それどころかそもそも頭が勉強に向いてない者も学校に来る。私は音痴だし運動神経も悪いので、歌やスポーツとは適当につきあうだけで関わろうとは思わない。ほかの自分に適性のある分野でがんばればいいと思う。だが、私などがいくらそう考えようと、そういう適性のない者もどしどし学校に来る。しかし顧客であるから、飯の種であるから、どんな学生でも世話しなければならない。
多くの学生はまじめだが、日本語が勉強したいのではなく、日本のビザを取って日本で働くのだけが目的の者もかなりいる。100万もするような授業料は「ビザ代」と考えて、その「ビザ代」を払ってアルバイトに精を出し、疲れて学校に寝に来るような者が出てくるゆえんである。
だからその「ビザ代」が惜しい者は、難民申請をしたり(それが却下されるまでの間は―もちろん却下される、難民でも何でもないのだから―学校に行くことなくアルバイトに専念できる)、不法滞在をしたりする。倫理的には不誠実で、長期的全体的には不利なのだが(彼らの行為によって入国審査が厳しくなり、後進の同胞の申請を難しくする)、短期的個人的には合理的で合目的的な方策である。つまり、構造的な問題なのだ。


日本へ行くには関門が3つあって、まず日本の日本語学校の面接(スカイプのことが多いが、直接日本から誰か来て面接することもよくある。お得意さま回りということだろう)、在留資格(COE)取得、大使館の面接。ほかの国ではCOEが取れたというのはビザが取れたというのと同義だが、ここではそのあと大使館の面接に合格しなければビザがもらえない。
本の学校の面接を受けるのは、ひらがなカタカナを習った程度、「みんなの日本語」の2・3課までぐらいしか勉強していない連中だ。それに面接練習をほどこす。想定問答を覚えこませるわけで、犬に芸をしこむようなものだ。「日本語はどうですか」と聞かれると、一人残らず「日本語はおもしろいですが、漢字はむずかしいです」と答える。想定問答集の通りに。授業ではまだ「これはボールペンです」「ここは教室です」などとやっている連中だから、しかたがない。歳を聞かれて、「8歳です」(18歳)「46歳です」(26歳)と答えたりもする。数字もまだ十分に入っていないのだ。
これに合格すると、そのうち3分の1ぐらいは学校に来なくなる。目先のことしか見ていないし、そもそも日本語を勉強したくないのだから。そして、習ったことを忘れてしまったころになって、大使館の面接を受ける準備のためにやってくる。また犬の芸だ(前回のは、いずれ習うことを先取りして教えるということであるわけだから、犬にたとえてはシニカルにすぎるけども、こちらのほうはまったく勉強していない者の一夜漬け表面糊塗だから、犬を持ち出してはむしろ犬に失礼だ)。


本の学校の面接がだめで行くのをやめる者もいるが、これは傷が浅い。まだ留学仲介業者にも日本の学校にもお金を払っていないから。
入学許可をもらってCOE取得のための手続きを始めるとき、仲介業者に手数料を払い、COEを取ったあと日本の学校に学費その他を払うので、すべて準備が完了したあとに大使館の面接で不合格となりビザがもらえなくなると金と時間の大損になるわけだが、目の前のことしか見ない彼らはその深刻さを理解していない。平然と田舎へ帰って授業に来なくなる。そして直前に犬の芸。
COEは書類審査だから、日本語力は関係ない。教師がやれることはない。書類の不備でこれがもらえない者も一定数必ずいる。半数を超えることもあるようだ。中にはまじめに勉強してかなりできるのもいるのだが、COEがもらえないとなると、彼らも日本語の勉強を即座にやめる。日本へ行くことだけが目的だから、そうなる。がっかりである。


COEはそういう審査だからしかたがないが、面接の結果も日本語力や努力と正比例しない。箸にも棒にもかからないのは落とされるが(落とされない場合もけっこうある)、箸にかかった者の中から誰が選ばれるかは多くは印象による、という印象を持っている。当人の学力や努力は教えている教師がよく知っている。どうしてこっちがだめでこっちが、と思うことはしばしばある。
大使館の面接でも、学力と努力が正当にはかられるわけではない。だいたいあからさまに日本語力のない者がふるい落とされているとは言えるが、例外はいくつもある。
試験なら学力・努力をかなり反映した結果になるからこれに依拠してほしいのだが、大使館独自で筆記試験を行なうのは難しいだろうとは思う。さりとて現行の民間の試験はカンニング横行で信頼できない。
このカンニングの問題。まあ半分ぐらいはカンニングする。「みんなの日本語」2・3課程度習っただけの者が大勢N4レベルの判定を受けている。試験を実施する者も監督する者もかつて大いにカンニングしていたわけだから、克服しがたい業病のようなものだ。日本人が監督の任に当たらなければだめだろう。日本人が関わっているJLPTは信頼できるようだが、ほかは信用できない。
そのようなもろもろの結果、日本へ行けるかどうかは多分に運の問題となってしまう。よく勉強した者も、行けることもあれば、行けないこともある。まったく勉強しなかった者も、行けないこともあれば、行けることもある。やんぬるかな。


COEがもらえず日本へ行けなかったけれど、その後も日本語の勉強を続けてN3ぐらい取って、学校で日本語を教えている人たちもいて、N2試験を目指して独学で勉強したり、教師研修セミナーなどに参加したりしている。辞書や参考書を作っている教師もいる。不十分な出来の辞書だとしても、作ろうという意図そのものがよい。
こういう人たちこそ留学させたいのだが、書類の不備で留学できなかった彼らにチャンスを与えないような体制になっているのは本当に残念だ。


このようなネパール人留学生らが貢ぐ金によって日本語学校や一部の大学・専門学校が支えられているわけである。情けないことではある。
「留学」と言うなら、本当に勉強する力のある者に制限すべきであって、JLPT合格者は面接を免除したうえで(今年一瞬だけそう決められたが、すぐ撤回された。しかしこれは外務省外郭団体も運営に当たる半公的な試験だから、民間の試験とは一線を画されてよい)、一夜漬けの効かない漢字についての問題を取り込むことによって、厳格公正化を図るのがいいだろう。
一方で、名のみの留学でなく、韓国のように語学力審査をした上で労働力として受け入れる制度も導入するべきだと思う。年間受け入れ人数や滞在年限等、さまざまな制限は必要だろうが。


日本人が直接法で教えるのは、長期的視野のもとにのみ可能であって、せいぜい半年しか勉強しない者にはネパール人がネパール語で教えるのが適当である。学期やクラスが確定していないと、直接法は効果を発揮しがたいのだ。学期もクラスも融解しているネパールでは、日本人教師の必要性はほとんど認められない。1日1時間、無料、随時入学可、来たければ来て休みたければ休む、というのが結局ネパールの実情に合っている。日本語学習者の異常な多さに比べて、日本人教師が異常に少ない理由もそこにある。カネがかかるのに効果が薄い日本人教師を経済的に脆弱な極小規模の業者が招くわけがないということだ。


ネパールが親日的なのはたしかである。だいたいみんな日本が好きだ。しかし日本については何も知らない。大使館や日本人会が日本文化紹介の催しをよくしているが、こんなにいる日本語学習者のごく一部しか参加しない。概念的に好きなだけなのだ。
つまり、「日本渡航熱」はあるが、「日本語熱」があるとは言えない。そして「日本渡航熱」は外国への「出国熱」の一部でしかない。いや、「熱」は一時的なものについて言うので、これは恒常的な(恒久的でないことを願う)ものだから、むしろ「若者の進路選択肢のひとつ」と言うべきだろう。留学後働いてのち帰国するなら出稼ぎ、住みつづけるなら移住である。そういう大きなコンテクストの中にネパールの日本留学・日本語学習はある。
きわめて特異で独自なネパールの日本語教育事情である。


ではネパールで教えることを人に勧めないかというと、そんなことはない。このような諸事情をわきまえた上なら、薄給で働くのもいいのではないか。おもしろい国、気持ちのいい人たちだから。ただ、これらの事情は所与である。