クチン日録(3)

8月某日、中華料理店でSJFC創立15周年記念ディナー。豚肉が出る。それはつまり、出席者にマレー人がいないということ。日本人2人とビダユー人1人のほかはすべて華人だから。多民族地域なのに、残念な点だ。
8月某日、コダーイ国際シンポジウムが開かれているのを知って、ひとつふたつ発表を聴きたかったが、1日単位でしか聴講できなくて、1日券は550RM。久しぶりでハンガリー語を聞いたり話したりできるかと思ったが、これでは無理だ。2日で給料が消えるよ。
8月某日、クチンFAの日本人サッカー選手S氏がSJFCを訪問。
8月某日、近くのプリント屋でA4ポスターをカラープリント。店主は日本語ができる。名古屋に9年いたとのこと。ときどき乗るグラブタクシーの運転手にも、40過ぎて妻子もいるのにアニメが大好きな人や、今年北海道旅行に行ったばかりというおじいさん、25年前に日本語を習ったことがあるおばあさんなどがいた。日本はけっこう近いみたいだ。
8月某日、生徒に誘われ、バコ―村へ行って川べりの食堂で昼食。帰りにドリアンを売る屋台が出ていたので、初めて食べた。聞いていたほど臭くはないが、聞いていたほどうまくもない。人は何でも大げさに言いたがる。
日本クチン友好協会初代会長が来砂の予定だったが、パスポート紛失によりならず、夫人と孫のみ協会を訪れる。トップスポットで協会メンバーと夕食。そのあと教室で4人のスピーチを聞いてもらう。
8月某日、SJFC創設者F氏来訪。スピーチコンテストへの支援金をいただく。ありがたい。そのあと授業も参観してもらう。いろはかるた、カタカナかるたなどする。カタカナを覚えさせるためにあの手この手だ。F氏は21日にも授業参観。
8月某日、旧裁判所の前にNTFP(非木材林産物)カーニバルなるもののテントが立っていて、いろいろな非木材林産物の売店が出ている。ステージもあり。
8月某日、リバーサイド・マジェスティック地下でコスプレコンテストをやっていた。受付にスピーチコンテストのチラシを置かせてもらう。
8月某日、きょうは俳句の日だそうだ(8・19=ハイク)。で、一句。
靴下を はかず四月(よつき)に なりにけり
8月某日、ヒルトンホテルでの外務大臣賞の表彰式にSJFCからも5人で列席。柔道クラブのフランシス・チャン氏が受賞。その後、柔道クラブを見学。青畳ならぬ赤マット。華人ばかり。マレーシアチャンピオンもいるし、4歳の女の子もいる。
8月某日、オンラインでJLPTの結果発表。私のクラスからは、N3受験4人は全員、N4受験4人は1人だけ合格。
8月某日、授業のあと9時過ぎに大伯公廟へ行くが、中元節行事はもう終わっている。
8月某日、F氏の招きで、鳩山二郎衆議院議員、秘書2名とともにSJFCに来訪。久留米大学教授、講師も同行。SJFC受講生2人がその前でスピーチする。いい練習になったし、いいアピールにもなっただろう。
8月31日、独立記念日
9月の本番にはクチンにいないF氏と旅行会社経営のSさんのために、リハーサルとしてスピーチを聞いてもらう。日本人会理事のK氏も顔を見せてくれる。学生7人来る予定が、3人すっぽかす。この場でよくスピーチできた2人をSさんがツアーガイドのアルバイトに誘ってくれたが、来なかった者はそのチャンスを失ったわけだ。罰である。

9月某日、昼にコレージュ・アブディッラーの教師からSNSが入り、今からスピーチコンテストに参加出場できるかとの問い合わせ。仰天するが、できると答えて、3時にタクシーでコレージュへ駆けつける。女生徒たちは教室でまだ作文を書いているところ。おいおい、大会は3日後だよ。土曜日と日曜日にSJFCに来させて練習。16歳の子2人、14歳の子1人が参加することに。しかし、おかげで発表者が10人の大台に乗り、参加機関も3校、SJFCからの6人がみな華人であるのに対し、3人のマレー人、1人のメラナウ人が加わったことになるのは非常にうれしかった。
海外にいると、「思いもよらないことが起こる」のは経験的に知っている。しかしそれがどのような形で現われるかはその時々によって異なる。今回はこんな形で襲われたわけだ。こう来たか。ま、人の生死に関わることでなければ些事である。こういう襲撃も楽しい。
コレージュの日本語の教室は、生徒が座卓を囲んで床に座るという造りだ。これも驚き。寺子屋か?
9月某日、SJFC委員会。その後会場設営。
9月某日、2時からSJFCの教室で第1回クチン日本語スピーチコンテスト。発表は10人(SJFC6人、クチン北科学中等学校1人、コレージュ・アブディラー3人)と折り紙実演。審査員は国際交流基金クアラルンプール事務所日本語専門家、クチン日本人会理事とマレー人のUNIMAS大学教師夫人M氏、審査休憩には早口ことば競争と歌「翼をください」。聴衆は20人弱だったろうか。3つの中等学校とUSCIの日本語教師が来たが、UNIMASからは来ない。表彰のあと、簡単なパーティーをする。
審査結果は、いちばんよく練習していた学生が1位、SJFC委員が3位なのは当然として、コレージュ・アブディッラーの生徒(16歳)が2位。彼女は前日にはまだしっかり原稿を覚えていなかったのに、人がたくさんいる前だとよく話せるという実にコンテスト向きの性格をしている。いろいろな人がいるものだと感じ入る。華人以外、SJFC以外から入賞者が出たのはいいことだ。それでこそ「クチン」弁論大会だ。
中秋節前の週、カーペンター街に夜店が出ている。H氏弟の店もあるので、寄る。街路上で素人キックボクシングの試合をやっていた。獅子舞も出るし、広場舞もしている。
9月某日、Borneo Post紙にきのうのスピーチコンテストの記事が載っている。翌日に出るのはすごい。これまでの任地では早くても翌々日、どうかすると1週間後だったから。当たり前のことが当たり前にできるのが先進国。マレーシアは先進国なのかもしれない。
9月13日、中秋。クラスの終わりに屋上へ行って、月見。月餅を食べて、しりとりをする。曇っていたが、雲を通して赤い月が見えた。
ブログ「[ボルネオ猫町] クチンあれこれ」(ameblo.jp/suseni)にスピーチの原稿掲載を始める。
9月某日、金曜日のクラスの2人が通っている合気道の道場へ行って、練習を見た。雑居ビルの最上階で、柔道の道場よりせまい。あそこは華人ばかりだったが、ここはほとんどがマレー人。小さな女の子(5歳)も練習に来ていた。
9月某日、Facebookに「クチン日本語knk」というページを作る。
9月某日、JFKLスキットコンテストのためのビデオを撮影。
9月某日、建物の入口にインフォメーションボード設置。
9月某日、鳩山氏から大量の雑誌とようかんの入った小包届く。
9月某日、受講生に誘われて、「天気の子」を見に行く。日本のアニメはすごいねえ。世界中にオタクがいる理由がわかるよ。
9月某日、Facebook「クチン日本語knk」ページ上で「1分アフレココンテスト」開催の告知。1分間のアニメのアフレコ作品を募る。募集、応募から審査まですべてネット空間でやる予定。どれだけ応募があるやら。空振りに終わる可能性もあるが、やってみる。
9月某日、クチンFCの日本人選手が授業参観に来る。
次回のスピーチコンテストは、スピーチの部とアフレコの部の2本立てでするのがいいと思った。スピーチはやはりN4ぐらいの日本語力がないとむずかしいから、参加できる者は限られる。アフレコはアニメのセリフをその役になりきって言うもの(コスプレならぬ声優プレSay-U play)だから、日本語力がそれほど高くなくてもできる(もちろん高くてもいい)。今年のアフレココンテストはビデオで応募する形式だけども、来年は会場で音を消したアニメを映し、その横に立って観衆の目前でセリフをつける形でやりたいものだ。