中国覚え帳/中国が足りない

中国のいいところのひとつに(著作権商売の人ごめんなさい)、日本のアニメやドラマがインターネットで見放題というのがある。日本映画もけっこう見られる。先ごろ菅原文太が亡くなってので、「仁義なき戦い」が見られないかと検索したら、「広島死闘篇」があった(このシリーズはしかしこれ1本しかないようだ)。その前には高倉健が亡くなったので、「新幹線大爆破」を見たいと思ったが、ありはしたものの中国語吹き替えだったので途中でやめた。あれは中国で公開されたのか。高倉健人気はすごいからな。
それで、ひょっとしたらと思って「独立愚連隊西へ」を探してみたら、これもあった。見たいと思いながら見られずにいたこの映画を、中国で見たわけだ。
これは戦争映画というより西部劇である。中国を舞台にしているので中国人も当然登場するが、演ずるのはすべて日本人で(フランキー堺をはじめ)、まったく中国人らしくなく日本人にしか見えないか、さもなくば滑稽な役である。だが、どのくらいそれらしいかはわからないが、ともかくも中国語をしゃべる。そこではたと気がついた。この映画を作った人たちは、中国を知っていた。中国語を当たり前のように耳にしていた。中国が身近であった。それに対して、われわれはそうでない。


敗戦と大陸からの引き揚げによって、日本は中国から切り離されてしまった。それまでは、満州があり、台湾があった。上海や北京など占領地には大勢の日本人がいて、内地の日本人も日々のニュースで大陸の出来事を身近に知っていた。戦争という不幸な事情を除いても、そもそも中国を考えることなく世界を考えることはできなかったのである。
日本史全体においても中国は常に重要な存在であったが、海が直接の民衆レベルでの交流をさまたげていたので、その役割は間接的で、決定的なものではなく、政治分子は海というフィルターで遮られ、もっぱら文化的な影響関係にとどまることが多かった。
しかし、日本近代史は中国と「切っても切れない」関係にある。明治維新阿片戦争のエコーであるという始まりからしてそうであり、孫文の革命は日本からのそのエコーの響き返しである。清国留学生を大量に受け入れたのはともかく、日清戦争に勝って台湾を取り、日露戦争に勝って関東州を取り、満州事変で満州国を成立させ、というのは中国から見れば負の歴史ではあるけれど、互いに民衆のレベルで、身体のレベルでの交流があった。戦争というのも、庶民(兵隊も庶民である)と庶民が命のやりとりという究極の形で行なう「交流」である。日本が一方的に中国に侵入し、日本人が奪われること少なく、中国人が非常に多い不平等なありかただったけれども。
だが、それが一転、「切ったら切れてしまった」状態が敗戦から日中国交回復まで続いた。国交こそ回復しても、そのときはまだ文革の最中だったし、実際に市民レベルで関係が密になったのは、いわゆる改革開放が進んだ90年代からと言ってよかろう。
それまでの日本人には、「中国が足りない」。中国の存在を身体感覚的にとらえることができない。ただ観念的な存在にとどまる。年齢で言うと、70代(戦時中に生まれてはいるものの、終戦時にまだものごころのついていなかった内地の日本人は、中国を知っているとは言えない)60代以下、50代40代の人たちがそれに当たる。30代20代の若い人たちは、中国や中国人のプレゼンスが高まった時代に人となっているので、中国は足りているだろう。
逆もまた真で、中国人の間にも世代として「日本が足りない」人々がいる。いま日中関係がうまくいっていない理由はさまざまあるにしても、隠れた理由としてこの「中国の/日本の足りない世代」が政権に当たっていることもあるのではないかと思った。70代60代を第一世代、50代40代を第二世代とするならば、第二世代は一層ひどい。観念化が進むからだろう。第三世代になると、それが二分化する。開放メンタリティの人たちは、「中国が/日本が足りて」、バランスのとれた国際感覚が身につくが、「鎖国メンタリティ」の人々(日本人に多く、中国人にもっと多い)は、互いの国のプレゼンスが引き起こす目前の好ましくない事実を燃料に、さらに観念化を推し進める。むろん第一・第二世代にも互いをよく知りよく理解する人々はいるのだし、簡略化しすぎた見取り図ではあるけれど、こういうふうに考えるとわかってくることは多いと思う。


日本の近代史は、中国・ロシア・アメリカの3大国との関係性の中にある。
先の大戦は、この3つすべてを敵にまわす無謀極まるものだった(ロシア〔ソ連〕は最終段階まで「中立」だったが、ノモンハンで戦っていたし、ずっと敵でありつづけた)。
ところが敗戦後の冷戦時代は、前二者との関係が断たれ、アメリカべったりというこれまた特異な状態が続いた(ソ連との国交はあり関係はあったが、それは緊張に満ちたものだった)。国交回復がありソ連崩壊があっても、外交におけるアメリカ一辺倒(ほとんど属国状態)は今なお続いている。「中国が足りる足りない」よりも、こんな脳内冷戦陣営の人々が要路者に多すぎることが、日本の危険の第一であろう。
ともあれ、私は「中国が足りる」ようになった。それが中国滞在の最大の収穫だ。