吸血鬼の里?

トランシルヴァニアの問題児、ドラキュラ。トランシルヴァニアの人々は、彼を前にして困惑を隠せない。トランシルヴァニアでいちばん有名な人物なのは争いがたい事実なのだが(とりわけアメリカ・西欧において)、吸血鬼ときている。しかし彼はフィクションの主人公であって、実在のワラキア君主をモデルにしてはいるが、トランシルヴァニアの伯爵でも何でもないのである。ドラキュラは十九世紀末イギリスの大衆作家ブラム・ストーカーの筆から出た小説上の造形である。以上。――十四世紀のワラキア公、トルコ軍と戦い、残虐の行ないで悪名を残したヴラド・ツェペシュをモデルにしていると言っても、それを選んだのは単なる作家の恣意な空想に過ぎない。
けれどトランシルヴァニアの方にも隙はあるのだ。西欧から見て辺境の僻地であるのは事実だし、知られるところの少ない土地にさまざまな空想(夢と願望、ないし荒唐無稽)がめぐらされるのは、住民には何の断りもないのだから迷惑な話ではあるけれど、力関係のいたすところ、しかたがない。十九世紀において(いや、二十世紀でもそうだけれどもね)ヨーロッパの果ての遅れた地方であったわけで、したがって西欧では失われた奇妙な風俗習慣(一般に迷信と言われる)などもよく伝承されていたのは、そのとおりである。辺境は力の場である。想像力はそこへ引き寄せられる。そして辺境の力は、多くの場合まがまがしく、もしくは滑稽で、しばしば統御の外へ出てしまうものであるらしい。


ブラム・ストーカーの描くトランシルヴァニアはどんな土地であるのか。彼はこの地方を旅したことはなかった。本で得た知識であり、よく調べてはいるようだが、いろいろ事実に反するところがある。けれどもこれが世に最も知られたトランシルヴァニアのイメージであるのだから、一通り見ておかねばならない(以下、平井呈一訳「吸血鬼ドラキュラ」、創元推理文庫、1971より。誤訳と思われる箇所は正した)。
ジョナサン・ハーカーの日記に、「ロンドンをたつ前、しばらく自分の自由になる暇がとれたので、大英博物館へ行って、トランシルヴァニアに関する参考書と地図をあさった。あちらの国の貴族とつきあうためには、まずその国の予備知識を仕込んでいくにかぎると思ったからだ。先方から言ってよこした場所は、むこうの国でいうと、いちばん東に寄ったはずれ、――つまり、カルパチア山脈のなかの、トランシルヴァニアモルダヴィア、ブコヴィナ、この三つの州のちょうど境目にあたる所だということがわかった。ヨーロッパのうちでも、文明にもっとも遠い、世間に知られていない地方である。・・・
トランシルヴァニアの住民には四つの民族がある。南部がサクソン人、ダキア人の子孫のワラキア人が混じって住んでいる。西部がマジャール人。東部と北部がセクリー人。このセクリー人のなかへこれから乗りこんでいくわけだが[引用者註:三州の境、ボルゴー峠の辺りにはセーケイ人はいない]、彼らはみずからアッチラ王とフン族の後裔だと号している。十一世紀に、マジャール人がこの地方を征服した際、フン族がこの地に定着していたという事跡があるから[?]、あるいはそういうこともあるのかもしれぬ。ある書物によると、世界中のこれはという目ぼしい迷信は、すべてこのカルパチア山脈の馬蹄形のなかに結集されており、その状、あたかもこの地方が人類の妄想の渦の中心をなしている観あり、といってあるが、だとすると、今回の自分の滞在はすこぶる興味津々たるものになるだろう」(p.7f.)。
やれやれ、辺境だってことは一等初めに認めてはおいたが、こうまで言うかい? この地方をよく知る者には、もっと別な意見があるはずだ。「中心」にいると信じている者の考え方はこうしたものか。
「ビストリッツに着いたのは、暮色もようやく濃くなった頃あいだったが、なるほどここは聞きしにまさる、なかなか古風なおもしろいところだ。事実上は国境の町で、――ボルゴ街道がここからブコヴィナに通じている――昔からなにかと事の多かった町だ。そのなごりは今も残っている。今を去る五十年ほど前、ここは大火が頻発して、町は五回も焦土と化した。十七世紀のはじめには三週間も包囲をくい、そのときには戦禍につぐ飢餓と疫病のため、約一万五千の住民を失ったという。
ここのゴルデン・クローネ・ホテルというのに泊まれと、ドラキュラ伯爵から前もって指示があったので、その宿へ行ってみると、これはまたうれしいことに、この地方の風俗習慣ならなんでもかんでも見ておきたい自分にとっては、まさに打ってつけの、よろず古風づくめの旅篭宿であった。宿では自分のことを心待ちにしていたとみえ、玄関にかかると、このへんの百姓とおなじ身なりをした――白い下着の腕と背中に、じみな色変わりの布をつけ、幅のひろい長前垂をかけ、見るからに元気のいい婆さんが出迎えに出てきた。自分がそばへ寄っていくと、婆さんはていねいに頭をさげて、「あの、イギリスのお方さまで?」ときくから、「そう、ジョナサン・ハーカーです」というと、婆さんはニコニコ顔で、最前からうしろに顔を出していた、白い長袖のシャツを着た爺さんに、なにやら小声でいいつけた。爺さんはいったん奥へひっこむと、すぐに一通の手紙をもって出てきた。
 前略、カルパチアへようこそ御光来。老生はあなたのことを一日千秋の思いで待ち暮 らしています。明日午後三時に、ブコヴィナ行きの乗合馬車がそちらを出るが、それにあなたの席がとってあります。当方はボルゴ峠までお迎えの馬車をさしだし、それにて御案内をします。ロンドンよりの長途の御旅行、さぞかし楽しかったことと拝察。風光明媚の当地での御逗留もかならずお気に召されることと信じます。   ドラキュラ 拝」(p.9ff.)
「この中央高地に起伏する緑の山々のかなたには、膨大な森林の斜面が、遠くカルパチア山脈雄大な峻峰の横っ腹まで、ずっと登りづめにつづいている。それがわれわれの馬車の左右に、見上げるばかりにそそり立って、その上に午後の日ざしがいちめんに降りそそぎ、じつに美しい七色の光彩を放っている。峻峰の影の部分は紺と紫、青草と岩石の入りまじったところは緑と茶色。そして、ギザギザの鋸岩と、尖った断岩との果てしない眺望が、遠く靉靆と打ち霞むところに、雪をいただく巨大な銀嶺が悠然とそびえ立っているのである。山容には、ところどころに大きな裂け目があるとみえ、日が傾きだすと、そうした裂け目に、ときおり白い滝のかかっているのが見られたりした。とある山裾を馬車がグルリと回ったとおもうと、それまで長蛇のような道をうねりくねり走ってきた途中、馬車の右手にみえていた雲表を突くような巨大な銀嶺が、いきなりわれわれの正面にヌッと現われてきた。乗客の一人が、そのとき自分の腕をつついて、
「ごらんなせえ、あれが『神の御座』でがすよ」といって、さもありがたそうに、十字を切った」(p.16f.)。
行ったこともない土地ながら、うまいものだ。この辺かどうかは別にして、カルパチア山中にいかにもありそうな景色である。
ドラキュラ伯爵はトランシルヴァニアおよび自分の一門の歴史について、雄弁に語る。このあたりは平井呈一訳の名調子だ。
「真夜中――伯爵と今まで長話をしていたところだ。トランシルヴァニアの歴史について、自分は二、三尋ねてみたのだが、伯爵はじつに驚くばかり、この国の史実に通暁している。歴史上の事実、住民の状態、とりわけ戦争の話になると、いつどこの戦争にも、まるで自分がそれに参加していたように詳しい。・・・話しているうちに、伯爵はしだいに熱をおびてきて、白いひげをしごきながら、部屋のなかをノッシノッシと歩きまわり、手に触れる物あらば、無双の大力で木っぱみじんにつかみ砕かんばかりの力みかたであった。ドラキュラ家の家系について、次のような話をしてくれたから、聞いたままをここに記しておく。――
「われらセクリー人には、主君のためには身を打ち捨てて、獅子奮迅に戦いぬくという、雄々しい血が流れておる。これがセクリー人の誇りじゃ。・・・いかなる悪鬼羅刹といえども、わがアッチラほどの偉傑は、まず世にはあるまいぞ。そのアッチラの血が、わしのこの腕に(と伯爵は高だかと腕を上げて)流れておるのじゃ。さればさ、われらは征服民族、それを誇りとしておるのに、なんの不思議があろうぞ。マジャール人[?]、ロンバルド人[?]、アヴァール人、バルガー[ブルガール]人、さてはトルコ人、これら諸民族が数万の将兵を率いてわが国境を侵したるみぎり、われらがこれを一撃のもとに追い散らしたのも、なんの不思議もないことじゃ。降っては、アールパードとその軍がハンガリア祖土の地を併呑したる際、アールパードは国境に来たってわれらがここにあることを見、国土占有を完たくしたのも不思議ではない。さらに降っては、ハンガリーの大軍が東方を席巻したおり、われらセクリー人は勝利の征軍マジャール人の同胞として宣揚され、それより数世紀の間、われらはトルコ国境の守備隊として、大いに信望されたものじゃ。国境守備というものはトルコ人が奇しくもいうたように、『水は眠れど、敵は眠らず』でな、まことにこれは不断の任務じゃ。われら四つの民族がこぞって『血の剣』を授けられて、国王の旗印のもとに、雲霞のごとき軍勢が疾風のごとく群がり集まったときのあの喜び、あれに増す喜びを味わった者が、どこにあるか? それほど天下に威名をとどろかしたわれらが民の一大恥辱、ワラキア人とマジャール人の旗印が三日月の旗の下におろされたのは、いつであったか? 猛虎将軍の雷名をひっさげ、ダニューブ河を渡りこえ、われらに仇なすトルコ軍をわが地において粉砕したのは、そも何人であったか? これぞ世に知る人ぞ知る、猛虎将軍ドラキュラその人であった。恨むらくは、彼が倒れしのち、やくざな弟めが国をトルコに売りまいない、きのうの敵の奴隷となりさがる恥を忍ばねばならんようなことになりおったが、時降ってわれらが一門の分かれが、ふたたび河を渡ってトルコに押し入った際、陰に陽にそれを励まし助けた者こそは、たれあろう、かく申す不肖ドラキュラではなかったか? われドラキュラは、たとえひとたび破れて退くとも、やわか挫けて潰えばこそ、再三再四盛り返し巻き返したれど、いかんせん、時ついにわれに利あらず、全軍屍を野にさらせし血の戦場より、ひとり悄然と戻ったれど、かならず後日の勝利はかたくおのれに期するところがあったのじゃ。人呼んで彼がことを、わが身だいじの保身将軍じゃなどと嘲りおったが、子童どもが何をほざく! 頭にいただく指導者もないどん百姓づれが、何になる? 明晰なる頭脳と重厚なる度量、この二つを持てる人なくして、戦争はどこに終結する? その指導者のなかには、わがドラキュラ一門の縁者血縁の者があまたおった。げにわがドラキュラ家こそは、その知恵、その度量、その剣において、ハプスブルク家やロマノフ家のごとき、俄か大名の及びもつかぬ、炳乎たる記録を誇る貴き家柄なのじゃ。なれども、戦乱の日はもはや過ぎた。こんにちのごとき、まことに不面目なる平和の時代には、『血統』こそが何にもまして貴いのじゃ。威名世にかくれもないわが一門の歴史は、まずざっとこんなものじゃよ」
こんな話を聞いているうちに、いつのまにか朝になったので、われわれはベッドにはいった(どうもこの日記は、いつもハムレットの父の亡霊みたいに、鶏の声で終わるので、 「アラビアン・ナイト」の書き出しみたいに気味が悪い)」(p.50−53)。
おやおや、ドラキュラはセーケイ(セクリー)人だそうな。セーケイ人たちがこのことを知ったら大変だ、怒り心頭のさまが目に見える。われわれが吸血鬼だと! ドラキュラとはワラキアのヴラド・ツェペシュではないか、ワラキア人と一緒くたにするのか!等々。幸いにしてこの本はルーマニアではほとんど読まれておらず、こんな小説家の作文も知られていないので、ことなきを得ている。けれどトルコ軍との戦いのくだりは、さもヴラド公自身がその口をもって語ったかと思わせる。小説家の作文、馬鹿にできない。
伯爵は言う、「いや、あのへん一帯は、それこそ寸尺の地たりとも、人間の血汐――愛国者、もしくは侵略者の血汐の流れておらんところはないと申してもよい」(p.40)。そうだろうと思う。しかしシェイクスピアなどを見ると、イギリス人も内乱や戦争ばかりやっていて、ずいぶん英国土も血を吸っているように思えるが、まあいいか。


1897年刊の「ドラキュラ」に先んじて、1889年ジュール・ヴェルヌは「カルパチアの城」を書いた(1892年刊行。安東次男訳、集英社文庫、1993)。吸血鬼は出てこないし、そもそもこの国が吸血鬼の里という評判を得たのは「ドラキュラ」の成功後だから、ヴェルヌにそんな先入観があったはずはないが、――どうも読んでみると、このトランシルヴァニアも「ドラキュラ」のトランシルヴァニアとよく似ている。さては吸血鬼は生まれるべくして生まれたのだろうか。
オーストリア帝国の奇妙な一部、このトランシルヴァニアは、マジャール語で「エルデーイ」すなわち「森の国」である。この国は北はハンガリア、南はヴァラキア、西はモルダヴィアに囲まれていた。六万平方キロメートルの広さ、つまり六○○万平方ヘクタール――およそフランスの九分の一――スイスに似ているが、スイスの土地よりもかなりひろく、逆に人口は少なかった。耕地につづくその高原、ゆたかにしげった牧場、気まぐれにあらわれる谷間、そして眉のような山頂、カルパチア山脈の最深部に発する山々の分枝で縞模様をつけられたトランシルヴァニアは、また無数の川に刻まれていた。それらの川はティサ川とあの壮麗なダニューブ川をふくらませ、その鉄門は、南へ数マイルのところで、ハンガリアと旧トルコ帝国オスマンの国境に面したバルカンの山々のせばまるところを閉ざしている。
これがキリスト紀元第一世紀にトラヤヌスによって征服されたダキアの古い国である。サーポヤイ・ヤーノシュ(1484−1540)と、その後継者たちのもとに、1699年までこの国が享受した独立は、オーストリアにこの国を併合したレオポルド一世とともに終わった。しかし、その政治体制がどのようなものであろうと、この国は一つになることなく、ひじ突きあうさまざまな民族の共通の住み家だった。ヴァラキア人、ルーマニア人[?]、ハンガリア人、ジプシー、モルダヴィアから出た[?]セーケイ人、そしてまた、やがてはトランシルヴァニアの統一のために「マジャール化」するはずのザクセン人たちである」(p.9f.)。
「このトランシルヴァニアという地方は、いまだに、原始時代の迷信につよくむすびつけられいる土地だ、ということをおぼえておいていただきたい」(p.7f.)。
マジャール化するはずのザクセン人」というのは、当時ハンガリー政府によってマジャール化政策が強力に推し進められ、ハンガリーに住むドイツ人がその矢面に立たされていたことを指している。
ヴェルヌはこの土地の「迷信」を列挙している。
「見すてられた城、幽霊城、幻の城。この城は、それからというもの止むことのない空想によって、やがて幻影にみたされたのである。幽霊があそこにあらわれ、魂がそこに夜になれば立ちもどってくるのだ。ヨーロッパにいくつかという迷信の中心地では、いまでも事態はこのような経過をたどる。そしてトランシルヴァニアは、その迷信の地のなかでも、第一等の折り紙をつけることができるところだった。
そのうえ、このヴェルスト村であの超自然への信仰と手を切ることがどうしてできたろう? 教区の司祭と田舎教師が、このうち教師は子供たちの教育を受け持ち、司祭は信者の信仰を導くのだが、彼ら自身その迷信を善にして美なるものと信じているだけに、いっそう端的におとぎ話を教えこむ結果になったのである。村人は<確信をもって>、夜間狼の姿でうろつく魔法使いが野を走ること、吸血鬼どもが人間の血を飲むこと、その他の悪鬼が廃墟をさまよい、害をあたえることをいいたてるのだった。一週のうちの最悪の二日である火曜日と金曜日には、妖精に出会わないように気をつけなければならない。あの行政区の森、魅惑の森の奥深くはいっていってみたまえ、そこには、あの、顎が雲まで伸びる怪異な竜、国王の血をひく娘たちと、美しくさえあれば、いやしい者の娘をもかどわかす巨大な翼をもつ怪物がひそんでいる・・・。そこにはたぶん、数多くのおそろしい怪物がいるのだが、はたして民衆の頭のなかに、その怪物に対抗する善き精霊がいるものだろうか? いわゆる「セルピ・デ・カサ」、家のかまどの蛇のほかは、なにもないようだ。この蛇は、つねにかまどの奥にすみついて、農民は、いちばんよい牛乳でその蛇を養い、そのありがたい力をさずかるのである」(p.32f.)。
トランシルヴァニアの伝説と寓話に由来することならば、いずれも彼女はわざわざ教えられる必要もなかった。彼女はそれらについて彼女の先生と同じように知っている。彼女はレアニイ=コーの伝説、ダッタン人の追跡の手をのがれた、たぶんに夢想的なひとりの若い王女にまつわる、処女の岩のことを知っている。「王の峠」である谷の、竜の洞穴の伝説、妖精たちの時代に建てられたデヴァの砦の伝説、デトゥナタの伝説、「雷に打たれた女」、この有名な玄武岩の山は、石でつくられた奇妙なヴァイオリンに似て、悪魔が嵐の夜それを弾くのである。魔女の手で剃られた頂をもつレテザトゥ山の伝説、聖ラディスラスの剣が、そのひと突きで立ち割ったトルダの隘路の伝説。ミオリッタがこれらの話の全部を信じこんでいたことをつけ加えておくべきだろう。だが彼女が、ひとりの、魅力あるかわいらしい娘であることにかわりはなかった」(p.45)。
ストーカーのトランシルヴァニア知識にはいいかげんなところがいくつも見られるが、ヴェルヌはさすがによく調べている。彼もここには旅していないので、いささか参考書の丸写し的であるのもやむをえまい。


ここへ、それも二十世紀の二つの大戦の間に旅した二人のイギリス人の証言は、いわゆる「迷信」の生きているさまを活写する。
ジャーナリストのバーナード・ニューマンは、第二次世界大戦前夜の東欧・バルカンを歩いた際、トランシルヴァニアでこんな体験をした。
 「多分教育が行き届かない故であらうが、此のトランシルバニアには、大変迷信が残つて居る。西ヨーロッパでは既に何世紀も前に捨てられたやうな迷信を、此処の人達はまだ皆信じ切つて居るのだ。筆者は忘れもしない、或晩トランシルバニアの村で、夜通し起きて居たことがあつた。すると其の家の人達が、血を吸ふ鬼がはひらないやうにと、入口の戸に大きな横木、即ち閂をはめたのだ。そこで私が此の世に、吸血鬼なんか居るものでないと、口をすくして、幾ら云つて聞かしても皆は信じなかつた。実の所、此の古い迷信を信じない者は村中探して牧師と筆者だけであつた。筆者は幾度となく、無智な、然し真面目な百姓達から、吸血鬼や、人間狼や、曼陀羅華の事等を聞かされた。彼等はさう云つたものが実際此の世の中にあるものと、確信し切つて居るのだ。だから迷蒙をさます為めに、筆者はまるで喧嘩腰で議論をしなければならなかつた」(「欧州の發火點」、大江専一訳、今日の問題社、1939、p.)。
旅行記作家パトリック・リー・ファーマーは若い頃ロッテルダムからイスタンブールまで放浪の旅をし、その途上トランシルヴァニアを横断した。1934年のことである(ちなみにこの旅行記は、単に非常に面白いだけでなく、トランシルヴァニアという地域を理解するためのすぐれた案内書になっている)。
「あるときわたしたちは彼[イシュトヴァーン]の地所の新所有者数人を含む四十人の農夫たちと、山毛欅林の中のトレッセル・テーブルで会食をしたことがある。そのとき彼はわたしを一人の老羊飼いのところへ連れて行き、老羊飼いは霊魂と妖精と狼人間の話をしてくれた。この地方の人々はみなこれら超自然的存在がいると信じ、それを恐れていた。狼人間はひそかに徘徊し、暗闇で姿を変えたり、熊の足跡から雨水を飲んだ人や獣に災いを降らそうと待ち構えていた。イシュトヴァーンはまた、昔魔女だった萎びた老婆のところへ連れて行き、まじないを唱えてくれと頼んだ。彼女は黒ずんだ歯が一本生えた歯茎のあいだからそれを唱え、わたしはそれを二つ三つ発音通りに書き留めた。頭韻をふんだ神秘的な呪文。類似のものにわたしはのちにモルダヴィアで出くわした」(「遥かなるドナウ・ヨーロッパ徒歩旅行Ⅱ」、田中昌太郎訳、図書出版社、1995、p.150)。


同じ著者が次のように書いている部分は、ことの性格を端的に把握していると言える。
トランシルヴァニア、ティミショアラのバナト、大平原、タトラ山地、ブコヴィナ、ガリシア、ポドリア、ロドメリア、モラヴィアボヘミア、ワラキア、モルダヴィアベッサラビア、そして何よりもカルパチア山脈そのもの――これらオーストリアハンガリーとその近隣の地理は、前代の架空の世界と何とよく類似していることだろう。グラウンシュターク、ルリタニア、ボルドゥリア、シルダヴィア、その他たくさんの、僭主によって 奪され、王位をめぐる争いによって切り裂かれた想像上の王国が、たちまち脳裏に浮かんで来る。陰謀、裏切り、世継ぎの幽閉、お家騒動がしきりに起きる。そしてそれとともに、鬼のような片眼鏡の剣客、淋しい塔の中の王女、倒れ掛からんばかりの山並み、深い森、半野生馬でいっぱいの平原、城から子供を盗み出して、胡桃の汁で染めたり、胸壁の下に潜み、ヴァイオリンの調べで女城主の心をとろかす放浪のジプシー族。気の狂った貴族がおり、一揆が起きる。半ば義賊でもある盗賊がクラブ・アップルの木の恐ろしい棍棒を手に道に立ちはだかる。・・・」(同、p.208)。「この地域はゲーテが新世界の人々に、そんなものはないほうがいいと語ったありとあらゆるもの、「無益な記憶と虚しい争い・・・騎士と盗賊と怪談」に満ち溢れていた」(p.210)。
そう、想像力の問題。西欧(アメリカを含む)では、ファンタジーの地理学におけるトランシルヴァニアが実在のトランシルヴァニアに対して優勢を保っている。斜陽英国の最大の輸出産業は英語である。美術や音楽(ポップ・ミージックを除く)ではさして見るべきもののないイギリス人は、小説(映画を含め)を書かせたら素晴らしいストーリー・テリングの才を発揮する(アメリカ人も然り、つまりアングロ・サクソンだ)。世界中に広まっている英語に加えて、作品の出来ばえもよかったら、「空想の地理」のデザインは彼らに牛耳られてしまう。それに対し、史実や事実を持ち出して空想に難癖をつけるのは正しいやり方ではない。事実ではなく真実の次元で見れば、両者は同じように「真実」でありうるのだから。物事は人の思うようにしか存在しない。人はよく、ほかの土地ではそう言われているが、本当はこうなのだなどと力説するが、その「本当」もかなり怪しいものだ。「本当」という名のもう一つのプリズムである可能性が高い。真実は常に主観と主観の合わせ鏡の間にあるのだろう。
「空想地理学」の上にトランシルヴァニアがしっかり地歩を築いたのは、やはり「ドラキュラ」の成功に大きく負っている。そもそも吸血鬼は南スラヴ人の地域やギリシアでの事例が知られていて、実際「ドラキュラ」以前の吸血鬼文学は、ポリドリの「吸血鬼」ではギリシア、レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」でシュタイアーマルク、A.K.トルストイ「吸血鬼の家族」はセルビア、メリメの偽書「グズラ」ではイリリアを舞台にしていた。ストーカーの小説の大成功が、ここを吸血鬼の「本場」にしたてたのである。だが、吸血鬼は南スラヴへ去れ!と言ってみてもはじまらない。「辺境」であるのは動かしがたい事実だから、吸血鬼でなかったら「狼男の里」にでもなっていただろうさ。辺境の宿命のひとつである。実際、豹女の地にはもうされているらしい。
「「・・・青年は、言葉の訛でもって彼女が外国人なのに気づくの。娘は自分が亡命者であることや、ブダペストで美術を勉強してたんだけど、動乱が起きたとき、船でニューヨークに来たことを彼に話したわ。すると青年は、ブダペストが恋しくないかって訊いたの。そうしたら娘は一瞬眼差しを曇らせたわ、表情が暗くなったの。彼女は都会じゃなくて、山国、あのトランシルバニア地方の出だと言ったわ」
「ドラキュラの故郷だ」
「そう。その山岳地帯には深い森があってね、獣が棲んでるの。獣たちは冬になるとひもじさで狂い出し、里へ下りてきてね、人を殺すようになるのよ。人々はひどく怯えて、戸口に羊や死んだ動物なんかを置いておくの。そうやって命乞いをするわけ。・・・」」(マヌエル・プイグ「蜘蛛女のキス」、野谷文昭訳、集英社文庫、1988、p.10)。
これは1942年製作のアメリカ映画「キャット・ピープル」(ジャック・ターナー監督)をふまえて語られているらしい。この映画は見ていないので、本当にこんなことが言われているのか詳らかにしないが、さもありなんと思う。
だからわれわれはまず、世界に流通しているトランシルヴァニアのイメージを、受容されている事実として受け入れる。その上で、土地に根ざした想像力を対置することにしよう。歴史は補助輪、想像力があくまでも動輪だ。鏡像に対しては、われわれ自身の鏡を示そう。トランシルヴァニアの鏡には、吸血鬼が映っているかどうかは知らないが、さまざまなものが映っているはずである。
(1996)