ゼンジ―語

 「中国は広島の生まれ」の手品師ゼンジ―北京が好きである。日本の奇術師には、ナポレオンズとかマギー司郎とか、笑いをまぶす人が多くて、非常によろしい。寄席の色物なのだし、タネも仕掛けもあることなんぞ観客はみんな知っているのだから、それが正しい奇術の態度である。不思議を操る異人のインチキ臭さを逆手にとって、インチキがふいと離陸する快感を味わわせる。欧米の、しょせん手妻使いにすぎない奇術師のすましてスカした態度より断然好ましい。
 そういう欧米を含め、手品師は異人性の演出に務める。ゼンジ―北京の場合は清代中国人(シナ人と言ったほうがもっとそれらしい)の派手な衣装と、あの中国人(シナ人)風のピジン日本語が印象的である。あの妙な言葉をかりに「ゼンジ―語」と名づけよう。
 YouTubeで「ゼンジ―語」が話されている動画を探したが、なかった。だから記憶で話すのだけれど、この人のインチキ「中国人風日本語」はもちろん誇張だが、実際をけっこう反映してもいると思う。その「実際」は、おそらく戦前とかあるいはもっと前の「実際」で、今時の学校で日本語を習った中国人はこんな話し方はしない。だが、彼らのよくする間違いを戯画的に捉えてはいる。
 「これ見る。これおもしろいの本ある」のように、助詞(特に「は」「が」「を」)を省略し、連体修飾ではいつも「の」をつけ(「の」がつくのは名詞が名詞にかかるときだけで、動詞・形容詞にかかるときは不要なのだが)、「だ/です」をすべて「ある」と言う(これは今の日本語学習者はほとんどしないのではないか)。格助詞省略とかわり、終助詞はよく使う(中国人の真似をするとき必ず言う「何々アルヨ」:これも実際には聞いたことがない)。動詞の活用はなく、ほとんど終止形。命令も終止形。
 発音に関しては、「チョト待つ」のように促音が言えない。「見るヨロシ」などの「ヨロシ」は、中国人に扮したコメディアンが振り回す典型的な中国人日本語であるものの、テレビ以外で聞いたことはない。しかし長音が発音できないという点については実際に即している。
 「ゼンジ―語」の特徴は、まさしく中国語の特徴に呼応しているのである。

 われわれも外国語を話すときはひどい間違いをしているはずだから、それを棚に上げて言わせてもらうが、中国人の日本語にはかなり疲れる。彼らの英語の誤用について、ネイティブ英語教師の指摘を聞いたことがあるが、それは日本語を話す場合の誤用とまったく同じだった。すなわち、he・sheの混同(「他」彼と「她」彼女が、字こそやや違え、発音は同一であることに由来する)、前置詞の間違い(これは日本人もよくするし、外国人一般に難しい)、そして時制の無軌道。日本語を話すときもそのような誤用がフルパワーで現われる。
 「ている」の間違いは中国人に限らずどの外国人もするけれど、これは事実関係に大きな損傷をもたらさない。だが「る」と「た」を間違えられちゃたまらんよ。事実がたちまち手元から失せ、把握不能になる。だからいちいち発言の真意を確認し、ウラを取らなければならない。目つきも刑事のようになっているかもしれない。
 「彼女」なんか使わずに、すべて「彼」とだけ言ってくれればいいのだが。原義からすれば男も女も「彼」だったのだし、普通によく言う「あの人」の場合、男でも女でもありえるため、男女判別しなければならないときは前後からよく考え、確認をしたりもするわけで、それと同じことだし。時制についても、過去も現在もすべて現在形で言ってくれたらまだしもなのだ。過去形が全然現われない話を聞けば、それは本当に現在・未来なのか、それとも過去なのか、じっくり考える。むちゃくちゃに使うから困るのだ。「彼女は行きました」と言っておいて、それが実は「彼は行きます」だったりするのである。つながりがおかしいので問いただし、そうと判明したら、それまでの理解がご破算になるわけで、どっと疲れる。きのうなのかあしたなのか、男なのか女なのかまったくわからない混乱混沌の世界が現出する。ゼンジ―北京もびっくりの中国の奇怪な魔術である。

 逆に、満州国時代に日本人は中国人の使用人や商人に中国語もどき(日本語風ピジン中国語)を話していたはずだ。それがどんなものだったかも知りたく思う。徳は孤ならず、必ず隣あり、と賢者も言うごとく。

 2018/11/26 SeeSaaBlog