3年生がN1だって?

ロシアというのは昔のソ連で(そのまた昔はやはりロシアだが)、超大国として友好国から多数の留学生を受け入れていたため、留学生に対するロシア語教育に力を入れていた(今も入れているのかもしれないが、それはよく知らない)。大学によってはそういう留学生のためのロシア語講座を外国人教師にも無料で受けさせてくれたので、ありがたかった。安い給料の補いとしての価値もあった。
受講するねらいとしては、もちろん日常生活に必要な程度のロシア語は身につけたいという希望が第一だが、それとともに、自分の授業を受ける学生の気持ちを感じるためということもある。われわれが日本語で日本語を教えるように、そこではロシア語でロシア語を教えているのだから、外国語で外国語を教えられる学習者の身になれる。もうひとつには、対象言語は違うけれども、同業者から教え方のヒントを得たいということもある。そういう点で有効有益であった。
チチハルにも外国人のための中国語コースがあって、それを無料受講させてもらえたので、週1回ほど教室に出てみた。近いためにロシア人が多く、そのため教師もロシア語ができる人が多い。基本的に中国語で教えるが、ロシア語の説明も多用する。ロシア人のほかに韓国人やモンゴル人もいるのだが、その人たちにとっては迷惑なことだろう。
しかし、学習者の気持ちを体験できるという点はロシアのときと同様によかったが、教授法でのヒントなどはまったく得られなかった。教科書を読ませるだけなのだ。当て方もアトランダムでなく席順通りで、緊張することもない。自分ならこんな教え方はしないという反面教師の意味はあったが。中国語は発音は難しいものの、語形変化がないので代入練習などはものすごく簡単だ。「我想吃飯」の文に「回去」を代入すると、「我想回去」となるだけ。「私はごはんが食べたい」に「帰る」を代入すれば「帰りたい」と活用の練習になる日本語とは違う。単に口慣らしになるだけだ。
練習問題の答えをピンインで書いていると、漢字で書きなさいと言われる。いやいや、漢字なら簡単すぎるよ。ほかの学生に漢字を覚えさせるためそうしているのだとはわかるが、漢字で書くならば、ロシア人学生が四苦八苦するのを尻目に、早々と書き終えて退屈する。ピンインで書かされれば私も四苦八苦するのだが。
中国語の発音は難しく、加えて四声がある。英語を考えてみればわかるとおり、これは私個人にとどまらず日本人一般の苦手とするところだと思う。この点ではロシア人に大きく劣る。会話力についてもロシア人に劣るだろうと思うが、しかし筆記試験をやらされれば、日本人は本来の能力以上の点を取るだろうと確信できる。漢字を知っているからだ。


そのことは中国人の日本語学習からも明らかだ。それは日本人の中国語学習の鏡映しであるだろう。
初めて中国で教えることになったとき、空港に学生2人が出迎えに来てくれた。それまでの非漢字圏での教授経験から推して、一人はまずまず話すから日本語能力試験のN2レベルだろう。もう一人はほとんど話せず、聞き取りもよくできていないから、N3か、あるいはそれ以下かもしれないと思った。しかし、実は両人ともN1に合格していたのである。
中国では、卒業までに地方大学でも学年の3分の1から半分がN1に合格する。優秀な大学ならもっと多いだろう。1年次ゼロから始めての話である。非漢字圏では、卒業までにN2合格を目標とする。そして、目標に到達するのは優秀な学生数人にとどまる。そのように証書の上では大きな違いがあるが、そのことは中国人学生の日本語力が高いことをまったく意味しない。全般的な能力では両者に違いはなく、読解力と漢字知識において中国人学生に大きく劣るものの、聴解力と会話力では非漢字圏学生のほうがずっと立ち勝る。
日本語能力試験では、四技能のうち「話す」と「書く」の問題はない。しかし「読む」と「書く」、「聞く」と「話す」には表裏の関係があるので、ある程度は「書く」「話す」能力も反映していると考えることはできる。とりわけ「聞く」と「話す」は不可分で、聞き取れないことは言えないし、言えないことは聞き取れない。それは発音、たとえば英語の「r」と「l」を考えてみればよくわかる。この弁別は、聞き取れないから言えないのか、言えないから聞き取れないのか、いずれにせよ言い分けられない・聞き分けられないが不可分であることを示している。だから、聞き取れないなら話すこともできないだろうと推定できるし、その逆も言える。そして、言語の本質は話すことにあり、話すことが根幹であるのはまちがいない。その点で、流暢に日本語を話す非漢字圏のN2合格者の能力は、ろくすっぽ話せない中国のN1合格者より高い。
非漢字圏学生が苦手としない(むしろ得意とする)聴解問題を、中国人学生は難しいと口々に言う。彼らは聴解に関してはN3レベルである。それはつまり、実際の実力はN3だということだ。難しいに決まっているさ、N3の者がN1を受けているんだから。しかし読解問題は逆に、N3レベルでN1の問題にまずまず答えられる。この摩訶不思議の鍵は、むろん漢字である。
非漢字圏の学生が難問とする読解問題で、漢字圏の学生は得点を稼ぐ。その光景は聴解の裏返しだ。N2(中国人N2)程度でも、対訳本(中国にはけっこうある)でない日本語の小説や新書、専門書を読んでいる者がままいるのも、漢字あるゆえだ。ただし、その「読解力」というのは「黙読」解力なのである。音読させると全然だめだ。訓読みはもちろん、音読みも難しい。音読ができないというのは、言うこともできず、聞き取ることもできないことを意味する。発語せず、文字を書いて会話する筆談という世界に類を見ないコミュニケーション方式と表裏一体の現象だ。
カタカナ習得においても漢字圏・非漢字圏の違いが現われる。中国では日本語専攻なのに2年生3年生になってもカタカナをしっかり覚えていない者がいる。彼らにとっては外来語、外国の地名人名で見るだけで優先度が低いからだ。だが非漢字圏では、まず学習者自身の名前がカタカナで書かれるし、彼らと関わりのある地名や人名がすべてカタカナだから、むしろひらがなより先にカタカナを教えてもいいくらいだ。そして、彼らの悩みの種の漢字学習においても、カタカナは重要である。カタカナは漢字の一部からできたものだから、たとえば「外」はカタカナの「タ」と「ト」、「加える」は「カ」と「ロ」というふうに覚える助けになるのだ。それはしかし、もとから漢字を知っている中国人には無用のことがらである。


インターネットである人が中国人のN1はTOEIC600点ぐらいのものだと書いていて、なるほどと思った。もちろん、これは600点以上ということで、それよりずっと能力の高い者も含むのだが、ぎりぎり合格するような者はまあその程度と考えてさしつかえない(読解力を除いて)。
TOEIC990点満点中、Cランクは470-725点、Bランク730-855点、Aランク860点以上とされるが、非漢字圏ではこのAランクがN1、BランクがN2に相当すると考えていい。
Aランクの場合、「自己の経験の範囲内では、専門外の分野の話題に対しても十分な理解とふさわしい表現ができる。Native Speakerの域には一歩隔たりがあるとはいえ、語彙・文法・構文のいずれをも正確に把握し、流暢に駆使する力を持っている」のだそうだ。いかにも、それがN1で、それ以外のものであってはならないのだ、本来。
能力の目安として、600-700点の人は「ゆっくりと配慮して話してもらえば、目的地までの道順を理解できる。入国管理官に、滞在場所、期間、旅の目的を英語で聞かれた時、質問が理解できる。自分宛てに書かれた簡単な仕事上のメモを読んで理解できる」などという悲しいことが書いてある。それはN2レベルですらない。さらに、500-600点には、「打ち解けた状況で、“How are you?” “Where do you live?” “How do you feel?” といった 簡単な質問を理解できる。電車やバス、飛行機の時刻表を見て理解できる」というもっと悲しいことが書いてある。
世界は漢字圏と非漢字圏に截然と二分される(韓国・北朝鮮も含まれるのだろうが、漢字圏は実質中国一国で、ずいぶん不均等な二分法に見えるかもしれないけれど、忘れてはいけない、人口で考えれば14億とそれ以外だから、決して不釣り合いではない)。非漢字圏のN1・N2レベルと漢字圏のそれとは大きく食い違い、2つの異なった試験のようだ。大学3年でN1合格等々の漢字圏の常識は、非漢字圏のとんでもない非常識。逆もしかり。非漢字圏では、N1はもちろん、N2でも輝かしいゴールであるのとかわり、漢字圏ではN1はこれから会話力をつけるためのスタートラインだというふうに理解すべきである。
漢字、漢字、それを使う人々を結びつけ、使わない人を遠ざける絆にして障壁。古代エジプト人だけがわかってくれる、われらの空飛ぶ足枷。