漢字を聞き、漢字を話す

村を歩いていて、バスに乗り遅れた。のども渇いていたので、次のバスが来るまでの間食堂で何か飲んでいようと思ったのだが、中国の田舎にコーヒーなどない。それはもとより承知だ。だから、暑くもあったのでコーラにしようと決め、「kola」をくれと言っても、全然通じない。何度か言ってだめだったので、結局ビールを注文した。「啤酒pijiu」は通じる。昼日中だし、アルコールなど飲みたくなかったのだけど。
コーラが好きなわけではないが、困ったときの「お助けコーラ」で、「kola」と言えば、それらしい店にはだいたい置いてあるし(国産のなんちゃってコーラの場合もあるけれど)、どこでも通じる。この点はアメリカニズムに感謝である。だが、さまざまな局面でそうであるように、中国は他国のように簡単にはいかない。
コカ・コーラCoca Colaは中国語で「可口可楽kekou kele」。口にすべし、楽しむべし。意も音も写した名訳とされる。字を見る分にはそのように感心もできるけれど、口にするとなると感じ入ってはいられない。「kele」は「kola」から遠いのだ。ピンイン表記の「e」は、「ア」でもなく「ウ」でもなく「オ」でもない音だが、断じて「エ」ではない。それを「e」と表記するのが困る(「k」が有気音なのも発音下手な日本人には不利に働くが、それは言わないことにして)。表記も困るが、音も困る。「kola」じゃないのだ!
タクシーtaksiも通じにくい。車体にTAXIと書いてあるのに。タクシーは意訳で「出租車」、音訳で「的士dishi」だが、これがtaksiと全然違うのだ。
外国語を移入する場合、それを意訳するか、または音訳する。言語が違えば音韻体系も違うのだから、当該言語の音韻体系に合わせる必要があり、その際けっこうな変改をこうむるのはよくあることだ(「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳があるが、「ゲーテ」も「ギョエテ」同様Goetheではない。歌でも有名なハワイの山「カイマナ・ヒラ」は「Diamond Head」のハワイ語への写しだというし)。日本語もカナに音訳しているわけで、カタカナのとおりに発音しても通じないのはわれわれのしばしば経験するとおりだ。しかし中国語の場合はさらに一歩進んでいると思う。彼らは漢字に音訳する。その漢字を発音しなければならない。これがいろいろ困難の元だ。漢字は意味もからんでくるので、いっそう難度が上がる。
中国語も少し習っているが、もちろん話せるにはほど遠い。習っていてわかったのは、聞いて漢字が思い浮かぶことばは理解できる。思い浮かばなければ五里霧中。話すときも、漢字を中国語っぽく発音しているだけ。つまり、漢字を聞き、漢字を話しているのである。
奇っ怪至極な現象だが、たしかにそれは存在する。もちろん、日本人でもできる人、マスターした人は違うだろう。そうでなければ聞いたり話したりできるようになるはずがない。漢字はあまり知らずに達者に話す非漢字圏の人たちも大勢いるわけで、彼らにはそんな現象は発生しようがない。だが、私レベルの日本人に限って言えば、おそらく首肯する人は多いのではないか。
つくづく感じる。中国人も日本人も漢字と特殊な関係をもっている。それはアルファベット国民には理解も想像もできないことだ。礼賛論も撲滅論も湧き起こるのは道理だ。ひとつだけ確かなのは、非常におもしろいということだ。
2018/09/24 SeeSaaBlog