五輪組織委員会長職

 五輪組織委員会の会長が辞任して、後任をどうするかという話になっている。
 辞任に至るきっかけは、ほとんどフレームアップである。コンテクストの無視によって、大した問題でないものが拡大されてしまった。なるほど失言をしたし、それは不適切であった。「女性蔑視発言」なんだそうだが、違う。「女性軽視発言」である。言葉は正しく使わなくてはいけない。失言は失言だし、不適切なのは不適切だから、当然謝罪せねばならず、そのときの態度が非常に悪かったため辞任せざるをえなくなったのだが、PC的にこそ問題であっても、神妙に謝罪し釈明すれば十分で、それでIOCも不問に付すつもりだったものを、「おもしろおかしくしよう」と狙っている連中にしてやられてしまったと腹立たしく思っていたから、ああいう態度になったのだろう。だが、あの態度は悪すぎたので、その後の成り行きになってもしかたがない。失言の前科は売るほどある人だし、首相としては器でなく、その座に就いたいきさつも言語道断だったから、それらの前歴もわざわいしただろう。
 では、後任は誰か。前会長は川淵氏を適任として、氏に依頼した。それが「不透明」なんだそうだが、どこが?と思う。退く会長が後任を推薦して何が悪い? むしろそうするのが適切であろう。懲戒され解任された会長がそうしたならたしかに問題だが、辞任である。推薦された候補者(複数)について理事会で議論し、そのうちから誰かを選べばいいだけのことだ。委員会は前会長を「余人をもって代えがたい」と思っていたから慰留もしたわけで、後任選びはむずかしくなると知っていたればこそ、家族が大反対の川淵氏に頼み、高齢の氏も引き受けたわけなのに、それが候補を取り下げさせられた経緯のほうこそ「不透明」きわまるものだろう。時間がないのだからさっさと理事会をやってさっさと決めればいいものを、候補者検討委員会などを新たに設置するなんてことになっている。メンバーも公表されぬ秘密会で。「院政」などという言葉も出てきて、それは許されないというような論調もあったが、半年後に解散する組織で何の院政だろう。これはプロジェクト遂行チームなのだ。事情をまったく理解せず、「おもしろおかしく」しているだけだということがそこからもわかる。何か犯罪を行なったとでもいうのだろうか? 影響力が残ってはいけないみたいな報道ぶりだが、内外に影響力のある人なら、プロジェクト遂行のために辞任ののちもぜひそれを使ってもらうべきだろうに。奇怪な言説ばかりだ。
(普通に考えれば、正会長が辞めれば副会長が昇格しそうなものだが、そういう声は聞かない。そんな組織はどこかおかしい。いくら代えの利かない人でも、あれくらいの年齢なら、長い準備期間のうちに今回のようなことでなくても倒れてしまって誰かに交代しなければならなくなることは想定されているべきで、そうしたことを考えていなかったのならお粗末と難じられてもしかたがないだろうが、まあ知らないことは云々すまい。)
 半年務まればいいのだから高齢は大きな問題でないはずなのに、老人はだめ、女性がいいというのも実にバカな話だ。お飾りならそれでもいい。開幕まで5か月となった時点だから、平時なら事務方が事務をこなすだけでよくて、お飾りでも務まる。だが、今は非常時だ。開催するか、中止か、再延期か。有観客か、無観客か。知恵を絞り対策を立てねばならない事柄にみっしり囲まれ、リーダーとして実働隊を引っ張り、交渉と決断をせねばならぬ局面が出てくる。有能でなければできるものではない。

 開催するかしないかは考えるまでもない。開催する以外の選択肢があるわけがない。退路はないのだ。中止すれば、大金をつぎこんで準備し、延期でさらにかさんでしまった出費が丸損になる。その後の事務処理も膨大だし、各方面と交渉が必要、出血をさらに強要される。その仕事はすべて後ろ向きで、何の実りももたらさない。主役たる選手たちは、大会に向けて懸命に努力し準備してきたのに、それも無になる。さまざまなスポーツ大会が現に開催されているのに、どうしてオリンピックだけ中止にせねばならないのか、わけがわからない。フロリダが代替開催を申し出ているそうで、それが本気なのか、一部の者が個人的な思いつき(あるいはジョーク?)を言っているだけなのか知らないけども、フロリダでできるなら日本でできない理由はなかろう。もちろんフロリダでできるわけがないが。
 再度1年延期すれば、北京冬季五輪やサッカーW杯と重なってしまう。再延期の理解を国外各方面から得るのもたいへんなうえ、費用もさらにかさむ。許されるのか? 耐えられるのか?
(10月に延期するなら大賛成だ。それには国内外の無数の機関団体との調整が必要となり、時間がない今到底現実的ではないが、もし実現するならもろ手を挙げて歓迎する。東京で7月に開催するなど愚であるとは、まともな人間なら誰でも思うことだ。)
 コロナ禍克服を謳う大会にするとか言っていたけれども、もし東京大会が中止になれば、北京がその大会になってしまう。それは非常に不愉快なことだ。中国はもちろんそれを大々的にアピールする。中国が! あの国は新型コロナウィルスは国外からもちこまれたものだという説も臆面なく外国人観光客に宣伝しまくるだろう。日本が災厄に立ち向かうことをせず、みすみす中国にその役を譲るのは、日本が沈み中国が昇るのを世界にこの上ない形で示すことになる。中国の興隆と日本の後退は厳然たる事実だからしかたがないが、わざわざみずから降りる臆病ぶりをさらしてまで、中国の強い意志と力の引き立て役になることはない。もはやどうあっても傷を負うことは避けられない。どうせ負うなら、逃げ傷でなく、向こう傷だ。

 もしコロナ禍なく、予定通り去年に開催されていたら、きっと大いなる成功裡に終わっていたことだろう。予定を立て、それに従って物事をこなすのは日本人の得意とするところだ。辞めた会長も、大成功だったラグビーW杯と合わせ、名組織委員長として称賛されていたに違いない。しかし、想定外の危機が勃発したときの対応となると、苦手どころかほとんど無能の領域に堕ちてしまう。トップが責任をもって的確な決断を下すことができないのは、いま目前に見ているとおりだ。トップのざまがいちばんひどいにしても、国民もそうなので、五輪中止というのはリセットボタンを押して瞬間的に目の前から見えなくなればよしとする行為だというのがわかっていない。

 去年のように実際客観的に開催不可能ならやむをえないが、スポーツ大会は日本国中で催されている。中止を言う人はムードに流されている。こう言ってよければ、自分の頭でものを考えない人たちだ。さらに言えば、去年行なわれていたとしたら大喜びしていた人たちであり、本当に中止になったらそのあとでなぜ中止したと非難する人たちでもある。今年の開催を望まない声が8割だという世論調査結果など、重大視するにおよばない。どんな票でも一票である選挙なら知らず、いざ開催され日本選手が活躍すれば一瞬で変わるムードなどに足を取られてはならない。南アフリカとロシアW杯の開幕前と後を見れば瞭然だ。しかし、そのような「世論」なるものがあることは事実だから、新しい会長はそれと向き合い、ポジティブに開催を推し進める力が求められる。
 オリンピックを東京で開催すること自体に反対の人がいるのは大いに理解できる。そもそもが嘘(フクシマがアンダーコントロールだの、東京の7月が最適だの)とワイロで招致したオリンピックだ。コンパクトだったはずが、経費の爆発的増大のさまはどうだ。それが気に食わぬのにはまったく同感だが、もう決まっており、準備も着々と進めてきた。やるよりほかに何がある?
 実施する場合、規模が縮小するのはしかたがない。世界中から選手を派遣してくることができるのかどうか。派遣できない国もあろうし、実施できない競技も出てくるだろうが、それはそれまでのことだ。事務量は増えるが。参加国の事前キャンプを誘致し、交流イベントを企画していた市町村には気の毒だが、すべてキャンセルだろう。
 選手に陰性証明や隔離を課し、検査を定期的に行なう。外を出歩くのは禁じ、選手村と競技会場を往復するだけにする。陽性者が出たときの処遇も決めておかなければならない。だいたいは事務方がこなす仕事だが、交渉や折衝で会長の手腕は要求される。
 開催する場合、観客を入れてやるか、無観客かの問題もあるが、これも結論は出ている。有観客である。サッカーも野球も相撲もみな観客を入れてやっているのに、なぜオリンピックだけ無観客なのか。それが議論になること自体がおかしい。密の回避、観客数の制限や声援の禁止などは必要になるだろうが。
 問題となるのは、外国からの客を受け入れるか否かであり、これにはさまざまな意見があるだろうから、議論と決断が必要だ。一律か、感染者の少ない国と多い国を分けるか。記者はどうする? 受け入れる場合は、陰性証明・入国時の検査・隔離(どこで? どのくらい?)などを課さなければならないだろう。
 素人がざっと考えただけでも、交渉したり決断したりしなければならないことが多く、けっこうな政治力がなくてはかなわぬもので、とてもお飾りでは務まらない。

 何ごとにも、絶対賛成、絶対反対の人は一定数必ずいる。どちらが多い少ないはマターによって変わるけれど。その中間の、定見なくムードに流される人たちがどちらにつくかで物事は決まる。だから多数決はよい解決法ではなく、そのときどきの気分に流され漂流してしまう危険が高い。
 リーダーは、その定見なき中間層を引っ張れる人でなければならない。権力によってでなく、力強い言葉や信頼される態度によって。意志と目標をしっかり持ち、人格よく、人徳や人望のある人がリーダーになれる。前会長は、IOCを含む内側の人にとってはすぐれたリーダーだったようだ。意志はもちろんあり、目標を見すえ、人格は知らないが、矢面に立ち、汗をかき泥をかぶることで人徳人望は少なくとも委員会にはあった。だからその働きぶりをよく知るメンバーに「余人をもって代えがたい」と言われていたし、驚くべき信頼ぶりだと感心するのだが、IOCから女性と二人で会長職をやったらどうかと提案されるまでだったのだろう。ただ、外側にはそう思われることがなく、特にマスコミの間には人望がなかった。それが致命傷になった。だから、新しい会長に誰が選ばれるにせよ、外側への配慮は必要で、言葉が大事になってくる。
 どうも頼りなげだった人が、役についてみたら有能だったということはある。地位が人を作るということもある。だが、新しい会長には時間がない。お試しというわけにはいかず、就任したその日からしっかり働いてもらわなければならない。だから外部の人間もだめだ。いちいち新会長に今までの経緯をレクチャーしなければならないのでは、時間もエネルギーも取られてしまう。これまでの事情を知っている内部の人でなければならない。
 そんなリーダー有資格者が委員会にいるのか? 川淵さんならできる。だが、あの人以外にいるのだろうか。委員会にどんな人がいるのか知らないが、これまで名前が取り沙汰された誰よりも、あの人のほうがずっといいと思われるのだが。まあ、「不透明」な力の所在から「不透明」に排除されたことで、「不透明」な人々から恐れられる彼の「透明」にバシバシやる手腕が逆に証明されたと見るべきかもしれない。

 こういう文を1週間前に書いた。もう有効期限切れだが、せっかく書いたものだから、ここに載せておく。
 その間に、島根県知事が聖火リレーの県内実施の中止を検討しているというニュースが出た。聖火を人質にとって要求を突きつけるやりかたは北朝鮮のようで好ましくないが、地方にはそれくらいしか「武器」がないのも事実だ。島根県で感染者が少ないのは、大都市圏から遠いこと、人口が少ないこと、つまり田舎であることが主たる要因だけども、県民が感染予防に努力しながら被害を被っていることもたしかだ。正直者がバカを見ているふうであろうよ。そんな地域から見たら、オリンピック開催地が感染拡大を止められないままに国の支援を受け、そこの知事がコロナ流行を露骨に政治利用しているのは腹立たしいだろうさ。もっと地方に支援をよこせというのがこんな宣言をした知事の狙いであるけれど、合わせてオリンピックの開催条件は第一に感染抑止であることを真っ向から示して、中央に冷や水を浴びせたのはよかった。動機はやや不純ながら、頂門の一針になっただろう。