「単一民族国家」

アルメニアで暮らしてひとつの驚きだったのは、アルメニア人にしか会わなかったことだ。少数民族に興味と好意を(なぜか)もっているので、どの国に行ってもそこの少数民族の知人ができる。気がつくとまわりは少数民族だらけだったりする。犬好きは犬が知るというけれど、こちらが好意と興味をいだいていれば自然知り合いができるし、少数派というのは結束力が強いから、それからそれへ知人がふえていく。ウズベク語辞書をタジク人たちと作っていることに気がついて驚いたこともある。
だが、アルメニアではそうでなかった。もちろんヤジーディー教徒のクルド人ネストリウス派アッシリア人モロカン派旧教徒のロシア人などの少数民族もいるのだけど、彼らの村に訪ねて行ってようやく会えた。ふつうに暮らしていてはほとんど会う機会がないのである。
すべての国は多民族国家である。多民族国家でない国には暮らしたことがない。そんな中で、1997年の年鑑によればアルメニア共和国アルメニア人は全人口の93.3パーセント、ユーラシアの「常識」から見るとこれはきわめて高い数値である。これくらいの純度だとこうも少数民族の姿が薄くなるのかと感心していたが、2009年の統計ではさらにふえて97.9パーセントになっているらしい。もともと非常に高かったところへ、ソ連解体でロシア人が、隣国との戦争でアゼリー人が去り、逆に国外からアルメニア人が流入して、この驚くべきパーセンテージに達したのだろう。ヨーロッパの主要国、英仏独伊なども自民族の比率が9割を越えるが、それでも93−94がやっとだ。5パーセント超あれば政治が動かせる。これと98−99の間の距離は非常に大きい。
日本ももちろん「多民族国家」である。アイヌがいるし、沖縄人も言語や歴史から見ればひとつの(あるいは多くの)民族と見なせる。韓国・朝鮮人は在留外国人だから立場が微妙だが、これも相当数いることはみんな知っている。しかし、「日本は単一民族国家だ」と口をすべらす人士が国の責任ある地位にある人の中にもしばしばいて、そのたびに物議をかもす。その発言を非難する人はもちろん正しい。その人たちは少数民族の権利が侵害されることを恐れて騒ぐのだろう。もっともである。しかし、考えるべきは次のことだ。
単一民族国家でない。そんなことはわかっている。「そんなことがわかっていない」人のためにないないと言いたてるのだろうが、それでは肝心の重要なことがらを逃してしまう。つまり、「日本はほぼ単一民族国家である」という事実を。100パーセントでなければ、たしかに「単一民族」ではない。だがそんな国は存在しないのだから、「日本は単一民族国家でない」というのは、単に「日本は国である」と言っているにすぎない。どんな国かといえば、「ほぼ単一民族国家」な国なのである。
たかが人口300万のアルメニアで、この数値で驚く。日本は1億を越える。世界に1億人以上の国がいくつあるかと考えてみればいい。ケタがふたつちがうその大きなその母数のもとで、99とか98なんてパーセントは、常識をはるかに逸脱する。そして、目を横に向けてみよう。日本人は外国との比較というとすぐ欧米を見てしまうが、見なければいけないのはまず隣の半島だ。北も南も、日本並みの驚異的なパーセンテージを示しているのである。列島も半島も、歴史をさかのぼればまぎれもない多民族地域だったのだが、西洋の近代国民国家と遭遇するずっと前から、独自に民族の一様化が進んでいた。その時点ですでに「ほぼ単国家」であった。
中国はもちろん多民族国家である。ウイグルチベットの民族暴動が雄弁に語っているとおりだ。55の少数民族がいると中国自身が公式に言明しているし、55どころじゃないのも自明だ。歴史的に見ても、異民族王朝が次々に現われた。五胡十六国だの何だの、いろいろ習った。にもかかわらず、中国もひょっとしたら「単一民族」なのではないかと思ってしまう。清朝を継承した今の中華人民共和国は蒙・蔵・回を領有しているが、それらを含まぬいわゆるチャイナ・プロパー、「始皇帝の中国」では、雲南・貴州・広西などの西南部を除けば、漢民族がほとんど日本並みの比率を占めているのでは? 国号である「中華」に本来属さない地域を除いた領域ですら広大で、人口は莫大である。めまいのしそうな恐るべき数量でありながら、見るのは漢民族ばかり。少数民族も相応に多いにちがいないけれど、漢族の数がケタ外れに大きすぎて、今の北海道におけるアイヌと和人の比率みたいなことになっているのではないだろうか(相互に通じない中国語「方言」を話す北方と南方の人々は、実は姉妹言語を話す別々の「民族」としたほうがいいはずだが、彼ら自身が自分たちを「漢族」と考えているなら、他人がとやかく言うべきことではない)。
日本列島と朝鮮半島は、「独立と統一」が常態であるという世界史上まれに見る幸運な地域である。島国の日本は、独立を失ったのは戦後のGHQ時代の数年のみ、統一も室町時代の争乱期を除けばだいたい保たれていた。朝鮮半島は、中国を宗主国に戴いて完全独立と言いがたかった点はさておいて、地続きである分(そして日本が隣国である分)状況は悪いが、それでもこの二つが失われていたのは歴史を通じて例外的である(現在は残念ながら統一については例外期だが)。中国大陸ではそうでないことがしばしばあったが、それは統一が破れ分裂割拠であっただけで、異民族が王朝を建てたといってもそれは「中国の王朝」であり、異民族国家に呑みこまれたことはモンゴル帝国のときぐらいしかなく、独立のほうはほとんどそこなわれていない(中原に国を建てた異民族王朝は、モンゴル人を除いて、結局は漢族の中に吸収され、民族として消え去っているのも参照。逆に言うと、モンゴル人というのはかなりすごい)。「独立と統一」が乱されるのは正しくない状態で、しばらくすればまた「正しい」状態は回復される。「正しく」ある時代のほうがずっと長い。「独立と統一」は東アジア・イデオロギーのひとつである。
そのことは、人口において断然他を寄せつけない世界の二大スーパーパワーのもう片方、インドを見ればよくわかる。インド紙幣には14ものことばが書かれているではないか(人民元にも蒙・蔵・回の表記があるが、「中国本土」でいえば中国語だけだ)。世界ではこういうインドのあり方のほうが当たり前で、「独立と統一」は遠いあこがれであるのがふつうである。この理念が体質となっている国といえば、ほかにフランスがあるくらいだろう(エジプトもそうかもしれない。ペルシア帝国からオスマン帝国までの間を見れば独立していた時期はむしろ短いが、古王国以来の歴史のスパンで考えれば「独立統一期」のほうがずっと長い)。
言い換えれば、西欧の近代「国民国家」が西端に、それより歴史の古い東亜の自生的「国民国家」が東端にあり、その間にはそのときどきの力関係で国境の決まる「多民族地域」が広大無辺に広がる、という図式である。
この「独立と統一」が「民族の醇化」を招いたにちがいない。世界から見て例外的だからといって、不幸な「世界の常識」を東アジアに押しつけるのはよろしくない。むしろ、それが可能ならば、幸福な「東アジアの常識」のほうを世界に広めたいものだ。
(この「東アジア」に中国は東半分だけ入っている。力でしか維持できない「植民地」を切り離せたらいいのだが、あまりにも人口が多いので、そのはけ口の植民地が絶対的に必要でもある。中国の憂鬱は人口の憂鬱だ。中国の力が人口の力であるように。国境線が明代のものであればいいんだけど。「滅満興漢」のくせに版図だけは清帝国を継承してるというのはどうなのか。)


中国や韓国を旅して、驚かされたことがある。かなり快適なのだ。外国人に対して親切だ。反日感情があるはずの国々だが、特に感じることはなかった(そういうのは単なる旅行者の感知するようなものではないけれど。もし感じるようなら、それはかなり危ない)。だがそんなことよりも心底驚いたのは、ぼられなかったことだ。旧ソ連や東欧、東南アジアではけっこうやられましたよ。経済発展して中進国から先進国入りをうかがう韓国はともかく、中国では手ひどくやられるにちがいないとの鋼鉄の確信をもって出かけたのだが、ほとんどなかったのはむしろ拍子抜けだった。
ぼるというのはつまり強制的なチップの巻き上げで、なにも本人がえらいわけでなく、先進国に生まれたというだけの理由で金をもっているうかつな外国人から巻き上げるのは、見方を変えれば正当な行為かもしれない。富の平準化はある意味正義であるから。やられたくなければだまされなければいいわけで。しかし、よくよく考えればそうも言えるが、好んでそうされる者などいない不愉快な行ないである。
なにせ中国である。ぼられないはずがない。覚悟していたが、しかし山西省を旅してそんなことは一度もなかった。「新中国」の教育の成果でもあろうか。豊かになってきたからかもしれない。戦前のように貧しければ、こうもいくまい。貧富の差は諸悪の根源である。内陸部だったからだろうか。外国人と接する機会の多い沿海地方(外国人は異民族だから、「多民族地域」である)では、人間がスレていて、事情がちがうのかもしれない。実際青島ではやられた。
どうしてだろうといろいろ考えて、こんなことに思い至った。自民族の大海のただ中にある人たちは、異民族(外国人)でもうけようという発想に乏しいのではないか。客はすべて自民族である。外国人などごくごくまれにやってくる珍しい客人にすぎない。もうけは自民族であげる。遠来の珍客は歓迎する。日本人にはふつうのこのメンタリティは、実は東アジアにかなり共通しているのではあるまいか。外国人と接することの多い地方や職種は外国人でもうけてやろうとするだろうが、それは広い国のごく一部だ。中国のあこぎな商売も、対象は自民族であって、ときどき外国にとばっちりが行くという構図である。日本の場合は極端で、たとえば島根県では、足立美術館の入場料は日本人2200円、外国人は1100円というふうに外国人料金があり、そういうものが設定されているほかの国々と真逆に、自国民料金の半額なのだ。外国人料金って、ふつう倍とられたりするんだけどね。あるいは逆ではなく、安い「一般料金」と高い「お人よし料金」があるという同一の構造なのかもしれない。2200円はどう見たって高すぎる。それとも、日本人は自国にいてすら「外国人料金」を払わされるってこと?
中国人の「世界遺産」好きも日本人並みかも。そういうところは入場料がけっこう高くて、一瞬「外国人料金か?」と思ったのだけど、中国人も同一料金、それであの人出。嗜好が似るんだねえ。首を締めあげ紐をぶらさげるなんて奇習は欧米追従だとして嫌う筋の通ったイランなどに対して、あんな気候に背馳する無用無意味な飾りを嬉々として模倣するのも日・中・韓だし。偉大なマオの時代は去った。「東アジアはひとつ」である。それはともかく、すっかり山西省ファンになってしまいました。


という文章を2009年に書いた。今その中国に暮らして、この感想が変わるか変わらないか、自分にとっての1年後のお楽しみである。