中国覚え帳/中共満州国の説

日本人は満州へ行くべきだ。満州国には東アジアの近代の達成も欠陥も凝縮されている。日本はこの奇妙な国家を作り上げた当事者なのだから、ぜひその余影を見ておくべきだ。それはまだそこここに感じられる。
たとえば長春、かつての新京。市政府を市役所と考えるのは大きな間違いである。カメラを向けてみなさい。門衛に制止される。写真を撮ることすら許されない役所が市民サービスを担う「市役所」であるはずがない。「道台」とか「衙門」と呼ぶのがいい。つまり旧中国であり、中国は一瞬だけ「新中国」になったが、すぐに元の居心地のいい、賄賂横行・上意絶対の「旧中国」にもどったように見える。
昔の関東軍司令部は今は共産党省委員会になっている。市政府の場合は写真を撮ったあとで門衛に撮影不可と言われたので、少なくとも1枚撮れたのだが、ここではカメラを出すとただちに追い払われる。撮られて困る何があるのだろう。今も軍の施設なのかと疑われる。共産党関東軍の後継者ということだ。
中国は「戦前」だと考えると、よく理解できることが多い。
大学で軍事訓練をやっている。新入生の必修科目である。全寮制であり、学生には早操と称する早朝の体操とか教科書音読などが課せられている。かつて新京にあった全寮制の建国大学で早朝全学生が集合し「建国体操」なるものをやっていたのを踏襲したかのように。いわゆる愛国主義教育は皇国史観による洗脳と同じだ。
中国政府がチベットや新疆でやっていることは、日本人が満州でやったことそっくりそのままである。圧制下に置きながら、被支配民族の福利を向上させたと誇っているところなど、実によく似ている。チベットにある「万人坑」を見れば明々白々だ。もう70年も昔の日本の侵略を非難しつづける一方で、チベットや新疆では満州国の再現をしているのだから、ダブルスタンダードもいいところだ。
尖閣諸島でしくまれた「偶発的衝突」を狙っているらしく思われるところなどは、「柳条湖」や「盧溝橋」をやろうとしているように見える。
五族協和」は満州国のオリジナルではなく、清末から唱えられていたスローガンで、民国から満州国、人民共和国を通じて国是とされてきた。民国・人民共和国のが漢・満・蒙・蔵・回の五族なのに対し、満州国では蔵・回の代わりに日・鮮が入るわけだが。それが美辞に過ぎず、結局は覇権民族の専横に終わることは満州国がよく示していて、人民共和国もそれに続いている。
満州国は近代文明を東アジアへ効率的に移植する実験場のようなものであった。そのことは、戦後の高度成長日本をデザインした人たちのかなりの部分が満州国帰りだったことからもよくわかる。戦後日本は軍抜きでアメリカ流民主主義を上塗りされた効率的近代化であったが、中国は軍込み民主主義抜きの効率的近代化(その効率性はいくつかの分野では驚嘆すべきレベルまで達している)、つまり生きている「満州国」と言っていい状態なのではないか? 満州国は今もなお東アジアの大いなる「宿題」でありつづけている。