クチン日録(5)

12月1日、JLPT試験日。いつものように合格祈願に行く。今回はSJFCの近くのスーパーの屋上にある天后宮。見晴らしがいい。合格の見通しもよければいいが。
12月某日、スタジアム・サラワクでアジアマスターズ陸上競技会が開かれる。日本人も多数参加しているようだ。ワールドマスターズゲームズ関西2021の宣伝ブースで生徒がアルバイトをしているので、それを見てきた。
12月某日、今までの水曜クラスを木曜と統合し、水曜日に新しいクラスを始める。15人(男10人・女5人)。ふつう語学クラスは女性が4分の3ぐらい占めるものだが、ここは男が多い。これまでの担当クラスも女性は少なめの6割だ。1人を除いて全員中華系。かなから始めるゼロ初級をひとりで受け持つのは15年ぶりだ。
12月某日、あいにくの雨模様だったが、朝原選手らが走る400mリレーを見にまたスタジアム・サラワクへ。45歳以上の部の世界新記録(43秒27)が出た。クチンで記録を出してくれたのはうれしい。夕方にはWMG2021関西の広報スタッフの方たちがSJFC訪問。
12月某日、待降節が始まったばかりの時期だが、クリスマスパレードが行なわれた。山車やプラカートには漢字も多く、夜目でよく見えなかったが中華系が多かった。先住民の大半はキリスト教徒だというし、華人にもクリスチャンが多いなら、サラワクの宗教多数派は、儒仏道混淆の中国教でもイスラムでもなく、キリスト教なのだろう。鳴り物はほとんどブラスバンドだが、太鼓や銅鑼も見られた。しかし雨季なので、激しい雨の中の行列。
12月某日、久しぶりに晴れ間が見えたので河岸を散歩すると、広場にテントが立っていた。この週末Sitokという催しがあるのだ。先月はTenunという催しがあるのをたまたまHillsに昼食を食べに行って見かけたし、スタジアムにサッカーを見に行ってAgrofestという見本市に出くわした。ちょっと異常なくらい催しが多い。ほとんどが公費で行なわれているのだと思うが、そういう催しで賑やかしに演奏するバンドは公金で収入の下支えができるのではないか。テント設営業も食いっぱぐれがなさそうだ。
Hillsで英語の古本市をやっているので、いくつか買った。売られているのはアメリカの本ばかり。本を読むのはいいことだが、洗脳装置にもなる。アメリカ的価値観世界観に染められてしまう恐れがあることを忘れてはならない。
12月某日、Borneo Postに藤井杯作文コンクール紹介記事が載る。
12月某日、スキットコンテストの賞品が届く。
12月某日、スピーチコンテストで審査員をしてもらったK氏が授業に来る。その前で、生徒が自分の「今年の漢字」を発表。
12月22日、冬至。だがここでは日昇・日没時刻とも夏至とほとんど変わらない。
「Iban Dream」読了。渡し舟で対岸に渡り、川べりでテタレを飲みながら読んだので、この本について考えるときはきっとテタレの味とテタレ色の川が思い浮かぶことだろう。イバン人がイバン人を主人公に書いた小説で、著者は日本に留学していたらしい。
12月25日、クリスマス。朝教会を覗いてみたら、カトリックのほうがアングリカンより人出が多かった。
生徒たちの「今年の漢字」を3回に分けてブログ「クチンあれこれ」に掲載しおわる(https://ameblo.jp/suseni)。
12月某日、同僚教師後任のI氏到着。長縄跳び用の縄、手話の本受け取る。
12月某日、I氏に買ってきてもらった「フィロミナの詩がきこえる」読了。カノウィット近在のロングハウスに住み、障碍児デイセンターを作った中沢夫妻の手記。クチンにも住んでいたらしいが、今までその名を聞くことがなかった。考えさせられる。
12月某日、教師交代時の恒例歓迎&送別パーティー
12月某日、SJFCの年末年始期のディナーがあったが行かず、上帝廟の神像巡幸を見る。雨だったが、巡幸が始まるころにやむ。祭りのときはこんなことがよくあるらしく、「雨が道を清める」のだそうだ。龍舞、獅子舞など多数出る。道端に供え物載せた祭壇がいくつも置かれていて、行列の龍や獅子はその前で舞い、拝礼する。
これについてもレガッタについても、生徒に聞いても何も知らない。見たことがないというのがほとんどで、せいぜい子供の頃一度見た程度。日本語学習者は「伝統文化の敵」なんじゃないか? この祭りの日にディナーをするSJFCも同断だ。聖駕に手を合わせるおばあさんを見ながら思う。私は断然こちらの側である。
書類の不備を指摘され、JFKLにSmall Grant再申請。
12月某日、I氏とともに名誉顧問のC氏に車で町外れの漁師集落に連れて行ってもらう。集落に1軒だけ華人の商店があるところなど、19世紀のボルネオ奥地と同じで、おもしろい。
12月31日、大晦日。夜12時河岸で花火が上がる。人出がすごい。

1月1日、元日。雨が降り続いていたので、暮れには5日ほど河岸を歩くことがなかった。久しぶりに出てみると、かなり増水して水流が速い。渡し舟は直進できず、斜行する。斜めに進むと水流に押し戻されて結果的に直進になる。
1月某日、ボルネオ・ポスト紙記者への個人授業始まる。今までに8回日本へ旅行しているとのこと。
今年から報酬がRM1200に上がる。マレーシアの最低賃金がこの額になったため。
1月某日、JICA同窓会会長が来訪し、1月18日のイベントにゆかたや折り紙のブースを出してほしいと頼まれる。受諾し準備するが、キャンセルになる。これだから、受けはだめだ。攻めでないと。
1月某日、委員会。新任の委員承認、運動会その他について。
柔道クラブへ行き、運動会でする競技を紹介。
1月某日、日本郵便の年賀状コンクールに知人を通じて応募。6点。
F氏来訪。昨夜到着とのこと。賞品をいただく。藤井カップ抹茶茶碗。そのほか漆器や丹後ちりめんの風呂敷など。ありがたい。賞品に見合う作文があればいいが。
1月某日、ミニ運動会準備の会合。合気道・柔道クラブから出席するも、3つの学校からは誰も来ない。F氏とMさんも出席。Mさんから、和光大学の学生10人3月末にクチンで交流会をしたいとの話あり。
1月某日、F氏と朝食昼食を共に。明日帰国。
1月某日、申請したSmall GrantについてJFKLから回答届く。RM600のみ認めるとのこと。申請額RM1460に対し。結局辞退する。
1月某日、藤井杯作文コンクール締め切り。応募20点。翌日審査員4人に送る。
応募者は、マレー人1人を除き、あとはみな華人。もちろんこの学校の生徒は華人が圧倒的に多いということもあるが、校外から応募したのもみな華人。おそらく中華系とマレー人には作文に対する姿勢に大きな違いがあるのだろう。男女別では、男7人・女13人。男ががんばっている。他国なら男はまず4分の1以下だから。
1月某日、締め切りに遅れた作文がひとつ届いた。海外ではよくあることだが。
1月某日、階上から水漏れ。翌日午後おさまるも、翌々日からまた。
1月24日、旧暦の大晦日。花火と爆竹が新暦新年よりすごい。窓から火薬の匂いが入ってくるほど。公式的な新暦新年はまがい物、民衆的な旧暦新年が本物、ということだろう。
1月25日、旧正月。旧市街を散歩中、獅子舞を見た。店は閉まり、人通りもほとんどなく、すがすがしい。
リバーサイドマジェスティック前に水素バスが停まっていたので、乗る。廃止になった旧101と同様無料。環境にはいいのだろうが、馬力はだいぶ落ちる。運行も、前は1時間半に1本、水素バスは1時間45分に1本。前のほうがよかった。
1月某日、中華新年のオープンハウス。H氏の家に行く。中心部の商店街は軒並み休業で交通量が絶対的に少なく、グラブタクシーがなかなかつかまらない。
1月某日、サラワク川クルーズの船に乗る。RM65。日中は雨だったけれど、夕方は快晴。たった1時間半だが、満足。いつも乗る渡し舟サンパンは水面ぎりぎりで、そこから見る眺めがおもしろいのだが、この船のように2階のデッキに立って高いところから眺める沿岸風景もまた新鮮だ。帝国主義的な睥睨感もあるね。1週間の休みがあったけども、「旅」したのは結局これだけ。
1月某日、1週間の春節休みが終わり、授業再開。
 この日も獅子舞を見る。外出するとたいていどこかで獅子舞に出くわす。予約制の門付けだが、いったいクチンに何団体あるのだろう。