「母は娼婦です」

日本語の発音はかんたんだ。母音は5つで、ローマ字にあるのと同数だし、子音は14。こういうものは多くても少なくてもむずかしくなるが、多すぎず少なすぎない適当な数だ。thや反り舌音のような妙なものもない。開音節ばかりなのは、聞くのにはモノトーンな感じかもしれないが、言うのには言いやすいはずだ。
母語が有気音・無気音対立の中国語である人には、日本語の有声音・無声音対立がむずかしい、というように、母語によって困難がでてくることはあろう。rとlが言い分けられないわれわれにも身にしみてよくわかることがらだ。だがそれは相対的なむずかしさであり、絶対的には日本語の発音はやさしいと言い切っていいと思う。
とはいえ、特殊拍と言われるもの、わけても長音と促音はむずかしい。「きてください」「きってください」「きいてください」を聞かせてみると、ほとんどの国の学習者が区別できない。つまり発音できない。
しかし、つまる音(促音)はなるほどむずかしかろうとわれわれも想像できるが(「坂の上に住む作家はサッカーがすきだ」)、長い音と短い音が発音できず聞き分けられないのは不思議に思う。伸ばせばいいだけだろ?
「おばさん」を「おばあさん」と呼んではいけない。怒られるぞ、気をつけなさいと言い聞かせると、おばさんに向かってことさらに「おバーさん、おバーさん」とバを強調して言うので、頭を抱えてしまう。「ば」の部分が問題だと認識してはいるのだが、音の長い短いがわからないので、強く発音してしまうのだ(強く発音すると長く聞こえる)。これだったら指摘しないほうがよかったかもしれない。
山陰線には3駅はさんで大田駅と小田駅がある。「大田で降りてください」と伝えたのに小田で降りられては非常に困る。駅前には何もなく、バスもなければ、山陰線は1時間以上待たないと次の列車は来ない。日本人も大田(市とはいえ、東京基準でいけばここも駅前に何もないんだけどね。まあ比較の問題で)で待ちぼうけをくわされるわけだが、小田で降りてしまった外国人のほうがたいへんだ。
「コピー」は「コーピ」と言うし、そう書く。私の知っているすべての国の学習者がそうだった。流暢に日本語を話す者にしてなお。なぜこんなのがむずかしいかよくわからないのだが、わからないからむずかしいのだろう。「コーヒー」は「コーヒ」。「コヒー」と書かないあたりに秘密がありそうだ。
アクセントは、標準である東京アクセントのほかに、それとまったく異なる関西アクセントが一大勢力であるし、一型アクセントもあるので、発音練習において特にこだわる必要はない。しかしながら、私はスピーチの練習などではアクセントを徹底的に教え込む。というのは、長音や促音の箇所にアクセントの変わり目が当たることが多いのだ。「こうとうがっこう」なら、「こう」で上昇、「がっ」で下降。つまり、アクセント練習ではアクセントが本丸なのではない。敵は本能寺にあり。長音・促音を身につけさせる一助に、と考えてのことである。もちろんアクセントが正しければ聞きよくもあるのだし。


母語によって発音の間違いも違う。タヌキの母語は知らないが、人に化けたタヌキは「オレだ」と言えず、「オネだ」と言うのでわかるという。四川人の場合はタヌキと逆で、ナ行をラ行に発音する。つまり「尾根」が「俺」に、「カナダ」が「体」になる逆さ狸。
トルコ人は「せ」が「さ」になる。「千円です」が「三円です」になってしまう。997円も違う。そんな通訳は損するぞ。
中国人の「ません」は「ますん」に聞こえるので、「行きます」だか「行きません」だかわからない。いつも「えっ、行くの、行かないの?」と聞き返すことになる。文末の最後の部分まで聞かないと肯定か否定かわからないのが日本語の大きな欠陥だが、その部分で「ますん」じゃ困るよ。
そしてネパールでは、面接で「母は娼婦です」と答える学生が出てくる。面接の練習のためにネパール人教師がモデル問答集を作るのだが、それに「はははしょうふです」と書いてあり、学生はそれを暗記する。ハハハ。ここは「しゃ・しゅ・しょ」がうまく発音できない者が多くて、「でしょう」を「ですよ」と言う。書き取りをさせても「しゅ」を「しょ」と書いたり、その逆に書いたりする。この点と、長音の無能があいまって、「しゅふ」が「しょうふ」になってしまったわけだ。大使館での面接のような大事なものなら、日本人に見てもらうべきだろう。学生がいい物笑いだ。
ま、私たちもシラミ(lice)が主食だし、おたがいさまだけどね。しかし「母は娼婦です」の破壊力はそれをだいぶしのぐと思うよ。