ボルネオだより/読める

 ボルネオでうれしいことのひとつは、表示がわかることだ。ローマ字と漢字。ともに私の読める文字である。モスクにはアラビア文字ヒンドゥー寺院にはタミール文字を見かけることもあるけれど、それは装飾みたいなものだ。マレー語と英語はローマ字で、中国語は漢字と、それからローマ字でも表記されている。漢字では中華系(住民の3割以上を占める)以外には理解できないから。中華系でも漢字がほとんど読めない人はけっこういるし。その漢字は正字だったり簡体字だったり、左起横書きだったり右起横書きだったりしているけども(縦書きもまれに)、どれであろうと文句はない。とにかく読める。マレー語はわからないが、わからなくてもそれが読めるというのはありがたい。読めない文字ばかりで書いてあるのはつらい。位置感覚を喪失してしまう。
 行く前にロシア語もキリル文字も少しは習っていたけれど、最初の頃はモスクワの地下鉄に乗るのはけっこうなストレスだった。すべてキリル文字表記で、一生懸命解読するのだが、わずかな停車時間では無理だし、下車してからもどっちへ進んだらいいのかわからない。ふつうの列車なら風景が見えるからそれが情報を与えてくれるが、壁しか見えない地下鉄では表記の文字しかよるべがないからたいへんだった。この文字に慣れてからは、奇妙なアルメニア文字表記の間にキリル文字を見つけるとほっとしたものだが。
 私が読めるのは、日本語で使うひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字のほかにはこのキリル文字ぐらいで、サンスクリット文字・カンナダ文字・アルメニア文字・ハングルは手ほどきを受けたことはあるが、読めない。解読できるとも言えない。それがその文字であることがわかるだけ。
 古い文明大陸であるアジアは、文字の大陸である。ユーラシアにおいてローマ字(ラテン文字)が占める面積は非常に限られている。英語やフランス語が補助言語として習われているからローマ字が読める人が多いだけで、その土地の言語がローマ字で表記されている地域は実は限られている。話を世界に広げてみると理由がよくわかる。ローマ字国というのはキリスト教国なのだ(正教は除く。正教国はギリシャ文字キリル文字だ)。そして、キリスト教はほとんど野蛮人の間(ヨーロッパがその筆頭)にしか広まらない宗教なので、新大陸やブラックアフリカをその領土としている。アジアでキリスト教なのは、文明にしっかり浴する前に植民地化されたフィリピンのみ。宗教的な理由以外でローマ字を国字として受け入れたのは、トルコやウズベキスタン、マレーシア、インドネシアベトナムぐらいであり、それぞれそうするだけの事情があった。アラビア文字イスラム文字として広まったが、あれは本来セム語表記のための子音文字で、セム語以外の言語の表記には向いていない。だからトルコやマレーシア、インドネシアはより自言語表記に適しているローマ字に乗り換えた。ベトナムは漢字圏だが、とにかくあの表意文字の漢字というのは数が多すぎて困る。韓国朝鮮はハングルというものがあったからそちらに切り替えることができたが、ベトナムの字喃はそうできるほど整ったものでなかったため、ローマ字にしたわけだけれども、やたら補助記号が多くて、残念な気がする。アラビア文字を使い続けているイランは、立ち返るには中世ペルシャの文字は欠陥が多く、世俗主義を打ち出したトルコと違いイスラムシーア派の正宗だから、よもやラテン文字に変改することはあるまい。国字以外ならローマ字表記言語はけっこう多いのだが、それらはつまり欧米の支配下に入るまで無文字言語だったということだ。
 マレーシアはイスラム教国だけれど、実はボルネオではキリスト教徒のほうが多いのではないかと思われる。ムスリムのマレー人より人口の多い無文字民族の先住民(元首狩り族)がキリスト教に改宗しているからだが、このこともキリスト教を受け入れるのがどんな人々であるかをよく示している。
 わかるのが当たり前なのではない。わからないのが当たり前なのだ、と知るべきだ。新興成り上がりでない古い文明地域では。だからわかるマレーシアの表示が心地よいのだが、よく考えてみれば、その心地よさを支えているのはあの無数の漢字の看板だ。われわれが読めて、世界の大半が読めないあの文字の。それがそのことの証明になっている。
 なお、ボルネオではひらがなカタカナもときどき見かける。日本料理店にあったり日本製品に書いてあったりするのは別に驚くことではないが、日本へ輸出するとも思われぬマレーシアの製品にまで書いてあるのにはやはり驚く。自動販売機に「ぬいぐるみの自動販売機」(UFOキャッチャーだから「ぬいぐるみの自動販売機」ではないのだが)「ハッピー自動販売機」だの、ホテルが「ボルネオホテル」だの。この国の人たちはかなが読めるのか? 紙に「かみ」と書いてあるのも不思議で、「紙」と書けば日本人も中国人もわかるから、そのほうがいいだろうに。モスクのアラビア文字ヒンドゥー寺院のタミール文字と同じく装飾の一種なのだろうが、しかしなぜという疑問は残る。かなはクールなのか? ま、これも読めるからうれしいんだけどね。