金門島で考える

別にFacebook依存症ではない。1週間か2週間に1度のぞいてみるだけだ。写真をのせることぐらいしかしていない。ひと月くらいいじらなくても大事ない。しかし、全然できないとなると話は別である。私のページに書き込みがされたようだ。友達リクエストも4つ来ている。その処理を、中国を離れる半年後まで待つのか? さいわいまだ冬休みが続いているので、アモイか広州に行ってみようと考えた。そこから足をのばして、「外国」である金門島か香港ないしマカオへ渡り、Facebookを見ようという心算である。華北は寒いので、華南で温まろうとも思ったし、本を買いたいという希望もあった。正字・縦書きの本を。大陸中国簡体字・横書きの本は買う気がしないのだ。もうひとつ、元宵節の祭りも旅先でのほうが出くわすチャンスがあるかもしれないと考えた。
4つの希望を携えて、結局アモイに行った。香港にはまったく興味がない。マカオには多少あるが、どちらにせよ広州からちょっと遠いので、時間を取られてしまう。それに、根っから田舎が好きなので、この南中国の3つの「外国」のうち、圧倒的に人口の少ない金門島を選んだ。中国で暮らすというのは人海の中に沈むことだから、休みぐらいなるべく人は見たくない。人の数は少ないほどよろしい。
だが、思ったより暖かくなかった。最低気温が8度、最高が13度ぐらいというのは、最高気温がマイナスだった華北よりもちろんずっと暖かいのだが、夜暖房がなければかえって寒い。本は田舎のことゆえほとんどなかった(香港ならたっぷり買えただろうが)。しかし、元宵節の祭りは見ることができたし、Facebookものぞけた。そして、いろいろなことを考えることができた。


まず飛行機でアモイへ飛んだ。アモイ自体が島である。ここは「なりそこねた香港・上海」である。開港場として、うまくいけばそうなってもおかしくなかった。目の前に浮かぶ小島コロンス島には列強の租界があった。上海や香港になりそこねたのは、後背地が貧弱なためだろう。中国の海外貿易の中心広州や繁栄する江南を背後にもつ両者に比して、福建省では限りがある。香港や上海にならなくてよかったと私などは思うけれど、アモイ市民の意見は知らない。


翌朝船で金門島へ渡った。1時間ほどである。そんなにも近い。海峡を越えて台湾本島までは船で9時間という距離関係である。
金門島は、日本領であったことがない。清が倒れてのちはずっと中華民国だ。だから、大日本帝国を経た台湾や共産主義の大陸中国でない「ほんとうの中国」が見られるかもしれない、などと考えていた。しかし行ってみると、そこも台湾だった。むろん、たかが1日半いただけでは細かいことは何もわからない。住んでみれば、台湾でなく共産中国でないものはいろいろ見出せるのかもしれない。だが、ここではざっとした観察に従う。それによると、ここは台湾だ。
バイクがやたらに多いのも台湾なところだった。道は狭いし島は広くないし、所与の条件にぴたりと適合しているから、多いのはむしろ自然だが、その中に大陸中国であんなに普及している電動バイクがないことには、なるほど国境の向こうだと思った。あれは便利だから、台湾でも(日本でも)普及してもいいと思うのだが。
女性の髪型もちがう。河南省では髪を結んで額を丸々出している女性が多いが、ここではそういうのは少なく、日本の女性の髪型に似ている。ただし、アモイでもおでこを全部あらわす髪型は北方よりずっと少なかった。
何よりも、ここでは人が叫ばない。半日金城鎮を気持ちよく歩き回って、ホテルにもどり、この町はどうしてこんなに心地よいのかと考えてみて、はたと気がついた。人が叫ぶのを聞かなかったのだ。大陸の中国人はとにかく大きな声で話す。日本語ではあれは「叫ぶ」の範疇だ。ここではそれをまったく聞かなかった。唯一の例外が船着場だが、あそこで大声を出していたのはもちろん人民中国人だろう。不思議である。日帝治下で人となったなら、あまり大声を出さないかもしれない。しかしここは大陸中国の一部だった土地ではないか。日本人に支配された過去をもたないで、どうして日本的なマナーや習慣を身につけているのだろう。やはり教育なのだと思う。台北政府が教育を管轄していると、台湾でなかった土地まで台湾になってしまう。逆に、反日教育を国家的に推進すれば、日帝統治や皇軍の暴虐など経験したことのない教師によって、いとも簡単に反日に燃える少年少女が育てられてしまうわけだ。
金城鎮には多数の廟や寺がある。角ごとにひとつあるような印象だ。町の規模に比例して廟はすべて小ぢんまりしているけれど、その多さと手入れのよさが人をなごませる。神経がいきとどいている感じ。日本の町の寺や神社もこんなふうに数多いし、台湾もたしかにこんな感じだった。共産党支配以前の大陸南方の町や村もこうだったろう。日帝以前のものまで海峡対岸に離れた台湾本島と似ているのは、もともと台湾の人々はこのあたりから植民してきたという事情による。日本統治以前については、金門島が台湾に似ているのでなく、台湾が金門島に似ているのだ。ルーツ的にも、島である点でも、共通点は多い。


台湾でうれしいのは、日本人であることで疲れないことだ。河南省でいやな目にあったことなどないけれど、「鬼子」ということばは知っている。知っていれば、少しは疲れる。
思うのだが、東アジアが抱えているのは「日本を文明として認めるか」という問題だ。
文明に対しては、周囲の人間集団がそれに範を取ることをはじめる。文明国は非常にしばしば武力においても卓越しているので、力づくでということもあるが、自発的に倣うこともまた多い。
日本は、みずからが文明と認めたものをせっせと模倣してきた。それは、昔は中国であり、近代以降は欧米である。しかしあるときから、そんな努力を続けた日本自身がひとつの独特な文明になった。身近な例で見れば、洋服の着こなしである。初めてドイツに行ったとき、女性が魅力的なのに驚いた。容貌がそれほどでなくとも(ドイツは元来美人国ではない)、見ていてうっとりさせられる。洋服が似合うのだ。そして気づく。洋服とは彼らが彼らの国(の気候)で着るための服であることに。日本女性のような、背が低く手足短く頭大きく、顔が平板で胸も腰も貧弱な体型の者が着ては戯画になりかねないということに。同じことが男にも言える。戦前のニュース映画を見てごらんなさい。和服の男も女もさまになっている一方で、洋服の男女は痛々しい。だが、日本女性は洋服を着つづけ、自分たちに合ったデザインや着こなしを身につけた。体位の向上もあったけれど、それ以上にセンスで「洋」服を手なずけた。化粧にしてもそうだ。東京はアジアのパリになった(と思う。門外漢の勝手な感想だが)。住生活でも、和洋折衷と言いながら、洋間が増え、和室がぐんと減ったけれども、靴を脱ぐのは譲らない。日本的快適性は貫徹している。たぶんトイレがもっともわかりやすい例である。
日本という文明は、清潔さ・正確さ・細部の入念さ、調和最優先、個の主張でなく相互信頼と気配りによって支えられる社会、勤勉さへの絶大な敬意、個に対する集団の優越(一種の社会主義であり部内民主主義であって、成員総体の利益が優先される天皇機関説・長上機関説だ)、均質志向、形式重視、花卉愛好、秘められた暴力性、女性崇拝、海洋依存(捕鯨をめぐる問題は、海との接触に魂が結ばれている文明とそうでない文明との対立である。ただ海洋文明国は、その最大の国がせいぜい日本なので、圧倒的に分が悪い。漁の権利は、海で命を落とした同胞漁師の数に応じるべきものだ)、現代と古代の断絶なき共存、アニミズムによる世界観、二重制、交代によらず付加によって進む歴史、あらゆることに「道」を求めたがる倫理性、美への強い傾き(性へも)、貧しさの美学の発達などをその特徴とする、やや変わった文明である。
台湾や東南アジアは、日本が文明であり、範を取るに足ると認めている。中国韓国は、それを認めなければならないが(客観的に)、認めたくない(主観的に)。それが「歴史認識」問題の正体だ、と考えればわかりやすい。
韓国の場合はもっとねじれていて、実は範を取っている。だがそれを認めたくない。韓国へ初めて行ったとき気づいたのは、日本車ばかりだなということだ。しかしよく見ると、メーカー名がおかしい。日本の会社じゃない。あ、「国産日本車」か、と思った。車について言えることは、ほかのことについても言えるだろう。


こんなことも思う。「本国」は不快だ。
ロシアのロシア人に比べて、ウズベキスタンのロシア人ははるかに好感の持てる人たちである。ハンガリーハンガリー人とトランシルヴァニアハンガリー人についてもそうだし、韓国に住んだことがないからしかとは言えないが、サハリンの高麗人(韓国・朝鮮人)にはいい印象をもっている。台湾は元来新開の植民地で、もとは高砂族の土地だった。オランダや日本の支配も受けた。大陸中国とははっきり一線を画す。他民族と共存してきた人たちは、人間として練れている。本国の連中は、往々粗野で傲慢だと感じる。日本人もそうであろうことは、駐在員と現地化した日本人を見ていれば感じられる(私は個人的に、後者とは親しくできるが、前者のような日本を持ち込む人たちには疲れる)。


アモイを出たフェリーがまず近づく小島には、「三民主義統一中國」なるスローガンがでかでかと書かれている。それを見ると、国境を越えたことがわかる。句ではなく(三民主義は海峡の両岸で賛美されている)、字で。「義」と「國」が簡体字でなく正字であるから。さすが文字の国、違いも文字だ。
この島まで、アモイからわずか4キロぐらいである。領海侵犯はさぞ多かろう。逆に言えば、領海を侵犯せずにこのあたりを航行するのは恐ろしく窮屈だ。昔は知らず、中国軍が近代化を遂げた現在、大陸沿岸にこんな領土が維持できるのは奇跡的に思える。アメリカの後ろ盾の大きさを感じる。
私は中台統一を半分だけ支持する。大陸が台湾を併合するなら支持しない。台湾が大陸を併合するなら支持する。あ、半分ではなかったね。可能性ベースで言えば、ほぼゼロだ。しかし、可能性は政治の領域で、この文章はそうでない。


若い頃は、自分は旅が(特にぶらりと出かける一人旅が)好きだと勘違いしていたが、歳を取るにつれてだんだんそうではないことがわかってくる。外国生活は長いが、旅などほとんどしていない。居住地から近場へ日帰りで出かけるか、仕事で首都・州都へ行くか、遠方の知人を訪ねるか、調査旅行をするか。旅行のための旅行などほとんどしない。この前こんな旅をしたのはいつだったかと考えてみたら、トルコ滞在時に北キプロスへ行ったとき以来だった。ビザのため一度出国しなければならなくて、いちばん近くて簡単に入国できるところというのであそこへ行ったのだった。船で。そうそう、それもよく似ている。だが、それもこれも用足し旅行で、純粋な観光旅行というわけではない。自発的出張のついでに見物もして、もうけものだった。で、そんなあれこれもろもろの結論は、国境は越えるべきだ。