クチン日録(2)

6月某日、ある受講生にラマダンバザールを案内してもらう。するめがあった。
彼女はクオーター日本人だと知る。祖母は引き揚げのとき現地人に預けられたというから、つまり残留孤児だ。前任者も河畔で偶然クオーター日本人に会ったとブログに書いていた。案外そういう人が多いのかもしれない。
6月4日、ラマダン最終日、夜12時に河岸を散歩。対岸のマレー人村で花火。
6月某日、激しいスコールで、裏の階段から浸水。
6月某日、マレー人地区を歩いていたら、ある邸宅の前に人だかりがあった。結婚式かと思って聞くと、断食明けのオープンハウス。門内の前庭にテントを立てて、有力者が人々に軽食をふるまう。入ってふるまわれてみたら、出るときに金までくれた。10RM。お年玉みたいなものらしいが、いいおっさんが施しをもらっちゃったよ。しかしおもしろい習慣ではある。
翌日は日本語を習っている主婦の家のオープンハウスに他の教師やH氏たちと招かれた。この日は家(けっこうな邸宅)の中に入り、サラワク川の岸辺のテラスで料理をいただく。
6月某日、日本語クラブを始める。自由参加、毎週火曜18:00-19:20。週1回の授業だけではいかにも少ないので、こういうものを始めることにした。6時では来られない人もいるが、ほかに時間がないのでしかたがない。アニメを見てアフレコ、かるたをする。
6月22日、夏至にあたって調べてみた。ここの夏至の日の出は6時33分、日の入り:18時46分。冬至の日の出:6時35分、日の入り:18時37分。ほぼ同じ。わずかな違いが赤道から1度分なのだろう。夏至冬至春分秋分も関係ない世界だ。ちなみに前任地チチハル(北緯47度)の夏至の日の出は3時47分。冬至は7時28分。
6月某日、ヴィヴァシティのドラえもんフェアに行く。いくつかグッズを買った。
午後、Wさんの勤める全寮制のクチン北科学中等学校へ行き、5年生に茶摘み・アルプス一万尺の手遊びを教える。ここはマレーとダヤクの生徒ばかりで中華系がいない。
外出は月に2回だけ、携帯電話所持禁止、外部からの訪問は事前に届け出が必要だという話。全寮制中等学校については何の知識もないのだが、世界中どこでもこんな規則なのだろうか? 少年院みたいだなと思った。まあ少年院はそもそも外出ができないが。
6月某日、旧DUNでSIFMAガラコンサートを見る。台湾・中国・香港・フィリピン・シンガポール・豪・英などからミュージシャンやダンサーが来ていた中に、日本からも扇寿栄之丞という人が三味線と日舞を披露したのだが、一人で紋付袴の素踊りだったかから、広い舞台には映えない。しかし、フィナーレでの拍手を聞くと、けっこう喜ばれていたようだ。理由は、本来の自文化の伝統芸を見せたからではないかと推察する。ほかのはみな西洋の物真似だったり(ボルネオの女の子のバレエ!)、西洋流にアレンジされた歌や踊りだったりするのだから(北京ダンスアカデミーの演目などその典型)。そのほかによかったのは、台湾の竹楽器楽団とイギリスのミュージカルのさわりを歌う3人組。やはり自文化オリジナルがいちばんおもしろい。
6月某日、旧裁判所にRanee展を見に行ったら、本を売っていたので、つい買ってしまった。“The History of Architecture in Sarawak before Malaysia” “Masa Jepun” “Sarawak Folktales” “Iban Stories”の4冊、計367RM。4月も5月も足が出てしまっていたので、今月は節約し、500RM余らせていて、これをスピーチコンテストに使うつもりでいたが、6月最終日にいっぺんに吐き出してしまった。ここは本が異常に高い。9500円ですよ。日本並みだ。読まない本を買うのが趣味なのに、つらい。

7月某日、夜7時から教師交代に伴う送別会兼歓迎会。授業なし。現地の人と結婚した日本人が2人来た。3か月たって初めて派遣教師(と藤井氏)以外の日本人をクラブの中で見た。
7月某日、夕方は用事が詰まる。6時から月曜クラスのJLPT受験者のために1時間ほど補講し(パーティーでつぶれた授業の代替)、7時から翌日日系企業の面接を受ける学生のために練習をして、7時半からは正規の授業。面接を受けた学生は無事採用となった。
7月某日、国際交流基金未来のミライ」上映会。シティワンで。
7月7日、JLPT。私の担当クラスからはN4・N3各4人受験。
スピーチ作文が完成した受講生から練習を始める。そのあとヒンドゥー寺院に詣で(恒例合格祈願)、午後は同僚教師の引っ越しの手伝い。SJFCの階上に移る。隣のビルからだから水平距離は短いが、4階から運び下ろし4階へ運び上げるので、のべ垂直距離はかなりのものだった。地震でエレベーターの壊れたマンションの10階から荷物を運び下ろしたことがあったが、あれは登りは空手だったから、こっちのほうがずっとたいへんだ。
7月某日、未明雷雨。騒音が静まってまことにけっこう。きょうだけと言わず、毎晩12時から3時まで雨に降ってもらいたい。
7月某日、日本語クラブやめる。参加者少ないのがひとつと、スピーチコンテストの練習優先がひとつ。
7月某日、委員会。授業料値上げなどが議題。スピーチコンテストの開催決定。作文コンクールも提案(1月ぐらいに)。終了後また引っ越し手伝い。
 引っ越しにあたって感じる。住居もそうだし、教室のあるアパートにも壊れた電気製品が数多く並んでいる。テレビ数台、テープレコーダー数台、コピー機数台、電子レンジ、掃除機… 死屍累々である。みな日本製だが、たかが15年の間にこんなに壊れてしまうほど日本製品はボロいのか?「メイド・イン・ジャパン」が「安かろう悪かろう」を意味する時代があった。それが技術者の努力によっていつのまにか「高品質」の意味に180度転換したことに誇りを持っていればこそ、盛田昭夫は著書を「メイド・イン・ジャパン」と題したのであろうに、自信を失わせる眺めである。大丈夫か、日本?と思ってしまう。
7月某日、カタカナのテストをする。ほんとうはひらがなのテストをやりたいくらいひらがなの怪しいのもいるのだが、カタカナはずっとひどいので、やってみた。「ボルネオホテル」「ハッピー自動販売機」「フライパン」「ペットボトル」など、クチンの街角や店内で見かけるカナ表記のものばかり出題。結果は案の定なのだが、どうしたものか。
7月某日、引っ越し終わる。壊れた電気機器も一掃、燃えないゴミに。
むかし日本兵は住民にやたらビンタをしていたそうだ。よくないことだが、ビンタする側の気持ちが少しわかった。日本人なら30分ですむ作業が、3倍の時間がかかる。指揮する者がおらず、作業行程が見えず、行き当たりばったりだ。これでは月月火水木金金で絞りあげられている日本兵は怒るよ。ま、3倍時間をかければいずれ終わるのだけども。時間を有限資源と見るか、無限資源と見るかの違いだが、戦争を遂行する軍隊にとってはもちろん有限資源で、そして時間が無限資源のゲリラに正規軍がしばしば敗れるのもまた事実である。マレーシア人が戦争するなら、ゲリラだね。
7月某日、ある受講生が先週欠席した理由としてKLに行っていたと言い、さらにその理由は3か月に一度の出境だったと言った。彼女はここでフリーランスとして生活しているのだが、半島部のマレーシア人はサラワクには3か月しかおられず、3か月たつ前に半島部・サバないし外国に出て「入国」しなおす必要があるのだそうだ。きのうはサラワク独立記念日で、一日雨だったので昼食を食べにしか外出していないが、その短い間にもサラワク「国旗」を何本もはためかせ、「Sarawak for Sarawakians」というスローガンを掲げた車が走っているのを何台も見て、独立運動が存在していると知ったのだが、運動達成を待つまでもなく、出入「国」管理に関してはすでに「独立国」であるわけだ。
7月某日、きのうからクチンフェスティバルが始まった。池の上の舞台でInternational Friendship Cities Nightを見る。日本から三州足助太鼓が出演。韓国からK-Popのグループ、中国から糸操り人形、横笛、歌、ファッションショー。伝統芸能は足助太鼓と糸操り人形だけ。思うのは、K-Popは人気があるけれど、要は伝統芸がないから思い切り現代に特化しているということ。遅れていた国がしがらみなく技術革新でいきなり最先端に踊り出るのと同じだ。日本は、「伝統から現代まで各種取り揃えております」。文化の厚みを示していると言える一方、時にそれが遅れともなるかもしれない。
7月某日、コタキナバルへ行き、この日と翌日、夏休みで家に帰っている学生にスピーチの練習をさせる。8月25日まで帰って来ないのだからしかたがない、出張練習だ。
7月某日、KKの領事事務所訪問。スピーチコンテストのことでお願いを3つ。
本屋へ行ったら「風の下の国」「三人は還った」の日本語訳書があったので、買う。エッセイ集が70RM、ほぼ2000円ってどうなの? 日本並みの値段だ。節約した金が月末に購書で消えることが続いている。
7月某日、国王戴冠式とかで休日になった。それを知ったのは前日。半島部の祝日だが、サラワクも受け入れて祝日にしたそうだ。こういうのを見ると、独立からは遠いとわかる。それとも、休みになるなら何でもいい?
7月某日、タクシーであの外出できない少年院式の名門校に行き、生徒とスピーチの練習を始める。身銭を切っての出前練習。彼らの上達を報酬に見込んで。