いつのまにこんなに

 5月末からサッカー日本代表の9連戦というのがあって、女子代表のメキシコ戦以外は全部見ることができた。全勝。A代表とU24の試合があったが、あれのU24代表は除いて。

 代表チームの強さに驚かされた。点もバンバン取っていたが、何よりもシュートを打たせないのがすごかった。いつのまにこんなチームになっていたのだろう。ディフェンダーが体を張って防いで、というのではない。とにかくシュートを打たせず、決定機を作らせない。みごとだ。クロスの出どころを押さえられずにあっさり失点というのが日本のお家芸だったのに、それが見られたのはタジキスタン戦の1回だけで、かつそのゲームで打たれたシュートはその1本だけ。開始直後にゆるいプレーをして簡単に失点し、みじめに敗退するのも伝統芸なのだが、それもない。U24代表が日本代表との試合でやらかしたのが伝統の根強さを見せてくれただけである。ウクライナ戦の女子代表もまずかったが、オリンピックの両代表にとっては、開幕前に問題点を心に焼きつけられて、強化の意味でむしろよかったのではないか。

 相手が弱すぎたという指摘もあるけども、なるほどW杯二次予選のアジアの国々は弱かった。U24ガーナ代表というのも、本当にそのチームがそれなりのメンバーで来ればかなり手強いはずだが、来たのはどうやらU20くらいだったらしい。それでは満足な相手にならない(平均身長が、一方が170センチ台、もう一方が180センチ台の表示だったので、まずいなと思ったのだが、よく見ると逆だった。うーむ、三日見ぬ間の桜かな、だなあ)。しかし、ベストメンバーでないとはいえ、セルビアやジャマイカは決して弱いチームではない。この連戦の前の韓国やアルゼンチンU24もそうだ。セルビアとは公式には1-0だが、オフサイド誤審の1点を加えて実質2-0だった。韓国には圧勝(しかし5-0であるべきだった)、アルゼンチンU24の初戦も、敗れたとはいえ、そしてそれは妥当だったとはいえ、決定機はほとんど作らせていないのだ。まあこちらの決定機もなかったが。しかし2戦目はみごとな勝利だった。強い相手にもしぶとく戦い、弱い相手には容赦なく点を取り続けて、野球でもめったにないスコアをきざんだ。ドイツ代表かと思うくらいだった。あのチームは弱い相手、弱みを見せた相手に本当に容赦ない。二次予選くらいならドイツになれるとわかった。

 だが、得点に驚いたのではない。それにも驚いたが、もっと驚いたのはディフェンスである。それは昔から日本の弱みだった。それがこんなに強固だとは。シュートを打つことさえ許さないのだから、目を疑うよ。まぶしいくらいだった。いちばん手こずったのはタジキスタン代表だったかもしれない。なかなかテクニックのあるチームで、けっこう前に運ばれたが、打たせたシュートは1本だけ(それを決められたわけだけども)。日本はむしろタジキスタンだったろう。ああいうチームだった、かつては。いいところまでいきながらシュートが打てず、もろい守備で敗れ去る、というような。逆に言えば、タジキスタンはこれから強くなるんじゃないか。

 全部ホームゲームだったのだから有利に決まっているというのも事実だけれど、そもそも今回のオリンピックはすべてホームゲームなのだ。よい経験をしたのは相手のほうだ(出場国である場合)。セルビアは完全にアウェイの戦い方をしていた。あのくらいの相手でもこちらをリスペクトするのだ。ほとんどが無観客の試合だったからその点の有利さはなかったけども、環境もコンディション調整も気候もホームアドバンテージになる。ウクライナの監督は3時15分開始という時間に文句を言っていたが、たしかにそれは無茶な時間だけれど、オリンピック本番ではもっと暑い時期に4時半キックオフなんてゲームもあるのだ。出場チームならいいシミュレーションになったとコメントするところだ。出場権がないから言っている不満に過ぎない。

 ホームアドバンテージというものが実感できた。遠藤の参加を所属クラブが快く許したのもそうだ。自国開催のオリンピックなら参加したいのは当然だと言って。五輪には選手供出の義務がないので、かつては参加許可が得られないこともしばしばあったのだから、まぎれもないアドバンテージだ。オーバーエイジ枠にしても、ベストの3人を問題なく選べ、それがしっかりチームになじんで、というかチームを引っ張って、一体となっている。地元開催オリンピックでなければかなわぬことだ。

 開催が1年遅れて、U24チームの戦いになるのも、日本のようなオリンピックを過度なくらい重視するチームには有利である。そろえたベストメンバーがしっかり1年分たくましくなっている。23歳以下でも強豪国のA代表で中心選手になっている若手はいる。それが24歳以下となれば、もう絶対にフル代表から外せない主力になっていよう。そんな選手を重視もせず義務もない大会に出場させるはずがない。まして、ヨーロッパ選手権と同じ年なら、どうしてそんなことを許そうか。ヨーロッパのチームにはだから大きなディスアドバンテージがある。南米は五輪重視であるけれど、コパ・アメリカで戦ったあとに東京に来させはしないだろう。コロナもあるし。

 この新型コロナがまたアドバンテージとなる。相手は準備や調整が十分にできなくなるから。気候も、テレビ局なんぞの勝手な都合で、この国でスポーツをするにはきわめて不適当な時期に開催させられるわけだが、それすらアドバンテージになる。蒸し暑く不快指数高いこの時期の日本の気候に慣れないヨーロッパ諸国には不利でしかなく、慣れている日本チームには有利だ(だからシーズンは春秋制でなければならないのだ)。観客は入れるのかどうかわからないけれど(屋内はともかくとして、屋外競技は入れていいはずだ)、もし入れるならそれはみんな日本人で、完全なホームゲームだ。自チームが強くなっている上に、ほかのチームには不利が重なる。金メダルが目標だというのは単なる景気づけ、想定問答集の期待される答え程度なものと聞いていたけれど、ありうるんじゃないか? 金はともかく、メダルはいけそうじゃないか?

 恐ろしい精神状態に置かれてしまった。世界大会では、ひとつ勝てば大喜び、決勝トーナメントに上がれば大成功、という期待のレベル以外を経験したことがなかった。それが、メダル獲得以外は失敗だなんて、そんな空恐ろしいことになろうとは。サッカーは基本的に失望のスポーツで、ロースコアだから番狂わせが起こりやすい。W杯でも、前回優勝チームがグループリーグで敗退してしまうようなことが平気で起きる。過度な期待は厳禁である。それが、こんな芯の強いチームを見せられては、いやでも期待するではないか。それと知らねば望までありしを、知ればせかるる胸の思いを、いかにせよとのこの頃か、である。うろたえ七分、楽しみ三分で待っている。まあ、もろくも負けてしまうのも伝統のひとつで、それにも慣れているのだけどもね。

 

 東京オリンピックはもちろん開催されるのだけれども、中止しろという無責任な声がずっとあって、今もある。できもしなければするはずもないことを勝手に主張しているのは、何ともばかばかしい風景だった。「やる」以外の選択肢は初めからなくて、「どうやってやるか」の一点に集中するべきだったのに、「やるかやらないか」などという無用の問題を焚きつけられ、混乱してしまった。とにかく、必ず開催されるし、全体として成功するかはわからないが、競技成績は大成功に終わるだろう。それでなくても開催国の成績はよくなるものだが、サッカーに関して上に述べたような事情から、いつもの五輪以上のホームアドバンテージがある。メダルラッシュが起きれば、マスコミはこぞってもてはやすに決まっている。そうすると、「名宰相」が生まれてしまうのではないかと危惧している。

 今の首相は、官房長官のとき「ご指摘は当たらない」「まったく問題ない」としか答えず、およそスポークスマンとして失格だったのだけれど、奇怪至極なことに名官房長官ということになって、あまつさえ首相にまでなってしまった。官僚の書いた答弁書を滑舌悪く読み上げることしかできない、討論というものができない重大な欠陥のある政治家なのに。首相となってからも、オリンピック開催について問われると、壊れたレコードのように安心安全云々をぶつぶつ繰り返すだけで、問答になっていない。能力に問題あることは、コロナ対策とそれに伴う経済対策の迷走を見れば瞭然だ。しかし、五輪が「成功」してしまうと、開催前にマスコミや世論という名の個人の感想のつぶての中、馬鹿をよそおい(逆に、よそおっていないのだったらえらいことだが、その可能性もないとはいえない)、それに徹して、ぶれずに(それはたしかだ、ぶれまくっていたコロナ対策と違い)反対論をやりすごし、開催を断行して「成功」させたとして、後づけで「名宰相」にされてしまう。想像するだに恐ろしいことだ。そうなってしまったときの責任は、野放図な中止論者にある。

 とにかくあきれるのは、自由を奪われたがっている人、戒厳令を待望する人がこんなにも多いことだ。戦争が起きるときはたいてい、好戦的な国民世論に軍がのっかる形である。コロナ対策の失敗は、戦力の逐次投入や「起きては困ることは起きないことにする」思考様式等の先の戦争の失敗の繰り返しを見るがごとくだが、「戒厳令」待望も開戦待望の戦争突入時と似ていないか?

 

 新型コロナへの対応について、素人考えだけども、ウィルスのほうで弱毒化してくれない限り、人間のほうが耐性をつけなければならない。新型コロナを旧型コロナ、つまり風邪にしてしまわなければならない。それには無症状感染・自然治癒が増えることが重要なのではないかと思っている。

 発症して急激に悪化したりもするし、感染力が強く、無症状者から感染して重症化したり死んだりするから厄介なのだけども、無症状感染者が増えることは全然悪くないと思うのだが。感染者が増えればそれに比例して死者も増えるのだから、むずかしいのはわかるが、感染者数を減らせば死者も減るという正比例的対処法でなく、重症化を防ぐことのほうにだけフォーカスするのが正道だと思う。

 入国規制やロックダウンは一時的な効果しかなく、解除したらまた拡がるに決まっている。無菌を保とうという思想は、すでに有菌の世界に対して、初めから限界があるのは当然だ。拡大のペースを落とすことと時間稼ぎをすることしかできない。そんなことをいつまでもやっているわけにはいかない。首を絞め続けるわけにはいかないだろう。時間を稼いでいる間に、すごい速さで複数のワクチンができたのだが、接種後の死亡事例を聞くにつけ、結局無症状感染容認がよい方法なのではないかとの意見を捨てられずにいる。高齢者が感染して悪化して死亡したら、それは寿命なんじゃなかろうか。自分について、身内や友人についてそう思いたくないのはわかるけれども。

 あれも、これも、いかにせよとのこの頃か、である。正解はなく、最善ではなくて次善を求めるしかないのだろう。まあ、サッカー日本代表のメダルは明らかな正解だから、それだけは期待する。