カタールW杯雑感

 今回の日本代表には期待していなかった。選手には期待する一方、監督に期待が持てなかったからだ。

 あの監督は、決まった時間に決まった選手を同じポジションで交代させるだけで、負けていたり滞ったりしている状況を打開できず、それが大いに不満だった。無能だとすら思った。アギーレやハリルホジッチはそれができた(トルシエはできなかった)。ロシア大会のあとは有能な外国人監督を据えて、生き物である試合を選手交代やポジション変更によってコントロールする術を学ぶべきだと思っていたので、あの人の就任にはがっかりした。

 それがどうだ。ドイツ戦の前半はやられっぱなしで、0-3となることも覚悟したが、後半、まさに配置変更と適切な交代選手投入で逆転して勝ってしまった。何だ、できるんじゃないか。お見それしました、である。

 しかし次のコスタリカ戦は、守りを固めた相手を攻めあぐね、相手に一度しかなかったチャンスで1点取られて負けてしまった。むかしなじみのいつもの日本だった。ああいう試合を何度見せられてきたことか(東京五輪ニュージーランド戦!)。やはり日本は日本で、大して変わっていなかった。

 そして、次のスペイン戦ではまたしても逆転勝ち。いったいこのチームの強さはいかほどかはかりかねるうちに、クロアチア戦。やっぱりしっかり守る相手には勝ちきれないことを再確認した上でのPK戦、そして敗退。攻めるスペースを与えてくれれば勝ち、くれなければ負ける。もはや弱い日本ではないが、強くない日本のままだった。しかし前進は前進だ。今回、スペースを与えてくれる相手なら、どんなに強くてもかなりやれることがわかった。次の監督は、スペースを与えてくれない相手にも勝てるようチームを整えてくれる人にお願いしたいものだ。

 PK戦は、リーグ戦を行なうときは不必要で、実際行なわれない。トーナメント戦で勝ち上がりチームを決めるために、延長戦でも決着しなかったときに行なわれる。そして、このPK戦は運である、とよく言われる。だが、どうやら運ではない。運なら五分五分のはずだが、勝率の異常に高いクロアチアやドイツ、異常に低いイングランドのようなチームがあることから見ても。一方、練習を積んできたと豪語したスペインやオランダがもろくも負けたりもする。日本はこれまでW杯で2回PK戦をやったが(そして2戦2敗)、高校サッカー出身者はみな成功し、Jリーグのユースチーム出身者はみな失敗しているという。高校サッカーは負けたら終わりのトーナメント戦をやってきていて、PK戦の経験豊か。リーグ戦ばかりのユースチームはその経験が乏しいことが裏にあるに違いない。トーナメントでは1回しか試合せず大会から去るチームが出てくる、高校生にもリーグ戦をさせるべきだと外国人識者は言うし、それはまことにもっともだが、反面このようなメリットもあるようだ。

 レギュレーションとしてPK戦による勝ち上がり決めをなくせ、という意見もある。つまり、グループリーグ1位と2位のチームが戦う場合、延長同点なら1位チームが勝ち上がるというアドバンテージをあらかじめ与えておくというやり方だ。準決勝以上なら、これまでの試合の勝ち点の多いチームを優位とする。こうすると、劣位チームは同点では敗退してしまうので懸命に得点を目指し、試合としてもおもしろくなる。ちょうど上位チームにアドバンテージのあるJ1リーグ参入決定戦のように。賛成である。ただし、決勝戦ばかりはやはりPK戦で決定しなければならないだろう。

 だが、当面今の方式が変わらないとするなら、PK戦の練習は必要になる。かつてJリーグは同点のときにPK戦をやっていた。これを再導入したらどうだろうかと思う。試合そのものは引き分けで、両者勝ち点1なのは変わらないが、PKポイントというのを設けて、今は勝ち点同数の場合は得失点差で、それも同じなら総得点で上下を決めることになっているが、その順位決定最優先事項として得失点差より上にPK戦ポイントを置く、というやり方だ。経験を積めば、きっと改善するだろう。プレッシャーのない中でのPK戦であっても。

 

 このカタールワールドカップは欧米によるさまざまな非難にさらされた。その非難にはうなずけるものもあるが、言いがかりレベルのものもある。

 6500人の外国人労働者が死んだと言われるような労働者の劣悪な労働環境や待遇の問題、女性の権利の問題。これらについての批判には同調する。

 しかし一方、奴隷貿易アメリカ大陸にせっせと黒人奴隷を運び、植民地搾取と奴隷労働によって欧米は富を築いた。奴隷解放ののちも人種差別が合法であった。そこを痛切に反省せず批判をするなら、FIFA会長の言うとおり偽善である。

 ウクライナ戦争以来カタール天然ガスの価値が高まっていて、欧米諸国はその買い付けに走っているそうだが、その天然ガス採掘にも外国人労働者が投入されている。あれを批判してこれを批判しないのなら典型的なダブルスタンダードだ。

 また、一部で過酷な労働を強いられている労働者がいるけれど、大半の移民はカタールでの生活に満足し、自国にもどろうとは思っていない。人口の90パーセントが移民労働者であるような国は、移民たちに一定程度以上の満足が与えられないなら国として存立できないことを考えても、当然である。日本の技能実習生制度も非常に問題多く、改善が必要だが、しかしあれによってよい生活を得ている者が多数派なのもまた事実である。プロパガンダに踊らされてばかりではいけない。

 女性の権利は重要な問題である。だがこれも、欧米基準を目標に進められてはいけない。非欧米世界は非欧米世界なりの目標に向かってそれぞれ努めるべきである。公衆の面前で娼婦ファッションができなければいけないなんてことは全くない。

 そして、同性愛者の問題。これ、問題か? 最近異様なほどキャンペーンに力の入っているふたつのうち、SDGs推進運動についてはわかるが、こちらのほうは、どうして突然にゴリ押しに主張されるようになったのかよくわからない。同性愛は許容されるべきだというのには同意。だがあくまで許容である。それが異常であることはたしかで、自分の子供や身内はそうなってほしくないとは大多数が思っているだろう。そこへなぜこんなに急に大量にプロパガンダ資源が投入されているのか、理解の外である。

 「性の多様性」が叫ばれるが、多様性を言うなら世界の多様性をこそまず尊重すべきだろう。彼らがこれが正しい多様性だとしたものだけ他の世界に押しつけるのは、むしろ多様性の破壊である。自分たちがスタンダードで、自分たちがルールを作るという欧米の傲慢が示された事例である。

 いくつかのヨーロッパチームのキャプテンがその運動のシンボルである虹の腕章をつけようとしたが、FIFAに禁止され、それに抗議するためドイツ代表選手は試合前の写真撮影のとき口を覆うというパフォーマンスをした。発言を奪われたと示したいわけだ。誰かが言っていたが、ドイツ代表はカタールへ政治をしに行った。日本代表はサッカーをしに行った。そしてサッカーをしに行ったチームが勝った。めでたしめでたし、である。

 カネについて、カタールがばらまきすぎ、遣いすぎなのは事実で、よろしくないことだと思う。こういう傾向は何とかしてほしいと思う。しかし、それをカタール批判の材料とするのはちょっと違う。巨大スポーツ大会開催にワイロが横行するのは欧米諸国が進めてきたことではないか。ドイツW杯では英雄ベッケンバウアーが疑惑をかけられ、東京五輪では元皇族が辞任に追い込まれた。それと桁が違うだけの話で、道をそれたわけではない。先人たちが踏み固めてきた道を。

 だいたいが、100億だの200億だのというサッカー選手の移籍金はまったく常軌を逸している。傍若無人なインフレだ。それにともなって、テレビ放映権も尋常でない高騰だ。一方でそんなエスカレーションがあるなら、W杯招致で大金がばらまかれるのは理の当然だと思う。批判するなら、まずおのれを正すほうが先だ。根本を何とかしてほしい。

気候についてもひどく非難された。それは11月開催となってヨーロッパチーム主体のカレンダーが狂ったためだが、春秋制の国や南半球の国々にはなんら問題ない、むしろ好適な日程である。なるほどサッカーはヨーロッパが発祥だし、強さからもスケールからも中心だけども、そういう態度は単に傲慢なだけだ。熱帯や砂漠地帯ではワールドカップを開催してはいけないということか? ブラジルのマナウスで試合ができるなら、アラビア半島でだってできるだろう。うちらカタールで何度も大きな大会やってるよ。

 前のFIFA会長は金まみれで失脚したが、彼の進めたサッカーを全世界で普及発展させる方針は正しい。ユースのワールドカップはさまざまな途上国、先進国でない国々で行われている。フル代表だけそうであってはならないわけはどこにある? サッカーがナンバーワンスポーツでない日本やアメリカでもやったのだ。ナンバーワンスポーツである国ならどこでもやっていい。今の会長は北朝鮮でもやれると言明したそうだが、まことにけっこうなことで、ぜひ実現させてほしい。現実問題として北朝鮮でやれるのは女子W杯だろうし、W杯開催となると国を開かねばならないので、あの国は拒否するだろうけども。

 会場でビールが飲めないことにもあれこれ文句がつけられた。ビールを飲みながら観戦するのは欧米の文化で、欧米で試合が行なわれるならそのようにされることに異存はない。ところの文化は一も二もなく尊重する。しかし、飲酒がタブーである国、そういう文化である国でも飲ませろというのは単に横暴だろう。外国人が飲みたければホテルやファンゾーンで飲める(非常に高価なようだが)。2時間や3時間飲まなくても死なんよ。

 日本もその一員である欧米から中国にかけての飲んだくれたちの世界のほかに、飲酒を忌避する世界がある。インドやイスラム圏がそれで、こちらの(健全な、と言いたい)世界でも、欧米のカネと権力のために外国人が行くホテルやレストランでは酒が供される。そんな地域にも、地元の酒飲みたちの通う店がある。薄汚く、どこかしら問題ありそうな男たちの吹きだまりといった感じのところで、要するに阿片がやめられない者の通う店のライトヴァージョンである。あれを見ると、酒なんか飲むやつはダメな人間だと悟らされる。

 酒に対して、タバコのほうは近年排斥の動きが強まっている。だが、タバコより酒のほうが断然危険である。自分に対しても、周囲に対しても。なぜこれは攻撃して、あれは奨励するのか。タバコなんて、まま失火原因になるほかは、自分の健康を害するだけだ。アル中は体の健康だけでなく頭のほうも冒してしまう(ガスコイン!)。ニコチン中毒者が包丁持って暴れるというのは聞いたことがないが、アルコール中毒者はしばしば包丁を振り回して暴れる。飲酒運転による事故のみならず、酒を飲んで暴力沙汰におよぶなんて、聞き飽きるぐらいよく聞く事案だ。

 私個人としては酒を飲む文化を大切にしたいと思うけれど、飲酒非飲酒を比べれば、功罪半ばするというより、残念ながら害のほうが多いことは認めなければならない。酒とはよいつきあい方をすべきで、それを飲まない文化は大いに尊重されなければならず、まして非難するなどもってのほかである。

 

 ドイツのある新聞は「W杯で見ることのできない7つのもの」を挙げていたそうだ。いわく、(1)薄着のファン、(2)泥酔したファン、(3)メキシコのプロレス覆面、(4)公の場での口づけ、(5)フーリガン、(6)スタジアムでのソーセージ、(7)イタリア人。だが、これらはみな見られなくて幸いなものばかりではないか。2と5などヨーロッパでもいなくていいし、3など見る必要自体ないだろう。1は、スタジアムに冷房がききすぎて薄着になれないという意味かとも思うが、おそらく肌を露出した挑発的な女性の服装のことを言っているのだろう。それならば、4とも合わせ、それらを公然猥褻と見なす国のほうが健全だと思うよ。欧米人たちはどうも羞恥の感覚が麻痺している。それに、日差しの強烈な砂漠地帯で肌を露出するのは狂気の沙汰だ。土地の人たちの伝統衣装のように、直射日光をさえぎりつつ風は通す服装でなければならない。ああいう服装をしているのにはわけがあるのだ。そして、男もかぶるあの頭の布の裾を結べば、髪と口元を隠す女のベールになる。あそこでは男だって髪を隠している。6はつまり豚肉が食べられないということだが、そのくらい期間がまんしなさい、羊を食べてなさい、ということで問題ない。7は自国が出場できないイタリア人に対するからかいで、ドイツ人にとっては小気味よいことなのだろうし、そういうイヤミはおもしろい。

 そしてイタリア人たちは、日本戦でのドイツの敗北とグループリーグ敗退に大喜びする。「ありがとう、日本!」「イタリアにとってこのW杯で興奮できる瞬間はあまりないが、ドイツの負けを見るのはその瞬間だ」と書く。こういうやりあいは楽しい。もっとやれ、もっとやれ。戦争にさえならなければ、大いにやるがいい。

 

 W杯にはたしかに地の利というものがある。日韓ワールドカップでのトルコの躍進(韓国については言うまい。疑惑のある「勝利」だから)、このカタールでのイスラム圏・アラブ圏代表モロッコの大活躍(サウジアラビアのアルゼンチン戦、チュニジアのフランス戦金星もしかり)。今大会でもっともすぐれていたのは、優勝チームでも準優勝チームでもなく、モロッコ代表だと断言してさしつかえない。おかげでアラビアンナイトめいたメロディーの国歌を何度も聞くことができた。ラテン系の国歌は明るく楽しげ、ゲルマンからスラブは荘重、ときに悲愴にまで至る。W杯ではだいたいそのふたつの系統の国歌を聞かされる中で、実に耳に快かった(日本のは祝詞風か?)。

 カタールはアジアにもアラブ圏にも属しているので、日本を始めとするアジア代表チームも活躍することができた。アジアの大会や予選で何度も経験している土地だったから。いや、カタールで開かれてよかったと思うよ。サッカーはもはやヨーロッパと南米だけのスポーツではないのだ。たとえ決勝戦のカードがやはりそのふたつの代表であったとしても。

 その決勝はすばらしい試合だった。メッシ優勝で終わったのもうれしい。アルゼンチンが策を講じ、後半途中までフランスに1本もシュートを打たせなかったり、フランスが前半のうちに主力選手を代え大胆に作戦変更したり、こういうのを日本代表監督にも期待しているのだ。フランスは主力にかなり「フランス原住民」がいたけども、次々に交代し、終わりごろはほとんど移民アフリカ植民地選手ばかりになっていた。イングランドにも黒人選手は多くいるけれど、彼らはイギリス名を名乗っていることが多い(ベリンガムとかラッシュフォードとか)。しかしフランスはアフリカ名が多くて、どこの代表だかわからないのもなかなかおもしろい。黒いフランスに対してアルゼンチンはまったく白くて、この時世それはそれで不気味な感じだし、色は白くても夜道で会いたくない面構えが多い。

 サッカーはサッカーだけがおもしろいのではない。それにはいろいろおもしろがるポイントがある。世界を映すスポーツだから。