探偵小説ベスト10

・ミルン「赤い館の秘密」
探偵小説とはどんなものか知りたければ、これを思い浮かべればいい。典型的であり、完成形であると言っていい。つまり、探偵小説という形式は1921年にもう完成されていて、そのあとは惰性というわけだ。
穏やかなユーモアが好もしい。人殺しの話だもの、ユーモアはぜひほしい。


・ノックス「陸橋殺人事件」
ほんとうはこれがいちばん好きだ。探偵小説というジャンルの「批評」となっている。だから、1位には推せない、永遠の第2位というタイプの作品である。


・ドイル「シャーロック・ホームズの冒険
そりゃあシャーロック・ホームズですから。だてに人気があるんじゃありません。しかし、ホームズ物語の魅力の大きな部分は、事件そのものの推理より、ホームズが依頼人の職業や住所や悩みをぴたりと言い当てる事件以前の推理にある。これでくらっときますね。女性が美男子にくらっとくるのはこんな感覚なのかなと思う。


・チェスタートン「ブラウン神父の童心」
逆説と演繹のおもしろさをこれで知った。この短編集を読むと、個々の部分にくすぐりはないが、全体として体の内側から微笑みがわいてくる。そういう質の高いおもしろさがある。


・クリスティ「オリエント急行の殺人」
これや「アクロイド殺害事件」、死後発表された「カーテン」、「そして誰もいなくなった」など、ほとんど反則すれすれまで探偵小説の仕組みの限界へ迫っている。踏み越えているかもしれない。この作者はもっとも保守的で、かつ女性だが、もっとも「冒険的」であるという逆説がおもしろい。前衛的と言ってもいいくらいだ。暖かい部屋にすわって編み物をしながら、考えていることがこれですか。やさしそうににこにこしながら、やっていることは可能性の極限である。女性端倪すべからず。
探偵小説は「近代」の産物だから、同じく「近代」を体現している鉄道や列車がよく似合う。
私事を言えば、これが初めて読んだ子ども向けの書き直しでない小説のひとつである。一等最初は「失われた世界」だった。ともに10回以上読み返している。


松本清張「点と線」
探偵小説の謎の双璧は、密室とアリバイ崩しである。しかし、ヨーロッパの家が密室だらけなのに対し、(最近はそうでもないにせよ)古い日本の家では密室殺人はむずかしい。それと反対に、鉄道が発達し、汽車が定刻に走り、さまざまな種類の時刻表が月々書店に山積みされている日本にもっとも適合しているのが、アリバイ崩しである。そういう日本からアリバイ崩しの名作をひとつ挙げるとすれば、やはりこれだろう。これは短すぎ、あらすじみたいなものだが、記念碑的な作品であるから、クロフツの「樽」という傑作を差し置いて、これを推す。
「課長補佐というのはよく死んでくれる。大きな汚職事件で自殺する者は、かならず課長補佐クラスだ」。いいですね、松本清張。たしかに。


・ファン・フーリック「中国迷路殺人事件」
ディー判事ものならどれでもいいが、とりあえずこれをあげようか。探偵小説のよさに、「閑暇」がある。「閑文字」と言ったっていいよ。ひまがあるのはいいことでしょう。その間に頭を使うのはもっといいことでしょう。閑暇に探偵小説を読み書くよりもっといいことがあると考えるのは見当違いだ。
オランダ人シナ学者が、唐代の判事を主人公に書いたもの。金関丈夫が台湾留用時代に書いた龍山寺の曹老人もののような、とたとえようか? いや、それじゃたとえるものとたとえられるものが逆ですね。探偵小説は、小説家でない人が小説を書くための安全保障という側面がある。「薔薇の名前」もそうだが。


エーコ薔薇の名前
探偵小説という形式を用いて書かれた小説である。謎解きはストーリー進行の担保であって、それが主眼ではないが、それがなければ成り立たない。
中世思想の百科事典としても読めるこの本は、探偵小説愛好家という閉ざされたサークルのために書かれていないが、探偵小説があるからこの小説が書けたので、探偵小説はそのことをよろこぶべきだ。


ケストナー「エミールと探偵たち」
これ、探偵小説じゃないだろ? しかり。謎解き小説ではないが(そもそも謎自体がない
が)、なくったっていいじゃないか。探偵(たち)と犯人が出るんだし(マンハント小説?)。
子どもは探偵が大好きだ。謎が好きだからだ。だから謎解きも好きだ。狩りも好きだ。子どもが探偵が好きな間は、ホモ・サピエンスも安泰な気がする。
この犯人は人殺しじゃなくて泥棒だ。それもけっこう。探偵小説もとんと読まなくなった。人が殺されて何がうれしい。気安く殺すな。殺すならカラマーゾフ殺しぐらいの話を読ませてくれ。ということ。


・E・W・スミス編「シャーロック・ホウムズ読本」
架空を実在として扱うおもしろさ。「ワトソンは女である」「後期のホームズは別人である」等々の奇抜な推理の数々。ホームズを愛する人々がホームズのように推理する。知的遊戯のひとつの洗練されたスタイルである。


・ギンズブルグ「ベナンダンティ」
「エミールと探偵たち」が謎解きでなくて不服なら、完全に謎解きのこれを提示しよう。「薔薇の名前」について言ったことがここでも当てはまる。探偵小説によって可能になったものの見方と書き方があるということだ。
この著者は、「徴候―推論的範列の根源」というフロイトとホームズ(と美術史家モレッリ)の方法をめぐるすぐれたエッセイ(「神話・寓意・象徴」所収、竹山博英訳、せりか書房、1988)も書いている。1921年に「終わった」探偵小説は、そのあとは放散を続ける一方で、逆に影響力は拡大していったわけだ。


あれ、ベスト10なのに、11あるんじゃない? そうかもしれない。いいじゃないですか、ほんとうは江戸川乱歩の評論集「幻影城」も挙げたかったが、それを入れないくらいの常識はあるんだからさ、ひとつぐらい。それに、「小説」形式だけなら9つしかないんだし。差し引き10です。