クチン日録(1)

3月某日、マレーシア航空でクチン到着。40分遅れ。砂日協会A会長とH事務局長迎えに来てくれる。
3月某日、前任者の送別会兼われわれの歓迎会。優秀学生の表彰。
H氏は翌週のうちにビザ取得、銀行口座開設、名刺作成、SIMカード購入などてきぱきとやってくれる。謝礼が月初の先払いなのはありがたい。
4月某日、授業開始。
4月某日、委員会会合。20日のイベントの打ち合わせおよび炭坑節の練習、そのあと教室の床面シート張り替え。
 会議は英語で行なわれた。われわれには聞き取りづらいマレーシア英語なのだが、彼らにとっては支障なく意見感想を述べあい聞き取れ、意思疎通しあえる第二の母語となっているさまを目の当たりにして、なるほどと思った。出席者は全員中華系だったが、みなマンダリンができるとは限らず、福建語広東語客家語では互いに理解しあえない。それに日本人も2人いたのだから英語は当然と言えるが、しかしなかなかたいへんだった。おのれが話すのが下手なのはもとより承知、だからせめて聞き取りはしっかりしたいと臨むけれど、ここでも無力なのにはへこたれる。H氏の英語には非常に苦労する。それでなくても独特な発音のマレーシア英語の上に、とんでもない早口なのだから。あの発音、「クアラルンプール」が「コロンボ」に聞こえるぞ。初めはなぜ突然スリランカの話なんだととまどった。文法もかなり正則から外れている気がするが、これは自分の英語もずいぶん間違いをやらかしていると自覚しているから、対等感がもててけっこうだ。
4月某日、イオンモールで日本文化紹介イベント。炭坑節、ゆかた着付け、折り紙、けん玉、アニメ画。自己完結しているのに感心する。日本人が手伝う必要はほとんどない。全部自分たち委員会メンバーでやってしまえる。すばらしい。
 私はゆかたを着せることもできず(帯が結べない)、知っている折り紙は3つ4つだけ、けん玉も下手、炭坑節は踊ったことはあるから何度か練習すればできる程度。ついでに言えば料理もできない。結局、炭坑節をみんなと踊るだけの参加だった。
成功裏に終わったが、しかしなお改善したい点としては、砂日友好協会の宣伝ができていなかったこと(ポスターとか垂れ幕を出したい)、ゆかた・折り紙などの個々の催しの案内掲示がなかったこと、炭坑節に見物を巻き込むことができなかったこと(振りを教えていっしょに踊ってもらうようにしたい)などである。次の機会があれば、日本についてのクイズもやりたいものだと思う。
 得ていた情報では、隣の4階の宿舎は日中水が出なくて汲み置きしなければならないということだったが、実際にはそんなことはなかった。未明の騒音は聞いていた通り。騒音源からやや離れている教室後ろの私が入居した部屋でもうるさいのだから、道に面した4階はさぞやと思われるが、耐えられる人もあり耐えられない人もあるという分水嶺上あたりなのだろう。12時ごろから3時ぐらいまでの時間に騒いでいるわけだが、この連中は翌日仕事がないのか不思議に思う。最近は少し静かになった。しかしカミナリ族は相変わらず爆音を響かせている。

5月某日、冷房の人工的な涼しさがきらいなので、自分の部屋では冷房を入れなかった。扇風機だけ。夜はそれもつけず、窓を閉めて寝ていたが、とても寝られない。この日から夜冷房を(最弱に)入れて寝るようにした。窓を開ければ風が通って寝られると思うのだが、網戸がないし、閉めていてもひどい騒音が開けたらさらに倍加する。しかたがない。つけても29度。つけていなかったときの温度はどれくらいだったのか空恐ろしい。つけたらやはりいやな感じはあるが、運転音で騒音が聞こえにくくなるのはいい点だ。
5月某日、旅行会社のSさんにロータリークラブの植林活動に誘われ、同行。帰りには教会への寄贈品を渡すため立ち寄った村のロングハウスに上がる。
 行ってみれば、木を植えるべき場所は土地のイバン人によってまわりを刈り払われ、穴も掘ってある。われわれがするのは苗木をそこに入れて埋めるだけ。彼らが下準備をすべてやり、お客さんが最後の部分をちょいちょいと。お客さんが出す金で経費がまかなわれているとはいえ、ほぼセレモニーである。「殿様のお手植え松」みたいなものだ。仕事はほとんど全部植木屋がして、名目だけ最後に土をかけた殿様の仕事。ま、それで外国から来たパトロンも満足感が得られ、下働きにも事業主体にも旅行会社にも利益があり、森も回復するなら、四方一両得のよいシステムだとは言える。しかし違和感は非常にある。
5月某日、ラマダン開始。昼を食べないのはそれほどたいへんだとも思わないが、日中水が飲めないのは想像するだにつらい。とてもできそうにない。
5月某日、同僚教師のクラスで新規コース開始、12人。火曜日のコースが2人に減ったのでそれを木曜日に合流させ、新しいコースを始めたのである。
5月某日、日本人墓地へ行く。ここにもからゆきさんの墓がある。
この日と翌日は墓地を歩いた。中国人墓地は草地の丘の上に散在していて、英国の墓地のようだ。War Memorialというのも見たが、先の戦争中の日本軍による犠牲者は獄死・処刑の13人だけで、あとは戦後のゲリラとの戦闘による死者。この数字にはほっとする。サバ州では戦闘も虐殺も「死の行進」もあって戦死者が多いようだから。
 この日もバスに乗った。前日はバスで中央バスターミナルに行ってみたのだが、バスの利用価値の乏しさを思い知った。特に、途中のバス停で乗るのは愚だ。待っている間に飛行機4機と小型機1機が飛び立っていった。
5月某日、スウィンバーン工科大学の日本語部を訪ねて、アニメを見せ、百人一首を紹介する。この日来ていたメンバーは全員中華系だった。ブミプトラ政策のため国立大学への進学が制限されているので、オーストラリアの大学の分校のようなこういうところは中華系の学生が多くなるわけだ。
5月某日、せっかくプロジェクターがあるのに、私のPCにはつなげないので、学生に手伝ってもらってSpringでアダプターを買った。89RM。高い。だがこれで使える。
 釈尊生誕祭なので、行き帰り途中の寺に立ち寄って徒歩で往復。参詣客はさすがに多かったが、灌仏はしていなかった。午後にするのだろうか。
5月某日、JLPTの試験日が近づいてきたので、今週から7月の受験者・12月の受験希望者がいるクラスで聴解問題をやらせる。
5月某日、受講生の書いた作文を載せるため、「ボルネオ猫町・クチンあれこれ」というブログを作る。ameblo.jp/suseni
 今月は101、K8、K3A、K11、K7のバスに乗り、バスには乗るべきでないことがわかった。あまりにも運行系統も運行本数も少なく、時刻表もない。使いものにならない。交通手段には悩まされる。今までの派遣教師で中古車を購入した人がいたというのもうなずける。しかし、無駄なことは割合好きなので、残りのK10A、K17、B2にもいつか乗ってみようと思う。暇はあるのだし。趣味の領域だが。